青い空があって、赤茶けた砂漠があって、モスクがあって、美しい民族衣装の女性が歩いている。
そんな光景を目にしたら、旅人であればなんとなくシルクロードという地域を想像するのではないか。
シルクロードとは、古代の人たちが東西を交易するために開拓した交通路。
そこを行きかう人々は、商人であり、僧侶であり、支配者であった。
旅とは、他において、食料や火を借り受けながら移動することが語源であり、人類が生きながらえるため必要に迫られた行動だった。
その苦行とも言える旅に、楽しみを見出していた旅人はどのくらいいたのだろうか。
いくつもの革命を経て、時代は大きくかわり、交通路を移動することそのものを楽しむという、人生の選択肢が現れた。
私のような恵まれた旅人は、そんな先駆者が苦労して開拓した交通路を、歴史の重みを感じとりながら、安全に移動して旅を楽しむことができる。
話がいきなり大きくなったが、タジキスタンとウズベキスタンを風のように旅してきて、帰りの飛行機の中で脳裏に浮かんだ実感である。

いつの時代が幸せか、という問いに対する答えは難しい。
しかし、会社勤めの身でありながら、その寸暇を縫って、かつリーズナブルに、シルクロードの片鱗を楽しんで来れる現代が、旅人にとって不幸せなはずがない。
10年前だったら、著しく写真撮影が制限されただろう。
20年前だったら、内戦で行動が制限されたエリアもあっただろう。
30年前だったら、旧ソ連であり、そもそも自由な旅はできなかった。
と、いつもながらとりとめもなく話がまとまってませんが、シルクロードの一部を切り取ったタジキスタン・ドウシャンベからウズベキスタン・ブハラまで、7泊9日で旅した記録をまとめてみたので参考にしてみてください。
中央アジア7泊9日 弾丸ひとり旅 全行程
| 日付 | 午前 | 午後 |
|---|---|---|
|
8/2(土) |
||
| 8/3(日) | ||
| 8/4(月) | ||
| 8/5(火) | ||
| 8/6(水) | ||
| 8/7(木) | ||
| 8/8(金) | ||
| 8/9(土) | ||
| 8/10(日) | 43.大連⇒成田 |
夏季休暇の旅はいつもそうなるんですが、ANAマイルの特典ビジネスクラスをおさえられたアシアナ航空のフライトが先に決まって、そこから肉付けしたスケジュール。
ANAおよび提携航空会社も含め、就航地を無作為に検索していてひっかかったのがタシケント。
63,000マイルでタシケントをビジネスクラスで往復なら、とすぐさまポチったのがはじまり。
だから、本当なら「海の日」も含めて、もう1日日程を延長する余地があった。
しかし、特典ビジネスは争奪戦。そうは問屋が卸さないのが実情です。
相変わらずの弾丸行動だけど、タジキ&ウズベクの両国を股にかけて、陸路国境も越えたうえ、サマルカンドとブハラという中央アジアきっての世界遺産の街をあますことなく歩くことができ、私としては満足な日程でした。
ドウシャンべ⇒ペンジケントのチャーター

今回の旅で、流動的で、かつもっとも楽しみだった日程がドウシャンべからペンジケントまでの移動。
山岳国家タジキスタンを象徴するかのような、標高3,000mのワインディングロードをゆくルート。
出発前の調べでは、どうしても公共交通機関の時刻が読めず、車をチャーターしました。
240kmの距離を120ドル&ガソリン代だったので、写真のような景色も見れたし納得の交渉。

ところが、帰国後にあらためて調べたら、ドウシャンべのバスターミナルから、朝早くペンジケントに向けて出発するバスが見つかりました^ ^
まあ、楽しいドライブだったし、下の写真のように陸路国境も越えられたので、よしとします。

往復のビジネスクラスフライトスケジュール
| 航空会社 | 便名 | フライト | |
|---|---|---|---|
|
8/2(土) |
アシアナ航空 | OZ107 | 成田9:00 ⇒ ソウル仁川11:30 |
|
8/2(土) |
アシアナ航空 | OZ573 | ソウル仁川16:10 ⇒ タシケント20:00 |
|
8/9(土) |
アシアナ航空 | OZ574 | タシケント21:40 ⇒ ソウル仁川7:55 |
|
8/10(日) |
アシアナ航空 | OZ377 | ソウル仁川10:30 ⇒ 大連10:55 |
|
8/10(日) |
ANA | NH904 | 大連13:15 ⇒ 成田17:15 |
ちまたでは「マイル改悪」なんてワードも飛び交うけど、乗り方によってはまだまだお得。
こんな変則な乗り方もできるし、

63,000マイルで、タシケントまでのフライト距離往復約12,400kmを飛べるのだから、1kmあたり5円。
そして、実際に現金で買えば約40万円だから、1マイルあたりの価値は6.3円。
そのへんのポイント還元なんかおよびでないくらい有利だと思う。
そして、こんな豪華な食事まで出るんです。

もちろん、お酒も飲み放題。
そして、各国航空会社それぞれ、ビジネスクラスに対するおもてなしがあって、旅人の気持ちを穏やかなものにしてくれます。

旅費・ホテル代など
さて、旅費はいくらでしょうか。計算してみました。(2025年8月のレートで計算)
| 用途 |
利用区間など |
費用 |
|---|---|---|
|
飛行機 |
成田 ⇔ タシケント(ビジネスクラス) |
63,000マイル |
| 飛行機 | ウズベキスタン航空:タシケント ⇒ ドウシャンべ | 12,760円 |
| 鉄道 | サマルカンド ⇒ ブハラ(3等車) | 7,250円 |
| 鉄道 | ブハラ ⇒ タシケント(2等寝台下段) | 4,900円 |
| ホテル | タシケント:ショクヤホンホテル | 4,000円 |
| ホテル | ドウシャンべ:四季星河酒店 | 3,500円 |
| ホテル | ペンジケント:ウマリヨンホテル | 4,000円 |
| ホテル | サマルカンド:サンゾールブティックホテル(2泊) | 13,000円 |
| ホテル | ブハラ:カフサル・ホテル | 4,500円 |
| ホテル | タシケント:Chinara Guest House Aeroport | 3,000円 |
| チャーター | ドウシャンべ ⇒ ペンジケント(240km) | 17,400円 |
しめて、合計74,310円です(+63,000マイル)。
7泊9日の旅で、この値段ですむなんてやはりマイルの破壊力はすごいけど、ホテル代が軒並み5千円前後。
まだなんとか、世界的なホテルインフレの波が中央アジアには押し寄せてないような気はしました。
思い出に残ったのはブハラの「カフサル・ホテル」。
立地抜群のゲストハウスなんですが、とにかく量がすごかった。

今までの旅歴で、日本国内も含めて、こんな大量に食事のおもてなしを受けたのは初めてです。

世界遺産の丘から見下ろすペンジケント
さて、訪れた街の感想を少し。
まずは、こんな峻険な山岳路を越えてたどりついた国境の街ペンジケント。

ついこの間まで馬車が走ってたと言っても過言でないような、シルクロードの雰囲気そのままの素朴な街でした。

そして、世界遺産の丘から眺めるペンジケントの街はこんな感じ。

このあとに訪れたサマルカンドやブハラが、とても賑やかだったので、本当に時間を割いてこの街を訪れてよかったと思っています。
シルクロードの十字路サマルカンド
ペンジケントから、国境を越えてたどり着いたサマルカンド。
まあ、旅が好きな人ならサマルカンドの名前は知っているでしょう。
中央アジアきっての観光都市。

しかし、長らくシルクロードの十字路として交易で栄えてきた街は重みが違う。

イスラム教が育んできたアートな文化を、画廊のように拝める街です。

食事も美味しかった。これはサマルカンドのプロフ。
肉の柔らかみと黄色いにんじんが奏でる味わいは、シルクロード料理そのもの。

イスラム圏でありながら、お酒が飲める大らかさも旅人には喜ばれます^ ^

箱庭のようだったブハラ
そして、サマルカンドから、ウズベキスタンの看板高速列車アフラシャブ号でやってきたブハラ。
列車の前で記念撮影なんて、10年前のウズベキスタンでは考えられない行為らしい。

そのくらい、政府も観光に力を入れてきたということでしょうか。

箱庭のようなすべて徒歩圏内に、観光遺跡がびっしり詰まっているのがブハラの街。

治安も良く、肩の力を抜いて、のんびり散策することができます。

もちろん、お酒も飲めます。

ブハラで私のお気に入りの場所は、こちら。

「タキ」と呼ばれる交差点バザール。
とにかく日中は暑いので、この中に入れば涼をとれるんです。

どのくらい暑いかというとこんな感じ。
これはサマルカンドですが、ブハラも似たようなもんです。

まとめ
帰国してからの日々、撮りためた膨大な写真を眺めながら、あの乾いた風の匂いと、まぶしい陽射しを思い出している。
写真というのは、時間の流れに抗うように、記憶の奥に沈んだ景色を静かに呼び戻してくれる不思議な装置だと思う。

あらためて感じるのは、シルクロードの街には、やはりあの「青」と「砂」と「光」がよく似合うということだ。
サマルカンドでも、ブハラでも、モスクのタイルが太陽に照り返すたび、時が何世紀も逆流していくような錯覚に包まれた。

思い返せば、6年前の新疆ウイグルもそうだった。
ただ、あのときホータンで撮ったモスクの写真は、近づいてきた公安に削除されてしまった。
同じシルクロードでも、民族が違い、国が違えば、風の流れも、祈りの形も変わっていく。
旧ソ連から解き放たれて35年。
ウズベキスタンとタジキスタンの街を歩く人々の表情には、自由の光と、まだ言葉にできぬ不安の影が、静かに同居していたように思う。

そのどちらも、この土地が歩んできた歴史の重みを物語っているような、タジキスタンとウズベキスタンの旅だった。

まとめというより感想めいたたわごとになってしまいましたが、ウズベキスタンには日本からも直行便が就航しているんです。
治安も悪くなく、史跡も多く、四季もある。
肩の力を抜いてシルクロードの感覚を味わうには、もっとも適した土地だと思います。
