高貴な黄色いニンジンプロフ&サマルカンド旧市街を彷徨ってみる【ウズベキスタン旅行記 #10】

シルクロードの十字路は、食の十字路でもある。

サマルカンドは古代より中国・ペルシャ・インドの食文化が混じり合う都市。

特にティムール朝時代には「王の食卓」として、厳選された料理だけが供される宮廷文化が築かれました。

その代表的な料理は、やはり「プロフ」。

もちろん、これは私が米料理が好きで言ってるだけだけど、タジキスタンに続いて、ウズベキスタンでも「プロフ」の味が絶妙を極めた、忘れられない味です(^ ^)

ショブバザールの隣で食べたウズベキスタン・プロフ

時間は少し巻き戻して、シャーヒ・ズィンダ廟群やビビハニム・モスクを見学して、ショブバザールを散策し終えた、お昼の12時ごろ。

ちょうどランチタイムだったので、ショブバザールの隣にあったウズベキスタン料理のレストランに入りました。

ビールが頭に飛来したけど、これからレギスタン広場のマドラサに入るのでやめにしてレモンティ。

そして4.5万スム(約530円)のプロフをオーダーしました。

店内の様子。

アイスティが届けられます。

今日も40度くらいの暑さなので、よく冷えたティーが美味しい。

そして、プロフ。

ドウシャンべで食べたプロフは牛肉メインだったけど、こちらもビーフ。

このおいしさ・・・

サマルカンドで出会ったプロフは、和食と並んで、食の世界遺産としてもいいのではないだろうか。

黄色いにんじんの甘みと、崩れるほど柔らかい牛肉。

白米に染み込んだスパイスと油の層が、脂っこいはずなのに、それを感じさせない。

これもまた、シルクロードの旅人たちの記憶を今に伝えてくれるものなのでしょう。

中央アジアのプロフにもいろいろあって、他の地域では全体を混ぜて出すスタイルも多い中、サマルカンドでは「米の上に、牛肉・にんじん・レーズンなどが丁寧に乗せられる」形式が主流。

これには、「貴人に食べさせる食事」のようなもてなしの意味が込められているとのこと。

そして、黄色いにんじんは「サマルカンド・キャロット」とも呼ばれ、甘みがあって、柔らかく煮込んでいるので、まるでジャムのような香りです。

ごちそうさまでした、一気に食べてしまった。

アザーンの響かない静かな街だけど、このプロフこそ、宗教を超えて風土と人々に根付いた「もう一つの祈り」の形のような気がします(^ ^)

サマルカンド旧市街をあてもなく歩いてみる

サマルカンドというと、多くの旅人がまず思い浮かべるのは、レギスタン広場の壮麗なモスク群や、ビビハニムの巨大なドーム、シャーヒズィンダの青の回廊だろう。

けれど私にとっての旅の宝物は、そんな観光地の喧騒を一歩離れた、その「向こう側」にある。

私は、巨大なナンが積まれたレギスタン通りを横切って、いわゆるサマルカンドの旧市街と呼ばれるエリアに入って行きました。

旧市街散策は、生活感たっぷり、市民の素の生活が見れるので、旅において私の最も好きなイベント。

だから外国人観光客が京都の路地をさまようのもわかる気がする。

旧市街という定義がどこにあるのかはわからないけど、それは旅人が決めればいい。

おそらくは、この通りも、かつては舗装もされず、馬車が人や積荷を引いていたのだろう。

どんなに、道や建物の形が変わっても、人生の世代が2〜3交代するまでは、街のどこかに面影が残るものだ。

いきなり道が太くなり、モスクが現れたりする。

この世界各地の標準時を表す時計は、中央アジア定番だということもわかりました。

広い道を嫌って、狭い通りに入ります。

ゲストハウス。

私が泊まってるサンゾールブティックホテルは、あの立地で1泊6,500円。

ということは、こういうところのホテルはいくらくらい?

これはなにかの碑だろうか?

1,945とあるから、第二次世界大戦がらみかな。

少女とたぶん母親が歩いていた路地。

突然、道が途切れました。Googleマップではつながっています。

ひょっとして、ダンプカーの向こうに見えるのは、本物のサマルカンド旧市街?

そんな感じがしますね。

幾多の年月を経て、街の表情も変わっていく。街とは人間の細胞みたいですね。

それにしても、湿気がまったくない街で道路工事をやられたら、砂埃は必至。

私のビーサンと包帯は、壊滅状態となりました。

これまた突然現れたモスク。

たとえるなら、京都嵐山を散策していたら、突如道が開け、直指庵に出くわした感じでしょうか。

誰もいなさそうですが、中に入れました。

英語があったので読んでみると、やはり公序良俗を守らない観光客が出没するようですね。

さて、散策開始・・・と思ったら、すごいクルマ。

そして民泊的な安宿がけっこうありました。

長期滞在するなら、ちょうどいいかも。

太陽の下歩いて、史跡を見物して、裏通りを歩いて、写真で記憶に残して、汗流して、美味いもの食べて、水分とって、また街歩き。

私にとって、こんな健康的な生活はほかにない。幸せだなと思う。

ふと、三蔵法師やマルコポーロも、この辺りを歩いたのだろうか、などと頭に浮かびました。

子供がよく働くサマルカンド。

ウズベキスタンの人口は約3,700万人。そして平均年齢は約29歳。

出生率は2.8で、毎年100万人づつ人口が増えていることを裏づける光景。

Googleマップも見ずに、あてもなく歩いてたら、こんな扉にぶつかりました。

と思ったら、出たのがタシケント通り。

あの鉄板でできた扉は、観光客と市民を隔てる・・・という意味なのかな。

そんなことしなくてもいいと思うけど。

買い物をした少女が、その鉄板の扉をくぐって、家路についてました。