かつてシルクロードの十字路として栄えたサマルカンド。
その栄光の象徴こそが、レギスタン広場だ。
そのレギスタン広場から北東へ伸びるタシケント通り沿いのホテルに宿を構えた私は、街歩きの最中、幾度もこの広場前を通ることになる。
早朝、日中、夕暮れと姿を変えるレギスタン広場
これが、日中の灼熱の日差しに照らされたレギスタン広場。
8月上旬の気温は44度もあって、さすがに観光客もまばら。
そして、これが、一夜明けて、早朝の涼しいレギスタン広場。
誰もいないことを期待してたんだけど、さすがにモデルさんの写真撮影とか、プロの方が数人いらっしゃいました。
そして、時間的には夕方19時ごろ。
アミール・ティムール廟を見学してホテルへの帰り道、また広場の前を通り、ライトアップされる姿を見たくて立ち止まります。
いくぶん涼しくなって、観光客も増えてますね。
何時からライトアップされるのかわからないので、広場の周辺を散歩。
現在19時で、日没は20時だから、20時ごろかな・・・
広場の周辺と書いたのは、広場に入るためにはチケットが必要。
そして、そのチケットは、広場に隣接する3つのメドレセ(神学校)の入館料も含んでいるから、広場に立ち入るのはメドレセが開いている日中時間帯がよい、と考えたから。
あれだけ青かった空が、刻々と色を変えていく自然の芸術。
「レギスタン」とは、ペルシャ語で「砂の場所」「裸の地」を意味する。
もともとは市場が立ち並び、キャラバンが行き交う広場であったが、ティムール朝時代以降、ここはサマルカンドの宗教・学問・政治の中心地として大きく変貌していく。
ティムール自身はこの広場の建設には関与していないが、彼の孫であり、天文学者としても名高いウルグベクが、その基礎を築いた。
この広場西側にたつレギスタンで最も古いメドレセ(神学校)が、それにあたります。
明日、内部もゆっくり見学するつもりだけど、広場を囲む3つの荘厳なマドラサは、まさにウズベキスタン建築の金字塔だ。
サマルカンドという都市がどれほどの繁栄と精神性を有していたか、この広場を眺めるだけで、旅人に雄弁に語りかけてくれます。
20時ライトアップされたレギスタン広場
ちょうど20時ではないけど、いっせいにライトが灯り、観光客の歓声が上がります。
ライトはオレンジで、タイルが青いから緑っぽく見えるのか、
それとも、ライトそのものがグリーンなのか、いずれにしても一見に値するライトアップです。
さすがにこの時間になると、気温は30度前後。
観光客だけでなく、地元民まで集まってきます。
まさにサマルカンドの憩いの場。
それにしても、メドレセの背景を彩る赤く染まる空が美しすぎる。
ユーラシア大陸のど真ん中にいることを、実感する空です。
やがて、空の色がパープルから濃紺に移り変わっていく、まさに光の芸術。
40年ほど前は、ここはソ連だったというのが信じられない。
この光景はまちがいなくイスラムの姿だと思う。
その旧ソ連時代に、作家の佐藤優氏が高校時代に夏休み40日間を使って共産圏を旅した本が「15の夏」。
それによると氏は、アエロフロート便が欠航して、サマルカンドは経由したものの観光はしそびれている。
当時の中央アジアは観光地でも観光客を受け入れる体制が整っていなかった。
その頃のレギスタン広場は、どんな姿をしていたのだろうか。
側壁のタイルが、濡れたように光る感じが素敵です。
この旅に出て4日目の夜を迎えました。
美しいものを見た夜は、ぐっすり眠れそうです。