「飛鳥宮跡」&「蘇我入鹿の首塚」大化の改新を偲ぶ【秋の奈良一人旅 #12】

さて、旅の終わりに「飛鳥宮跡」と「蘇我入鹿の首塚」の2つの史跡を見学して帰京しましょう。

「飛鳥宮跡」は、「飛鳥寺」から少し南に下ったあたりにあります。

日本書紀に描かれた蘇我氏クーデターの瞬間「飛鳥宮跡」

ここが、飛鳥板蓋宮大極殿のあった場所。7世紀半ばの皇極天皇の宮殿です。

日本初ともいえるクーデターの様子が「日本書紀」にあれほど詳しく記されているのはなぜだかわからないが、登場人物一人ひとりの思惑が生き生きと伝わる名文だと思う。

剣を外された「蘇我入鹿」は、どこに座っていたのだろうか。

ご殿のどのあたりで「石川麻呂」は上奏文を読みはじめたのだろうか。

クーデター決行の645年6月12日は雨模様だったそうです。

甘樫丘を背景にたたずむ「蘇我入鹿首塚」

さて、この旅の最期の史跡「蘇我入鹿の首塚」を見学して、帰京するとしましょう。

ちなみに、「蘇我入鹿の首塚」は、中大兄皇子がはねた入鹿の首がここまで飛んできたといういわれによるものだそうですが、下のように距離にして約1㎞。

「飛鳥宮跡」から「首塚」まで、飛んだ首を追って、自転車をこぎます。

 

でも、そんな野暮なことを言ってはいけません。

蘇我入鹿は、怪物のような悪党であり、超人的な能力を有していた。

だからこそ、クーデターの際も、誰もが躊躇して切りつけにいけなかった。

蘇我氏の館があった甘樫丘を背景に、ポツンと鎮座する首塚が愛らしい。

蘇我入鹿の超人的な伝説は、殺した後も首が飛びまわったなどの言い伝えがある。

だからこそ、それを鎮めるための「首塚」なのかもしれない。

首塚の前にたたずんで、甘樫丘を眺めていたら、あの丘にも登りたくなった。

しかし、電車の時間が迫り、今回は断念するしかなさそうだ。

なぜ、もっと計画的に歩かなかったのかなと思う。

中大兄皇子が造った日本最初の水時計「飛鳥水落遺跡」

橿原神宮の駅に向けて自転車をこぐうち、「飛鳥水落遺跡」に出会いました。

中大兄皇子が造った、日本最初の水時計。

政治を治めるには時の管理が必要。中大兄皇子の才力を思わせます。

先入観なく見れば、浴槽の遺跡と勘違いしかねません。

高低差がある水槽を細いパイプでつなぎ、最下段の水槽にたまる水の量で時を測る仕組み。

サイフォンの原理と同じそうですが、なんたる頭の良さ(^^)

橿原神宮駅から帰京

飛鳥の地を5時間にわたって歩き、14時前橿原神宮の駅前です。

お世話になった「明日香レンタサイクル」に自転車を返します。乗り捨てができるから便利です。

今回は自転車だったけど、バスで回る手もあるようです。

さて、まっすぐ千葉の自宅に帰ります。

乗るのは14時ちょうどの特急京都行き。

飛鳥の地を北上して京都へ。

京都からは新幹線。

ランチ抜きだったのでお腹がすきました!(^^)!

富士山を眺めながら今回の旅を回想。

時代で言えば、7世紀の前半を歩いたことになるんだけど、このあとのイベント日本と朝鮮の戦い「白村江の戦い」については、私は韓国の慶州と扶余を訪れたことがある。

歴史や史跡めぐりというのは、本当に楽しいもので、私は、自分でも気づかぬ間に、古代史を紀行していたのかなとも思う。

今回、甘樫丘の見学も断念したけど、もう少し計画的に古代史をめぐってもいいかな、そんな気にさせる2021年の「秋の奈良一人旅」でした。

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