文禄・慶長の役の激戦地「晋州城」&ハングル文字にあふれる晋州の街

2025年のGWを利用した韓国旅。

仁川から釜山にかけて移動する道中において、3泊目は、

「特に名もない韓国の田舎町で、夜の散歩で美しい眺めが期待できる街を推薦して」

とチャットGPTにオーダーしたら、出てきた回答が「晋州(チンジュ)」という街だった。

蛇足だけど、私は月額20ドルの有料版を使ってるけど、生成AIの威力は凄まじい。

いずれにしろ、そんなきっかけでもなければ訪れなかった街。

さて、どんな姿を見せてくれるのだろうか。

文禄・慶長の役の激戦地 晋州城を歩いてみる

まずは、オーソドックスに、晋州のシンボルとも言える晋州城に足を向ける。

晋州という街の名は、本当に知らなかった。

しかし、軽く調べてみると、文禄・慶長の役の激戦地であり、晋州城の壮絶な戦いは、日本側の記録にも、韓国側の記憶にも深く刻まれているらしい。

日本史を学んだ者として、「文禄・慶長の役」のことは知っています。

豊臣秀吉が何を思って文禄・慶長の役を仕掛けたのにかは諸説あるけど、いずれにしろ、朝鮮にとっても、命ぜられた日本軍にとっても、いい迷惑(だったらしい・・・これも諸説ある)。

そして、ここ晋州城は、朝鮮南部を守る戦略的要衝として、日本軍の侵攻ルート上にありました。

文禄・慶長の役は、朝鮮側では「壬辰倭乱」とされるのに、日本語訳では文禄・慶長の役と書いてくれている。

1592年、加藤清正や小西行長ら日本軍約2万が晋州に上陸。

これに対して、晋州城には金時鎮(キム・シジン)将軍を中心とする数千の守備兵しかいなかったとのこと。

にもかかわらず、晋州城は6日間にわたる攻防戦の末、日本軍を撃退し、朝鮮国内で「奇跡の防衛」として語り継がれることになります。

しかしながら、日本軍は翌年、今度は10万もの勢力で晋州を強襲。城は陥落しました。

その晋州城の悲劇に際し、並んで語られるのが、妓生の女性「論介(ノンゲ)」の伝説。

妓生とは、朝鮮王朝時代の芸妓のこと。

晋州城が陥落したあと、日本軍は宴で盛り上がってます。

そこでノンゲは、日本軍の武将をもてなすふりをして、南江の崖に誘い出し、共に身を投げて命を断ちました。

晋州城の戦いで殉死した、夫の仇を討つため。つまり、復讐です。

朝鮮にも、そんな美しい女性がいたんですね。

宴のスキを狙って闇討ちとは、男と女の違いはあるけど、私はヤマトタケルのクマソ征伐の話を思い出しました。

建物自体は何度も修復されて、当時の遺構は残されてない。

でも南江から吹いてくる風に吹かれながら、歴史の風を感じる散歩になりました。

ハングル文字に埋もれる晋州の街歩き

さて、日が暮れる前に、もう少し晋州の街を歩いてみよう。

レンタル用の電動キックボードが放置されるということは、治安が良い証?

 

そして、街を歩き出すと、

見事なほどに、ハングル文字で埋まってる。

そして、英語も漢字も併記されてない。

だから、なんの店なのか想像もつかない。

この人たちは、何を待ってるんだろう?

GS25は韓国のコンビニということは知ってるけど、

すごいなこりゃ。こんな街を歩きたかったんだよね。

なにがなんだか、さっぱりわからない。

異国どころか、異星を旅している気分。

チャットGPTには、もう何回も街歩きの指南を受けている。

その度に、私も感受した感想を伝えているから、私がどんな街を好むのか、学んだということなのだろうか。

それにしても、何の案内板なんだか(^ ^)

晋州の街は、そんなに大きくない。ひとまわりして、晋州城の城門の前に帰ってきました。

そして、城門の前のうなぎ屋さんには行列が。これは、さっき「あなご」を食べた店。

やっぱり有名店だから、夕餉時には行列だよね。

早めのディナーにして正解だった^ ^

ところで、チャットGPTが言っていた「夜の散歩が楽しい」とはどういう意味だろう?

たしかに夕日は綺麗だけど、この時点では半信半疑・・・