さて、「高松塚古墳」を見学した私は、自転車のペダルをこいで次の目的地「橘寺」へ。
「橘寺」は聖徳太子生誕の地として有名ですが、その前にヘンな形をした石の前を通ります。
洪水伝説もある「亀石」
うん、カメに見えないこともないが・・、若干こじつけかなw
この、「橘寺」へ行く途中の小道沿いにある由来不明の「亀石」。
花崗岩でできているそうですが、カメが西を向けば大和一帯が大洪水に見舞われるという、いわゆる洪水伝説が残されています。
聖徳太子生誕の地「橘寺」
さきほどの「亀石」から自転車で1分程度の距離にある「橘寺」。
「亀石」のほうから来ると「西門」からアプローチすることになりますが、正門は「東門」とのこと。
しかし、観光客はほぼすべて「西門」から入るみたいです。
チケットを買うと、「往生院の天井画は写真撮っても大丈夫ですよ。」と声を掛けられる。
私がでっかいカメラを提げていたからだろうか。
さて、聖徳太子生誕の地といっても、建造物は焼失をかさね復元されたもの。
境内に入るとすぐ、馬小屋に似た「お手洗い」が目につきますが、まさかあの隣で生まれたわけではないでしょう(^^)
聖徳太子の愛馬「黒駒」
続いて目に入るのは、聖徳太子の愛馬であった「黒駒」。
この馬は空を駆けたとの言い伝えもあるそうですが、仏教をめぐる物部氏との戦いにも、これにまたがって出馬したのでしょうか。
35歳の聖徳太子像 本堂
こちらが「橘寺」の「本堂」。御本尊は35歳当時の聖徳太子の姿とか。
創建時は講堂だったそうですが、現存の建物は1864年に再建されたものです。
本堂から、さらに奥へ足を進めると「蓮華塚」という立札があります。
「大化の改新」のとき、これを一畝(36坪)と面積の基準として定めたので「畝割塚(うねわりづか)」とも呼ばれている、と記載があります。
「大化の改新」なんて聞くと、飛鳥時代を歩いてるんだな、という気分にはなりますね。
さらに、奥へ歩みます。こちらの建物は経堂。
「往生院」の見事な「天井画」
さて、入り口の巫女さんにも声をかけられた「往生院」の「天井画」なるものを拝見しましょう。
阿弥陀三尊の部屋はあちらですね。
おお、これはすごい。
言葉がいらない美しさです。
著名な画家から260点もの絵が奉納されているそうです。
往生院を出て、少し歩くと目に入った「回廊跡」。
これは、創建当時の橘寺の「回廊」だった場所。
と考えると、今の本堂よりもかなりの大きさということになります。
人の心の善悪を表す「二面石」
最後に「二面石」を拝見。
人の心の善悪を表しているとのことですが、さて、右側と左側、どちらが善でどちらが悪でしょうか?
こちらは「左面」です。
うかつにも「右面」を撮り忘れたので、引用させていただきます。
これは、好みの問題になってしまいそうですが、「右が善」そして「左が悪」だそうです。
この石がなぜ造られたのかわかっていないようですが、聖徳太子が亡くなる際に残した言葉「世間虚仮 唯仏是伸」。
世間はロクなものではなく、仏の世界だけが正しい。
そんな言葉がしみいるような、橘寺の静かな境内でした。