いよいよ飛鳥時代の真打ち「飛鳥寺」を訪れます。
いうまでもなく仏教をめぐる争いで物部氏を滅ぼした蘇我馬子が、強大な権力を誇示するべく渡来人の技術を使って建立した日本初の本格的寺院。
建立は596年とされ、聖徳太子が推古天皇の摂政となった3年後のことになります。
当時の伽藍は、法隆寺の3倍はあったとされてますが、現在はほとんどが田畑に回帰しています。
日本最古の本格寺院であった「飛鳥寺」
現在の建物は、当時の華やかさを感じさせることなく、ひっそりとしたムード。
しかし、飛鳥時代の味わいは、建造物よりもストーリーにあると思うのは私だけだろうか。
ここ「飛鳥寺」は、日本初のクーデター「大化の改新」で、蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏の逆襲に備えて、陣を構えた場所です。
西門を出て西方を見渡すと、蘇我入鹿の首塚を隔ててなだらかな丘が広がっています。
あれこそが「甘樫丘」。蘇我氏の館があった場所です。
あと23年もすれば、大化の改新から1400年。
なんといっても、日本最初の元号ですから、それなりの式典があるでしょう。
私の背後には、結構な数の観光客がいるんですが、とても静か。
中大兄皇子の靴はどのへんに飛んだのかな・・もっと西のほうかな。
では、本堂の中にある本尊を拝みに行きますか。
本尊飛鳥大仏 日本最古の仏像
伽藍は跡形もありませんが、この仏像は正真正銘の創建当時609年からのもの。
ただし、原形をとどめるのは顔と右手の人差し指だけだそうです。
写真を撮ってもよいというのは住職さんにたずねてわかってました。
ところが、ほかの観光客はそれを知らなかったようで、私の一眼レフのバカでかいシャッター音が響くと、「あれ、いいんですか?」といった感じで、みんな撮りはじめました!(^^)!
座っていても身長は約3m。鞍作鳥(くらつくりのとり)という朝鮮の仏師が、銅15t、黄金30kgを用いて造ったそうです。
凛々しい表情の「聖徳太子孝養像」
見れば見るほど凛々し表情の16歳の時の「聖徳太子」。
手に持っているのが「しゃく」ではなく、香炉なのは、病気になった父用明天皇の病気回復の祈願をされている姿だからとのこと。
本堂の中の回廊を散歩。
飛鳥時代の旧跡。
韓国との間にこんな協定があったとは・・
この時代の朝鮮半島は日本の大先輩だったとしても、ちょっと信じられません。
中大兄皇子と中臣鎌足がクーデターを企てるきっかけとなった「蹴鞠」。
「飛鳥寺」の人気はこの通り。
外国人が来ていた頃は、もっとすごかったのかな(^^)