【秋の奈良一人旅 #6】自転車で巡る「飛鳥時代」のむら「明日香村」

今年(2022年)は「聖徳太子」没後1400年に当たる年。

その「聖徳太子」の存在をめぐって、1400年もたってから論争が起きようとは、当の本人も大いに驚いていると察します。

ちなみに、「聖徳太子」としての人物は「厩戸皇子」として存在したのは事実で、「十七条の憲法」や「冠位十二階」などの功績を、すべて彼一人でやったのか、という点に焦点があてられているようです。

でも、私の生きてきた世代からすると、「聖徳太子」は紛れもなく日本の立ち位置を進化させた偉大なる偉人。

仏教という新しい文化を積極的に取り入れ、小野妹子らの遣隋使を派遣する外交でも手腕を発揮。

「一度に10人の話を同時に聞き分ける」などというエピソードも、さしずめ総合商社の辣腕ビジネスマンを彷彿させます。

本日は、「聖徳太子」の歩いた時代「飛鳥時代」をしのぶべく、「明日香村」を歩く予定です。

明日香村散策の拠点「飛鳥」駅へ

さて、週末2日間を使っての奈良一人旅。

「ならまち」に一泊した私は、近鉄電車に乗ってふたたび奈良盆地を南下。

「明日香村」散策の拠点、「飛鳥駅」までやってきました。

「ふたたび」と書いたのは、昨日「長谷寺」を歩いて、その後「ならまち」に泊まってるから。

つまり大和八木と奈良の間を往復しちゃってるんです。

これは、今朝早くの「ならまち」のようす。まだ眠ってますねw

奈良の地理に弱いばっかりに、効率の悪いスケジュールになってしまいました。

橿原神宮あたりに泊まればよかったかな!(^^)!

帰りに京都から新幹線に乗るとなると、1往復半。ちょっともったいなかったね・・

しかし、ともかく「飛鳥駅」にやってきました。

本日は、「飛鳥時代」が展開された奈良盆地の南端、現在の高市郡明日香村を、自転車でサイクリングする計画。

しかしながら、聖徳太子の代名詞ともいえる法隆寺は飛鳥ではなく斑鳩に建立され、遣隋使の派遣も「聖徳太子」が斑鳩に移ってからの出来事。

この飛鳥の地のにおいは、蘇我氏のほうが強いかもしれない。

ところで、「あすか」という言葉には「飛鳥」という文字があてられるのが一般的です。

最寄り駅も「飛鳥」駅。「飛鳥神社」というのもある。しかるに村の名前は「明日香村」となっている。

これには諸説あるようですが、当時日本には漢字がなく、「あすか」という呼び名に「飛鳥」「明日香」両方とも用いられていたらしい。

現在の「明日香村」は、3つの村が合併してできた村であり、そのうちの一つにすでに「飛鳥」が使われていたため「明日香」としたのが現代的解釈となります。

「明日香レンタサイクル」で飛鳥の地へ

レンタサイクルの情報はネットで調べておきましたが、シーズンになると、すべて出払ってしまうほど人気があるとのこと。

今日は、晩秋の一歩手前ともいえる11月14日。

シーズンといえばシーズンなので、早起きして飛鳥駅前の「明日香レンタサイクル」にやってきたわけですが、なんと電動アシストは売り切れ・・

「若いから大丈夫よねえ。」と、店のおかみさんは言ってくれるけど(^^)

そんなに若くないんだけどな・・と思いながら、いただいたマップを眺めます。

モデルコースに従って、4時間もあれば主要どころは回れるかな・・

京都を15時くらいに出る新幹線には乗りたいし。

最近はクルマで通勤しているので、久しぶりの自転車。

心地よい秋の風を浴びながら、飛鳥路をサイクリングです。

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