さて、奈良県には、いくつの世界遺産があるかご存じですか?
正確には、3つです。
- 法隆寺地域の仏教建造物
- 古都奈良の文化財
- 紀伊山地の霊場と参詣道
そして、この「古都奈良の文化財」を構成する建立物が8つあり、その中に「興福寺」と「元興寺」が含まれています。
これから「ならまち」に近い、その2つの寺院を訪れてみようと思います。
ちなみに、奈良県の世界遺産を一覧にすると下の表の感じです。
今回は週末を使って、まったりと歩いていますが、計画的にすべて踏破したいですね。
※リンク先は、すでに訪れたことがある場所です。よろしければどうぞ。もう少し計画的に踏破すべきかな・・(^^)
法相宗の大本山「興福寺」
さて、東大寺や春日大社ではなく、興福寺に来たのは、まだ訪れたことがないから。
いや東大寺も修学旅行の時だから、ひょっとしたら来てるのかもしれない(^^)
三条通から左に、南大門跡から入ると、いきなり朱色の「中金堂」が目に入ります。
1717年に焼失し、300年ぶりに再建された真新しい建物です。
国宝:五重塔
しかし、なんといっても、興福寺のメインテーマは高さ50mの五重塔でしょう。
外国人観光客はいなくても、週末を利用した旅行者や地元の人たちでにぎわってます。
京都・東寺の五重塔についで日本で2番目に高い高さ50m。
730年に藤原不比等の娘・光明皇后が創建。
現在の姿は1426年の再建だというから、約600年前。
クレーンもない時代に、よくこの高さの塔をつくったものです。
ところで五重塔は、これから大規模な修繕工事。120年ぶりとのこと。
国宝:東金堂
朱色鮮やかな「中金堂」とちがって、重厚感ある趣の「東金堂」。
創建は726年、現在の建物は1415年の再建。
円柱が並ぶ姿は奈良時代の建築様式ですね。
法隆寺のエンタシスのように、真ん中は膨らんでいません。いや、少しはふくれてるのかな・・
それにしても、さきほどの五重塔ともども、応仁の乱の前の建築なのに、奈良という場所に救われましたね。
ちなみに、興福寺の境内の様子はこんな感じです。
さて、では南円堂を経由して、元興寺に向かいますか。
1789年再建の南円堂。
西国西国三十三所の第九番札所でもあります。
午前中に訪れた「長谷寺」が第八番だったので、たまたま連番の訪問となりました。
南大門のはずれに位置する三重塔。
高さは19.1mですが、五重塔より歴史は古く、興福寺において最古の建物です。
静かな世界遺産「元興寺」
さて、コロナ明け(でもないけど)で観光客でにぎわっていた「興福寺」に反して、こちら「元興寺」はひっそり。
東門から入ると、目に飛び込んでくるのが極楽堂(本堂)。
国宝にも指定されている「本堂」は、平城京遷都にともなって、飛鳥の地からここに移されたもとの法興寺が前身。
その法興寺は、蘇我氏が建立した日本最古の本格的仏教寺院だそうなので、なんという歴史の古さ。
明日は、飛鳥の町を歩いてみたくなった(^^)
世界遺産構成資産なのに、人っ子一人いない。
「ならまち」は、観光客がけっこう出回ってるのに、不思議な気分。
このあたりは、京都・宇治の「宇治上神社」にも似通っています。
本堂の裏手へ。
本堂のうらにあるのが、切妻造、本瓦葺四間四面の「禅室」。
1400年前! 日本最古の古式瓦
ところで、この本堂の北側と西側、そして禅室の南側の屋根瓦には特徴があります。
丸瓦と平瓦が重なり合う珍しい屋根表現。(上の画像です)
たしかに、本堂の東側、すなわち正面の瓦(下の画像)とは趣が違う。
この特徴ある瓦は、飛鳥時代の法興寺に使われていたものが、運ばれてきてそのまま使われているといいます。
その数170枚。つまり、このなかの170枚は1400年前の瓦ということですが、さて、どれがその骨とう品でしょうか(^^)
どこまでも静かな世界遺産「元興寺」。
有縁無縁一切の霊を供養して極楽カエルへ成就してくれるという言い伝えの「かえる石」。
毎年7月7日には、かえる石供養が行われているそうです。
飛鳥小学校発祥の地。
これは、もちろん、飛鳥時代に小学校があったわけではなく、明治6年(1873年)、当時の学制をもとに、元興寺極楽院の禅室を仮校舎とした「研精舎」を指すそうです。
そう聞くと、校舎のようにも見えてくるから不思議。
本堂に一礼して、「元興寺」の見学終了。そして、本日の奈良歩きも終了。
旅館「白鳳」に戻って、もう一度温泉に浸かり、酒でも飲みながら明日の予定でも考えるとしましょう。