朝から、「建仁寺」とその塔頭「正伝永源院」と「両足院」を回りました。
さすが京都だな、と思うのは、ここは祇園。すなわち、京都の代表的な歓楽街。
にもかかわらず、そんなところにいるとは思わせないような落ち着いた空間だった「正伝永源院」「両足院」の2つの塔頭には感銘を受けました。
この2つの塔頭が、私が訪れたこの晩秋に特別公開中だったのは幸運なことでした。
さて、せっかく祇園にいるのだから、あと一つ二つ、紅葉の映える寺院を回りたいと思います。
このエリアには、「高台寺」という豊臣秀吉ゆかりの紅葉の名所があるので、そこへ向かいつつ、その塔頭の「圓徳院(えんとくいん)」をたずねてみようと、祇園の町を歩きだしました。
「両足院」から「圓徳院」へ
「建仁寺」の境内から「安井北門通り」へ出て、東に歩きます。
もう、この時点で雰囲気あります。
この先には、撮影禁止で有名な石塀小路がありますが、私は、そんな気取った撮影禁止な場所より、普段着のストリートの方が好きです。
しかし、かっこいいお店も、中の様子がわからないと入りにくいよね。
男女の仲だけでなく、たばこや酒、病気との縁を切ってくれるという「安井金比羅宮」。
東大路通に出ました。ここから石塀小路を通りつつ「圓徳院」に向かいます。
法観寺八坂の塔と着物の女性の組み合わせ。
撮影禁止の石塀小路
さて、ここが石塀小路の入り口。
ここから「撮影禁止」エリアとなるのかな・・・
なんか、一眼レフを提げてるだけでも、咎められそうな雰囲気・・
「圓徳院」は「円徳院」と書いてもいいんですね。
「撮影禁止」の石塀小路を歩きます。
まあ今は、「なんで撮影禁止なの?」といった感じの静けさですが、ひどいときは撮影会や外国人観光客などもまじって、ひどい騒音なのでしょう。
住民の方からしたら、たまったものではないですね。
コロナ渦の今、私の前後に、歩いている人はいません。
こんな石塀小路なんて、何年ぶり、いや何十年ぶりの現象なのでしょうか。
ところで、2020年の7月。今よりもっと人が少なかった頃、「寧々の道」を歩きましたが、そっちからみた石塀小路です。
さすがに雰囲気ある。
外国人観光客がはしゃぎたくなる理由もわかりますね(^^)
これは、すべて「寧々の道」から望遠レンズで撮ってます。
そして、ここが「石塀小路」から「ねねの道」への抜け道。
この門くらい撮ったっていいよね(笑)
小路というより、お店の中です。
ねねの道に出ました。
7月にもきた「ねねの道」。ここはもう撮影禁止ではありません。
なんか、緊張が解けていくのを覚えます。
豊臣秀吉の正妻・北政所ねねが晩年を過ごした「圓徳院」
では、祇園のかくれた紅葉の名所「圓徳院」に参りましょう。
「圓徳院」は臨済宗建仁寺派のお寺。
高台寺の塔頭ではありますが、建仁寺派なんですね。
チケットを買うとき「このあと高台寺にも行かれますか?」と声をかけられ「YES」と答えると、割引券をいただきました。
親切ですね(^_^)
豊臣秀吉の正妻・北政所(ねね)の終焉の地として知られている「圓徳院」。
77歳で亡くなるまでの19年間を過ごした場所です。
方丈の座敷にあがり、いきなり現れるのが「南庭」。
かなり散ってしまってはいますが、見事な紅葉が出迎えてくれました。
「南庭」だから、よく日が当たります。縁側に腰かけてひなたぼっこを楽しみます。
方丈の内部。
見事な襖。「雪月花」だそうです。
さっき通った小路は「ねねの小径」と呼ぶんですね。
「北庭」に通じる渡り廊下。
「ねねの小径」を見下ろします。
いつも思うけど、雨の日に、こういった回廊を歩いてみたい。風情あるだろうな。
これなんかは、実際にねねが使用していた家具でしょうか。
最初は「ねずみ」かと思ったら、キツネでした。
江戸時代、「御所周辺に出没した妖怪」だそうです??
今でも住めそうな「歌仙の間」。
「北書院」から眺める「北庭」の紅葉
方丈からずっと歩いてきて、誰とも会わなくて、「拝観者は誰もいないのかな・・」なんて思っていたのですが、いました。
巨岩岩石を用いた桃山時代の石組みが原型をとどめる枯山水の「北庭」。
11月30日ですが、紅葉はまだ拝めましたね。ありがたいことです。
ところが、誰もどいてくれない(笑) まいいか。
北政所ねねが亡くなったのは1624年。
晩年の19年間をここで過ごしたということは、1605年から。
その間には、大坂夏の陣もあり、豊臣氏が滅ぼされるまでの19年間と言ってもいいかもしれない。
その以前にも、本能寺の変あり、清須会議あり、太閤さまの朝鮮出兵などもあり、波乱万丈の人生だったんだな、とふと思いました。
秀吉の正妻ねねゆかりの「圓徳院」でした。