さて、「ユーゴスラビア」という国を知っていますか?
もちろん、今は、そのような国名はありませんが、1992年までは存続していた国家なので、耳にしたことのある方も多いと思います。
「ユーゴスラビア」とは、直訳すると、南のスラブ民族の国。
私は、スラブ系の人たちと聞くと、東欧やロシアなど、ヨーロッパの東側に広がる、とても美しい男女の民族、という、いい加減な知識しかありませんでしたが、あらためて、ユーゴスラビアという国の歴史を紐解いてみると、実はスラブ民族はエリアや言語などにより、かなり細かく分類されるようです。
そして、「ユーゴスラビア」は、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、が入り混じる1つの国家であったらしい。
これだけ多種多様な民族や文化が南スラブのバルカン半島に集中しているので、古代から紛争が絶えなかったようです。
現代では、隣のオーストリアなどがゲルマン民族であり、またオスマン帝国とも隣り合わせ。
宗教の観点からみても、キリスト教とイスラム教がぶつかり合うエリア。
バルカン半島はヨーロッパの火薬庫などと呼ばれ、サラエボ事件をきっかけに、第一世界大戦が勃発してしまいました。
↑これは、私の娘が描いたサラエボ事件のイメージ。上手? かな(^^)v
サラエボ事件とは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを視察に来ていたオーストリアの皇太子フランツ・フェルディナント夫婦が、セルビアの青年に暗殺された事件。
考えてみれば、当時のボスニア・ヘルツェゴビナは、オーストリアによって併合されていた場所。
そんなところに、ゲルマン民族であるオーストリア人が公式訪問とはいえ、よく訪れたものだな、と思います。
私的には、大日本帝国時代の伊藤博文が、ハルビンで暗殺されたのに重なりますね。
今だったら、トランプさん。
メキシコシティやパレスチナ、あるいはテヘランの街を、丸腰で歩けますか(笑)
ところで、ユーゴスラビアという国がなくなったときには、私はすでに社会人になっていたため、現在に至る経緯を学校で学んでないんです。
ニュースなどでしばしば目にし耳にしていた、バルカン半島を中心とするユーゴスラビア紛争。
どことどこが対立してるの? そもそも、紛争の原因は何?
全く理解せぬまま、紛争によって、国が次々と分割されていくユーゴスラビア。
ずっと、行ってみたいと思ってました。
ユーゴスラビア紛争は、一言で言い得るには難しいとは思いますが、
セルビア人 VS 独立を求める他の民族
という図式で語れると思います。
民族が独立し、国が分かれていった経緯は、だいたい次の通り。
- 1991年にスロベニアが独立。そして、クロアチア、マケドニアと続いて独立。
- 1992年には、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立。
- 2003年には、元のユーゴスラビア連邦は、セルビア・モンテネグロと国名を変更。
- 2006年には、セルビアからモンテネグロが独立。
- 2008年には、やはりセルビアから、コソボが一方的に独立を宣言。
たった5行で、現在に至るまでの経緯を記してしまいましたが、当然そこには、凄惨な犠牲を払った紛争がありました。
特に、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争は、3年半以上に渡って死者20万人以上を出した、大変な内戦に発展してしまったそうです。
コソボの独立に関しても、セルビア側は、現在もそれを認めていない。
セルビア側からコソボに行けても、コソボ側からは、セルビアには入れないこともあるらしい。
日本では、失われた30年と形容される平成という時代に、常に紛争が絶えなかった旧ユーゴスラビアの国々。
その間に、私も大人になり、時間と少々のおカネを自由に使える身になって、ようやく、旧ユーゴスラビアに行けるときがやって来ました。
相変わらずの弾丸旅行なので、どこをどう訪れたらいいのか悩むところですが、今回はまず手始めに、かつてのユーゴスラビアの首都ベオグラードのあるセルビアと、その隣国、まさにサラエボ事件のあったサラエボを首都とするボスニア・ヘルツェゴビナ。
他の国にも行きたいけど、さすがに時間が許さない。3泊5日では、2カ国が限界です。
でも、今回はそれで十分。
美しい中欧の街並みと、美しいスラブ系の男女の姿を、民族同士の紛争に重ね合わせながら、楽しんでこようと思います。
実際の、旅の様子は、本編でお知らせします。では。