ブハラを観光する多くの人は、列車または飛行機でこの地に降り立って、まずは旧市街に向かうことになると思う。
そこからおもむろに、徒歩圏内のカラーン・モスクなどをたずねようとすると必ず通る場所がある。
それが岩でできたアーケードのような商店街「タキ」である。
いったい、タキ(Taqi)とは何か。
それは、ブハラやサマルカンドでもみられる、旧市街の路地が交わる交差点に築かれた「ドーム型バザール」のこと。
プロフでお腹いっぱいになった私は、涼を求めて、その「タキ」に向かって歩いて行きました。
交差点型の屋根付きバザール「タキ」
ブハラ旧市街の中心には、「タキ」がいくつかあるようで、ラビハウズから5分も歩かないうちに、その「タキ」らしき建物が見えてきました。
語源はペルシャ語の「タク」=「アーチ」に由来しているとのこと。
構造的には、四方に通路が伸びる交差点上に、丸屋根をかけ、内部に店舗が並ぶ構造をしており、
風通しよく、日光も取り入れ、そして雨季には雨除けになるなど、気候に最適化された、中世からの都市設計の一環です。
まさに交差点で、たたずんで見てると、四方八方から、
バイクや自転車も突っ込んでくるので、油断はできません。
涼むつもりで来たのが正解。
とても風通しがよくて、日中の炎天下がウソのように冷んやりしてます。
加えて、最も暑い午後15時。観光客はホテルで涼をとってるのでしょう。
見物人少なめで、客引きもなく、ゆっくりと見学できます。
ブハラにおける「タキ」の建築は、16世紀後半、アブドゥッラーフ2世の治世の時期に最盛期を迎えたとされます。
この時代、ブハラはシャイバーニー朝から派生したアストラハン朝ブハラ・ハン国の中心都市。
モンゴル帝国の襲来から復興し、中央アジアのイスラム文化・学問・商業の中心地として繁栄していました。
アブドゥッラーフ2世は、復興に際し宗教建築や公共インフラの整備を重視。
マドラサ(神学校)、モスク、キャラバンサライ、そしてバザール構造を一体的に整備していく中で、自然とそれらが交差する「タキ」が都市機能の中心となっていきました。
どれもこれも美しい刺繍。
これは観光客向けの土産物であり、また市民の生活用品でもあるようです。
タキにも名前がついていて、ここはおそらく「タキ・テルパクフルシャン」。
意味は「帽子商のタキ」。伝統帽子や頭飾りを商う職人のバザール。
たしかに、そんな感じに見えます。
出口が見えます。別のタキに行ってみましょうか。
ペルシャの風をまとうシルクロードの交差点ブハラ
気温40度と、最も暑い時間帯のブハラは、さーッと人がいなくなる。
こんな時間に、一生懸命日焼け止めクリーム塗りながら歩いてるのは私くらいだけど、
ブハラの旧市街は、ほんとに不思議な構造をしている。
迷路のようで迷路でない。いつまでも歩き続けられるという感じ。
また「タキ」が現れました。
「タキ」は路地と路地を結んでいるので、さしずめ古都の城壁のようでもあります。
青い空を背景にして、私は今までの旅歴でイランのイスファハーンを思い出しました。
しかし、イスファハーンのバザールが想起されたのは偶然ではなく、実際、ブハラのタキ建築はペルシャ建築の影響を強く受けています。
色とりどりの絨毯が並ぶドーム型バザールの下を通り抜けていく風は、まさにペルシャの香りだ。
イランなどペルシャ地方を旅したことがある人なら、この光景はまさにイランを想起させるもの。
絨毯だけではないです。
こちらの「タキ」は、「タキ・ザルガロン」。
「金銀細工職人のタキ」だそうです。
こんな鮮やかで複雑なデザインを、どんな工房で作っているのかと思う。
お守りだ・・・懐かしい
キャラバンの旅人たちも、日除けを求めて休んだのだろうか。
懐中時計もある。
「深夜特急」の沢木耕太郎さんが、イランのバザールで値切りに値切って手に入れた懐中時計を思い出しました。
店の奥には、職人たちの工房が。
そして、旅人のためのキャラバンサライ(商人の宿場)や風呂場もあるらしい。
考えてみれば、ここブハラからイランのマシュハドまで500キロ程度しか離れていない。
地理的にも、ペルシャの雰囲気を感じるのは、必然でした。
当時の商人や旅人は、馬やロバをお供に移動してたのだろうか。
ドームの下で物思いにふけっていると、そんな光景が目に浮かびます。
当時売られていたものと比較をしてみたい。
やっぱり、外は暑そう(^ ^)
街をひと巡りして、ラビハウズのほうに戻ってみると、
灯台下暗しで、ホテル近くにもタキがありました。
しかし、このタキは、改装中なのか閉鎖されたのか、定かではありません。
地図によると、「タキ・サラフォン」。
意味は「両替商のタキ」。かつては金貨や銀貨、宝石などが取引された金融の中心だったようです。
街のどこからでも目にとまるタキ。
タキは、観光地でもあり、この街の息づかいそのものでした。