2021年後半から、めっきり更新頻度が落ちた旅ブログ。
理由は「旅に出ていない」からだが、自室に閉じこもって、日常を反すうするのもまたよし。
目を閉じて、2021年を振り返ったりしていると、どこからともなく雪国に行ってみたい衝動にかられ、「松之山温泉」でひとり雪見酒した旅がブログの1100記事めだった。
「旅」とは史跡めぐり?
先日、「飛鳥」を旅した。
旅立つ前は、特に意識しなかったのだが、飛鳥といえば、日本史において記録の残る最古に属する時代。
1400年以上たっているのだから、残されている建造物は少ない。
しかし、蘇我入鹿の首塚の前に立って、甘樫丘を眺めた時、どことなく、神々しい張り詰めた空気を感じたものだった。
もちろん、観念によるオカルト的な感触ではあるが、その土地の地形や雰囲気などが、そんな気にさせる論理的な整理もできると思う。
あらためて日本という国を見つめなおしてみると、実に歴史深い国であることに気づく。
エジプトやローマ帝国のように、紀元前からの歴史を持つ国と比較しても仕方ないが、日本は記録が残されている誇るべき歴史ある国、だと思う。
そう考えると、日本は史跡だらけだ。
そして、旅が好きな私は、無意識のうちに、史跡や旧跡のうえに立ち、過去の有事の張りつめた空気を楽しんでいたのかもしれない。
たとえば、私は韓国への旅は二度しかないが、そのうちの一度は「白村江の戦い」の舞台「扶余(プヨ)」を訪れている。
「飛鳥」の大地を歩む前に、その7年前に飛鳥時代の世界大戦ともいえる「白村江の戦い」の地に立っていた。
あまり意識したことはなかったが、私にとっての旅とは「史跡めぐり」といった一面もあったのかなとも思う。
日本の歴史の学び直し「日本国紀」by百田尚樹
というわけで、若干こじつけ気味ではあるが、日本の歴史を学び直したくなった。
「日本史」と私のかかわりは、高校では専攻しなかったので中学以来。
そんな人間が歴史を学び直すとなると、文献も限られてくるが、たまたま書店に寄った際に積み上げられていたので手に取ったのが、百田尚樹氏による「日本国紀」。
上下巻にわかれ、手ごたえのある重量感もさることながら、縄文時代における日本の誕生から令和にいたるまで、あますことなく日本のあゆみが綴られているので、物語として一気に読めてしまう。
失礼な言い方かもしれないが、歴史という科目にうまく付き合えず悩んでる学生さんなんかは、一読するとよいと思う。
歴史は暗記するものではなく、ストーリーとして掌握するものだ。
2018年に発刊された本書は、その後も加筆が続けられ、2021年に文庫化。
上下巻のわかれめは、それこそ天下分け目の関ヶ原あたりかな、などと想像してページを繰ったら、なんと下巻は明治維新以降のみ。
つまり、上巻で古代から近代までを描いてしまい、下巻では「世界史における日本」に特化したボリューム配分である。
単なる史実記ではなく、氏の意見がストレートに入った描写になっているので、特に下巻の表現は、多方面で論争を呼ぶ展開になっているのも面白い。
百田尚樹氏は、時事ネタに問題提起し続ける存在感抜群の極右派の作家。
明治維新でいったんは目が覚めたが、今もって再び日本国が平和ボケしてるのを見過ごせない、氏の心意気であろうか。
と、そんなところまで力まずに読んでも、あるいは辞書代わりにするのもよい、日本ヒストリーである。
神国「日本」を初めて学ぶ「いちばんやさしい古事記の本」by沢辺有司
論争に巻き込まれると疲労感を呼びそうな「日本国紀」に対し、こちらの論争は、ある意味夢のある論争だ。
「古事記」「神話」の世界。
すなわち、日本の成立から古墳時代あたりまで、いわゆる「日本史 空白の4世紀」とも称される謎に包まれた時代を、定説に基づいて解説してくれるのが「いちばんやさしい『古事記』の本」である。
まず最初に感想を申し上げると、本書はものすごく面白かった(^^)
「古事記」というものが、義務教育に組み込まれていない現在、必要な日本国教養として、もっと取り上げられてよい話題だと思ったのが、最初の感想。
「古事記」は、なんといっても、わが国日本の国家としてのアイデンティティを明確にするために、編纂されたものである。
もちろん、「神話」で表現された世界が、どこまでが真実で、なにが伝承なのか、諸説あるのは知ってのとおり。
しかし、どんな国であれ国の成立の描写にはバイアスがかかるのは当たり前であり、比較するのも畏れ多いが、旧約聖書だって神からはじまり、土地が与えられ、民が治められていくストーリーである。
そのストーリーに対して、研究者がいて、大きな論争があるのも事実。
その論争を否定するつもりはないが、日本国の成立を「物語」として、そのストーリーに隠されたメッセージや謎について、想像を張り巡らせるのもまたよし。
すなわち、めいっぱい肩の力をぬいて「古事記」に触れあうのも、日本国の起源にアプローチする一つの方法だと思う。
「旅」とは「史跡」めぐりではないかと思い至った私にとっては、「神話」であれ「伝承」であれ、そこにゆかりある「島」や「神社」があるので夢がふくらむ。
「聖地巡礼」のような旅の楽しみ方もうまれ、それが事実だったのかどうかなど野暮な詮索であるというもの。
実は、恥ずかしながら私が「古事記」というものに触れるのは初めてだ。
たとえば、私は11月に「飛鳥」を旅したが「橿原神宮」の駅名票を見ても、初代天皇とされる「神武天皇」ゆかりの地であることが想像できなかった。
歴史や教養の予備知識があると、旅は何倍も楽しくなる。
「イザナキ」と「イザナミ」によって、はじめて産み落とされた島が淡路島であることも初めて知った。
そもそも、「島」が産み落とされることがあるはずないし、ヤマタノオロチという怪物も、そこから剣が出てくることも、実に荒唐無稽。
「神話」の世界は物語なのだから、荒唐無稽であればあるほど面白いのだ。
ちなみに、私が個人的にとても興味深く、そして足跡をたどってみたいと感じたのは「ヤマトタケル」である。
まとめ
日本国の歴史。実にミステリアスである。
即物的には、私が生活する日本という国が神国であるという再認識とともに、日本国内に行ってみたくなった場所がたくさん生まれたのが本当に嬉しい。
「伊勢神宮」をはじめ、「出雲大社」「高千穂神社」「熱田神宮」「焼津神社」など、すぐにでも行ってみたくなった(^^)
もちろん、史実と伝説の境目がどこにあるかもわからない「神話」の世界ではある。
しかしながら、「旧約聖書」がそうであるように、国の発祥が統治されていくストーリーを理解し、その後の史実に個々人の思いを馳せるのは、日本人として必要なことだと思う。
しばらくは、この2冊(下巻を加え3冊)を再読&旅のお伴とし、わが国日本を深く味わってみたい。