「古事記」に興味を持ったことを前回話しました。
そこで、手近な場所で、「古事記」ゆかりの地はないかな、と行ってきたのが「鹿島神宮」。
相変わらず、単純かつ速攻です(^^)
ちなみに、鹿島神宮は香取神宮・息栖神社とともに東国三社(とうごくさんしゃ)の一社。
ルーツとしては、江戸時代の人々が、「一生に一度は行きたい」社とした「伊勢神宮」。
ところが、関東からみると、伊勢つまり三重県はあまりにも遠い。
そこで、東国三社に参拝することは「下三宮参り」と称され、伊勢神宮に一度参拝するのと同じ御利益をいただけるという解釈がひろまった、とのことです。
鹿島神宮 西の一之鳥居への挨拶から
今回、ある日曜日の午前中だけ時間が取れたので、「行って来よう!」と思い立ったので、珍しくクルマでのアプローチ。
しかし、これが思わぬ収穫を。
東関東自動車道を終点の潮来で降り、国道51号線を鹿島神宮へ向かうと、途中北浦をまたぐ橋を渡ります。
その橋の上から見えたのが、この鳥居。
朝日に照らされて真っ赤に染まっていたので、すごく目立ちました。
ということで、ハンドルを切り、立ち寄った「鹿島神宮 西の一之鳥居」です。
もちろん「西の一之鳥居」なんていう名前は後で知り、このときは、「鹿島神宮」ゆかりの鳥居なんだろうな、と感心して見入っているだけ。
ところが、「西の~」というくらいですから、「鹿島神宮」には、このほかに「東」「南」「北」と四方に鳥居があるそうです。
そのすべてに立ち寄っていたら、「鹿島神宮」を歩く時間が無くなってしまうので、今回は「西の鳥居」にだけ一礼して、「鹿島神宮」を目指します。
ところで、私の背後には、民家が立ち並んでいます。
毎朝、雨戸をあけるたびに、鳥居が飛び込んでくるなんて神々しいと思うんですが、地元の人たちはどうなんでしょう(^^)
刀の神「タケミカヅチ」を祀る鹿島神宮
今まで意識したことあまりなかったけど、調べてみると、かなり奥の深い歴史観を持つ鹿島神宮。
武甕槌大神(タケミカヅチ)という「刀の神」が祀られています。
このタケミカヅチを知るために古事記の解説本を読んでみたんですが、これが面白い。
その昔、大国主(オオクニヌシ)という神がいて、出雲の地を治めていたが、高天原で世を見下ろす天照大御神(アマテラス)は、これが気にいらない。
アマテラスは、二度にわたり刺客をやるが失敗。
そこで、刀の神とされるタケミカヅチをおくりだし、武力で出雲を奪った。
これが、知っている人には有名な「出雲の国譲り」の一シーンですが、このとき自分の腕を自在に氷や刀に変貌させ、大国主を降伏させた戦士がタケミカヅチ。
ちなみに、このときタケミカヅチは、出雲を護ろうとした大国主の息子の一人を、長野県・諏訪湖まで追いかけて屈服させています。
と、ここまでは神話の世界なんでしょうけど、タケミカヅチと鹿島、あるいは東国との関係がわからない。というより諸説あり。
その諸説を読み解いていくと、武勇を誇る神なので、東国征伐との関係がクローズアップされてきます。
その強い力で東国を護ってきた鹿島神宮。
水で清めてから境内に参りましょう。
日本三大楼門のひとつ鹿島神宮の楼門
鳥居をくぐって、すぐに目にとまるのが、高さ13mの楼門。
日本三大楼門のひとつとされるこの楼門は、1634年に水戸光圀の父徳川頼房が奉納したもの。(あとの二つは、福岡県福岡市の筥崎宮と熊本県阿蘇市の阿蘇神社)
創建当初は白木造りでしたが、戦後になって火災からまもるために銅板葺となりました。
上部に飾られた文字は、日露戦争で指揮をとった東郷平八郎の直筆です。
ちなみに、鹿島神宮と並びたてられる香取神宮にも、東郷平八郎の直筆がありました。
日露戦争の勝因は、この二つの社の武運の力でしょうか。
楼門の左右には、それこそ力強い顔つきの随身像が安置されています。
ところで、この楼門をくぐって、反対側から眺めてみると、左右にこんな模様が。
稲妻はタケミカヅチのことなんでしょうけど・・
あとで調べると、赤い点は太陽を示す「アマテラス」。
そして、金色のほうは月を表し「ツクヨミ」だそうです。
タケミカヅチが稲妻で、いきなり「三貴子」のアマテラスにツクヨミでした(^^)
これだから神話の世界は面白い。
気のせいか、太陽より月のほうが大きく見えるけど大丈夫ですか?
4棟からなる社殿
楼門をくぐり、右手に現れるのが社殿。
本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟から成っています。これは一番手前の拝殿。
ところで、この拝殿の対面に宝物館がありますが、境内整備のため長期休館中。
この宝物館に保存されているのが、下の画像「日本最古最大の直刀」です。
出典:鹿島神宮 公式HPより
韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と呼ばれるこの剣は、長さ2.71mの文字通り日本一大きな直刀。
古事記において、のちの神武天皇となるイワレヒコが、高千穂の地から大和を目指す道中、苦闘にあった際、高天原のアマテラスがこの剣を献上し、みごと豪族たちを退けた、とあります。
休館中で実物を目にできなかったのは、なんとも無念・・
境内の奥に向かいます。
神々しい参道を歩く
ほんとに神々が舞い降りてきそうな参道を歩きます。
りっぱな杉並木です。
ちなみに、境内に植えてある松の木は、何度切っても枯れることがない「枯れずの根上がり松」という伝説が言い伝えられています。
鹿がいます。
タケミカヅチのお使いだそうです。
考えてみれば、奈良にも鹿がいるし、「鹿」つながりですね。
松尾芭蕉が、1687年に鹿島を旅したときに詠んだ句。44歳のときです。
君が代の「さざれ石」。そういえば、久しく「君が代」歌ってない・・
大改修中だった奥宮&地震を鎮める「要石」
さて、長い参道をゆったり歩いてきましたが、ごらんの通り「奥宮」は大改修中。
「奥宮」は、かつての本殿。
仕方がないので、さらに奥、「要石」に向かいます。
林道の途中でみかけたタケミカヅチ。ナマズとともに、地震を治めてください。
これを見て思い出したんだけど、その昔「太閤立志伝」という歴史シミュレーションゲームをやってて、鹿島にとんでもなく強いサムライがいたんだよな。
タケミカヅチからはじまる、東国に伝わる武勇伝なんですね。
さて、「要石」です。
香取神宮にもある「要石」とは、すこし形が違うらしい。
地中のナマズを治めてくれる「要石」。
最近、また地震が多くなっています。神の力を借りて鎮めていただきたいもの。
徳川光圀が、どのくらいの深さがあるか確かめようとしたが、一週間掘っても底に達せずあきらめたという逸話がある「要石」。
鹿島神宮最奥の秘境「御手洗池」
「要石」から参道に戻り、奥へ進みます。
そして、ちょっと広くなった場所にあるのが「御手洗池」。
一日40万リットルの清水が湧き出ています。澄んだ水が神々しい。
古くから禊の場として使われてきたそうで、現在も正月には寒空の下、禊を行う行事があるとか。
池もさることながら、大木を支える鳥居が力強い。
東国三社のひとつ「鹿島神宮」の散策でした。
「香取神宮」は行ってるし、残る一つは「息栖神社」。
水郷の地に似合う6月ごろ、訪れてみようか(^^)