西村京太郎の名前を知らない、日本の推理小説ファンや、2時間ドラマファンはいないだろう。
その多くの方は、「西村京太郎=トラベルミステリー」と刷り込まれてると思われる。
それは間違いではないのだが、氏はトラベルミステリー以外にも、実はかなりの本格ものの名作を輩出している。
なかでも、隠れた名作ともいえるのが「浅草偏奇館の殺人」である。
私は、氏がトラベルミステリーの第一人者として一世を風靡する前からのファン。
トラベルミステリーのブランドが、完全に氏を包む頃には、むしろ「いいや・・」という感じで敬遠していたのだが、本書は、なんとトラベルミステリー全盛の1996年に発刊されている。
「トラベルミステリー」は出版社の意向であって、氏には依然として書きたいものがあったという証であろうか。
前置きはこのくらいにして、さっそく紹介しよう。
舞台は昭和初期の浅草 踊り子が次々と殺されていく
舞台は浅草。時は昭和7年。1932年で、満州事変の翌年である。
政治の実権を軍部が握り、戦争の足音が着実に忍び寄っている時代だ。
当時、浅草六区は、そんな現実から逃避するように、芸人や踊り子が集まり、「エロ・グロ・ナンセンス」に酔うように、毎日劇場を賑わしていた。
賑わしていたといっても、それで懐まで賑わうのは、一流の芸人や作家のみで、偏奇館に集まってくる連中は、その日その日食ってくだけで精一杯。
そんな中、本書に登場する「私」は浅草偏奇館文芸部の脚本家だった。
氏の作品で、一人称は珍しいが、この「私」の目線で、ストーリーが進んでいく。
「私」に人生相談をもちかける十代の踊り子。
「私」とチーフ脚本家が協力して、徹夜で書き上げる脚本。
脚本を検閲に通すために、今とは比べようもない横柄な警官と対立する「私」。
という具合だ。
そして、偏奇館の3人の踊り子が次々と殺された。
「私」は、殺された踊り子の無念を感じながらも、偏奇館の舞台を盛り上げるために、葛藤しながらも、その「殺人事件」を舞台に取り入れていく。
満州事変当時の日本 とくに若者の目線がこまかく描かれている
当時の時代がどんなものであったのか知る由もないが、若者目線でこまかく描いてくれてるのが楽しい。
サラリーマンの一か月分の給料が100円。「私」の給料は60円だった。
当時、浅草の英雄「エノケン」は毎月1,500円の月給をもらい、毎日取り巻きと賑やかに飲み歩いていたらしい。
踊り子の年齢は十代後半。楽屋裏では、男芸人たちと一緒に、タバコの煙をあびながらシナそばを食べる。
世間には、「満州景気」が叫ばれ、不況が長く続く本土(日本)をあきらめ、満州へ行けばなんとかなるという一角千金組みがどんどん海を渡っていく。
そんな社会情勢の中、若者の心をとらえたのは演劇であった。
演劇にかける一途な情熱には感情移入する思い
私は、映画、演劇の類はほとんど観ない人間である。
それでも、演劇にかける若者の情熱が伝わってきて、正直うらやましくなった。
戦前の若者というのは、なにか目的意識を持たないと、精神を支えられなかったのだろう。
その一途な情熱には胸をうたれるばかりだ。
現代の浅草六区を歩いてみた
当時の様子を偲べるかの思いで、現在の浅草「六区ブロードウエイ」を歩いてみた。
両サイドは、国際チェーン飲食などが並ぶ、ごく一般的な観光都市風景になってはいたが、それでも、こんな劇場があり、雰囲気を感じとることができる。
今度、一度入って、どんなものか経験してみるのもいいと思う。
「六区花道」ののぼりの奥にスカイツリーが映えていた。
まとめ
切なくもほろ苦い、氏の作品の中ではベスト5に入ると思います。
ストーリーでは、「私」は偏奇館の踊り子の一人と結ばれるが、戦争に駆り出され、なんとか生きながらえて帰ってくると、妻も子供も戦死していた。
なんか、ミスチルの曲にもありましたよね。
哀しくなります。
現代は、戦争の足音こそ聞こえないものの、どこかそれに似た閉塞感があって、昭和初期に近いものがあるせいかもしれない。
なにか「自分の世界」をもっていないと死んでしまう、みたいな。
そんな若者の悲哀を、トラベルミステリーで名を馳せた西村氏が書いてるなんて、誰も存じないでしょう。
本書は間違いなく名作。
ちなみに、ラストでは、あっと驚くどんでん返しがあります。
当時を再現して、実写版にしてもいいのでは、とまで思うのは私だけだろうか。