ミリャツカ川は、サラエボの街を潤す、サラエボ市民に愛され続けている川です。
このサラエボの街を南北に分けている川には、いくつも橋が架かっていますが、これは、サラエボの中心部から見て、もっともバシチャルシア寄りの橋です。

旧市街であるバシチャルシアの散策は、午後にでも行うとして、川沿いに歩いて、対岸からバシチャルシアの風景を眺めてみるとします。
ミリャツカ川沿いの風景
川の流れはけっこう早いです。ところどころ、小さい滝のように段差になっています。

旧市庁舎であり、現在は国立図書館。
しかし、1992年の紛争では、書籍のほとんどが焼失してしまったとのこと。

国立図書館の前を通り過ぎるトラム。

トラム、なんかいいですねえ。どこかで乗ってみたくなりました。

市民の朝の散歩?

街の真ん中を大河が流れる街というのは、カイロ、ルクソール、蘭州、バラナシなど経験があるけど、こういう透き通った川が流れている街を訪れた記憶は、あまりありません。

チーンと音がした後は、スーッとトラムが通り過ぎていきます。

運転間隔はかなり短いです。それこそ、次から次へとやって来ます。

モスクも多いですね。

ラテン橋が見えてきました。

平和を祈り続けるラテン橋
サラエボ事件で有名なラテン橋。
オーストリア皇太子がセルビア人に暗殺されたサラエボ事件。

サラエボ事件が起きたのが1914年。今年は、それから105年目にあたります。

現在は、なにごともなく、トラムがスーッと通り過ぎる平和な橋。

橋の前にある博物館が事件現場。
フランツ・フェルディナント皇太子夫妻を狙撃したのは、セルビア人ガブリロ・プリンツィプ。
なので、橋の名前も、当時はプリンツィプ橋と名づけられていたそうです。

当時の様子。

狙撃犯のガブリロ・プリンツィプですね。

それにしても、民族問題に端を発し、1人の青年の行為が、3,000万人以上が死傷する大戦に発展してしまうとは。


ラテン橋を行ったり来たり・・・

ラテン橋の上から、ミリャツカ川を眺めたり。

欄干にこんなものがありました。何かのおまじないでしょうか?

よく見ると、いっぱいありました。平和を願っての祈りかな。

中国も進出してきているようです。

ちょうどラテン橋を渡った反対側に、キオスクがあったので、トラムのチケットを買えました。
セルビアと違って、乗り放題的なチケットがないので、行きと帰りの2枚をゲット。
1枚が1.6マルカ(104円)でした。けっこう高いな・・・

しばらく、ラテン橋のまわりをウロウロしてましたが、そろそろ違う場所に行きましょう。

バシチャルシアの散策
バシチャルシアの中をあてずっぽうに歩いてみることにします。
バシチャルシアは狭いので、まあ迷子にはならないでしょう。
建物の壁には、生々しい銃弾の跡が。

早朝に歩いたときは、お店が閉まってましたが、もう営業をはじめています。
なんか、ほんとに日本にいる気分だな。

また、セビリに。

セビリの横にあるモスク。ほんとにここはイスラムの世界だ。

観光客が出回りはじめましたね。今日は土曜日です。

水飲んでる人がいます。

鳩もいっぱいだ。

歩き疲れて、喫茶店に入りました。

入ったといっても路上席。こうして、道行く人を眺めます。

紅茶は、イスラム圏でよく見かけるグラスに入って出てきました。

チェックアウトの時間が迫ってきたので、そろそろホテルに戻ります。

モスクの中も少し見学して、

フェルハディヤ通りを西へ。

ホテルに戻ってきました。そして、チェックアウト。
眺めがよくて、スタッフがフレンドリーなホテルでしたよ。
