ユダヤ教の聖典旧約聖書において、神は6日で世界を創造した。
そして、パレスチナのカナンの地をアブラハムとその子孫に与える「約束の地」とし、紀元前13〜12世紀頃からカナンに住みはじめたのがユダヤ人である。
紀元1世紀には、ローマ帝国に滅ぼされ、国を持たぬ民族となり、行く先行く先ではイエスを処刑したユダヤ人として迫害を受ける。
土地がないので、営みは金融業が中心となり、富が集まることで、さらに恨みの感情がユダヤ人に集中した。
この2000年もの間、ずっとカナンの地に帰りたかったユダヤ人(シオニズム)。
最大の契機は第1次世界大戦だった。
オスマン帝国と戦っていたイギリスは、ユダヤ人の資金に目をつけ協力を依頼し、トルコからカナンの地を奪ったら、そこをユダヤ人に譲渡する旨を約束する(バルフォア宣言)。
ところが、その地には、従前からアラブ人やパレスチナ人が住んでおり、先住民がいる場所をイギリスは勝手にユダヤ人に売りつけた。
ユダヤ人のパレスチナへの入植はとどまるところを知らず、1948年にはイスラエルを建国。
後の4度にわたる中東戦争の引き金となる。

ユダヤ人の悲しい歴史を、思い切って要約すると、上記のようになる。
そのユダヤ人迫害の歴史において最大とされるのが、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって行われた「ホロコースト」だ。
第1次世界大戦の莫大な賠償金で疲弊したナチスドイツ(特にヒトラー)は、「ドイツのすべての不幸をユダヤ人のせいにすれば、国民を一つにまとめられる」と考えた。
そして、ユダヤ人を地球上から根絶させるため、ドイツ兵の手を汚さずに、最も効率的にユダヤ人を大量虐殺する施設とされるのが、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所である。
クラクフ⇒オシフィエンチム バスでのアプローチ

さて、長々とユダヤ人歴史観を述べてしまったが、アウシュビッツに行く以上、ユダヤ人とその歴史背景くらいは学んでおいた方がいい。
オシフィエンチム行きのバスは、クラクフの駅を14時に出発。

満席を懸念し、WEBで予約しておいたが、心配は杞憂だった。

アウシュビッツ収容所のあるオシフィエンチムという街まで、約1時間半の旅。

今朝は5時起床だったので、うとうとするうち、オシフィエンチムのサインが見え、

バスは、アウシュビッツの博物館前に到着しました。

負の遺産を肌で感じたアウシュビッツ強制収容所

こちらが収容所の入り口。

ところで、収容所を見学するには、ツアーに参加するか、個人で参加するか、いずれも予約が必要だ。

そして、個人の場合、WEBで申し込むことになるが、英語などのガイド付きは日中、個人でフリーに見学する枠は17時以降に設定されていた。
申込サイトはこちらの通り。英語表記もあるので予約は簡単。
そして、QRコードがプリントされた紙とパスポートを持参する必要がある。
申込書の方は、もしかするとスマホでもよいのかもしれないけど、私は日本から持参した。
収容所の敷地は広く、別の場所のビルケナウも含めじっくり見ていくと2〜3時間はかかりそうなので、17:10がスタートでは遅いのではないかと思うが、ポーランドの5月の日没は20時半頃なので心配はない。
実は、私も英語のガイド付きを狙っていたのだけれど、私は今朝プラハを列車で出発し、昼すぎにクラクフに到着した身。
そもそもガイド付きの時間帯に、ここに現れることが不可能だった。
さて、17:10という見学開始時刻は、どのように扱われるのかと思っていたら、17時少し前から並ぶように言われ、列が動き出した。
つまり厳密に時刻が配分されているわけではなく、来場者を分散させるシステムのようです。

建物の入り口では、持ち物検査があり、パスポートとQRコードを見せて入場。
一眼レフも持ち込み可。撮影禁止の場所以外は自由に撮ってよいとのことです。

掲げてあった、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ財団」への支援国リスト。

アウシュヴィッツ第1強制収容所の全体マップ。

中心エリアには全部で28棟の主要な囚人棟(ブロック)があり、それぞれに恐ろしい役割があったとのことですが、ルートがよくわからないので、前のグループについて行きました。

アウシュヴィッツ第1強制収容所の正門に掲げられたこのスローガン。
ドイツ語で「働けば自由になる」という意味。

このナチスのスローガンは、収容者に「真面目に働けば生きて出られる」という偽りの希望を与え、反抗を防ぐための心理的な罠だった。
よく見れば、Bの文字の膨らみが上下逆さまになっている。
これは、看板を作成させられた収容者が、ナチスに対する抵抗と抗議の意思表示を込めてわざと逆にしたとも言われています。

ゲートをくぐると現れる、高圧電流が流されていたという鉄条網。

自らこの鉄条網を触りにいく収容者もいたというから、収容所での過酷な労働や拷問は、想像に難くありません。

敷地内はとても広い。

5月のポーランドはとても爽やか。

正直、ここが負の遺産であるということを知らなければ、どこかの別荘地帯にでも迷い込んだかのような散策。

このガス灯のナンバーがブロックを意味しています。
全てに入れるわけでなく、解放されているのは数箇所みたいなので、順番に入って行きましょう。
15ブロックは、近年新設されたポーランド人の犠牲者に関する常設展示室。

いきなりギロチンが現れました。

出ましたね、スターリン。世界でもっとも非道な男とされたひとり。

これは1939年、独ソ不可侵条約の締結の場面ですが、なんのことはない。
共産主義と非共産主義が手を組んで、ポーランドを挟み撃ちに侵略しようという恐ろしい計画。
実際、締結の1週間後にはドイツが、そして2週間後にはソ連がポーランドに侵攻しました。



収容者の囚人番号。

この番号が付けられた囚人は過酷な労働に駆り出され、付けられなかった老人や子供など、労働不能と見なされた人たちは、そのままガス室に運ばれました。
さらに、奥のブロックに進み、こちらが最も凄惨な処刑現場である死の壁。

ナチスは、規則を破った囚人、政治犯などをこの壁の前に立たせ、銃殺しました。
その数、数千から数万と言われています。
そして、その右隣にある11ブロックが死のブロック。

収容所内監獄ともいわれた地下に拷問室などがあるブロックです。

11ブロックの中は、当時のままに展示がされていました。

劣悪な環境で、死刑を待つ政治犯などが収容されていた部屋。


移動式の絞首台。
移動式の理由は、必要に応じて、囚人たちが集まる場所や部屋に移動させ、「逆らえばこうなる」という恐怖心を植え付け、反抗する気力を奪う心理的兵器だったから。

となりの10ブロックの建物の窓は、すべて塞がれています。
人体実験室だったようですが、中庭の銃殺しているシーンを、ブロック10の中にいる囚人や医師たちに見せないため。

このあたりから、私は少しづつ正視できなくなりつつありましたが、ブロック5付近の建物には、膨大な遺品が積んであります。

人間は、ここまで冷酷になれるものなのか。

そこには、罪悪感を極限まで薄めるシステムがあったようです。
それが、徹底した分業化。
列車の手配をする人、門番をする人、ガス室へ誘導する人・・・

つまり、自分たちは直接手を下しているのではない、という心理的に逃避できる仕組みを利用させられていました。


見学ルートの最後に現れたのが、ガス室。
こんなものを最初から見せられたら、精神的に参ってしまう、それが人間というものです。

消毒のためにシャワーを浴びるという名目で部屋に閉じ込められた人たちは、猛毒ガスによって、あっというまに亡くなりました。
そして、その隣には、火葬場があるという・・・
考案した人間の精神構造はどうなっているのだろうか。

ブロックの外に出ると、悲しいまでに青い空が広がってました。


これで、アウシュビッツ第1収容所の見学は終わりです。

では、バスに乗って、ビルケナウに向かうとしましょう。

5月の青い空が切なすぎたビルケナウ

第1収容所からビルケナウまでは、無料のシャトルバスが10〜15分おきに出ているようでした。

時刻は19時をすぎてますが、まだまだ見学者はたくさんいます。

いちおう帰りのバスの時刻をメモ。19:45が最終のようでした。

さっそく現れる死の門と鉄道引き込み線。
それにしても、5月の青い空が切なすぎる。

監視塔とアーチ型の門は、ヨーロッパ中からユダヤ人を満載した貨物列車が、収容所の内部へと直接侵入するために造られたもの。

ビルケナウには、広大な敷地が広がります。

かつては、300棟以上の木造バラックが地平線まで埋め尽くしていたとされます。

さきほどの1収容所とは異なり、このビルケナウは、ナチスが最初から「大量殺戮専用の巨大施設」として建設しました。

ここまで、残虐非道な扱いを受けたユダヤ人たちは、そんなに「悪者」だったのか。
ここには、多数派によるいじめの構図が根深くひそんでいるとあらためて思う。

キリスト教が中心のヨーロッパ社会において、キリスト教を信じず、独自のコミュニティを作るユダヤ人が差別の対象にされる。
そして、不況、戦争、疫病の流行など、社会でよくないことが起こると、すべての矛先をユダヤ人に向ける陰謀論が巻き起こる。

そんな下地があったので、ヒトラーがプロパガンダを作り上げても、ナチスの親衛隊は狂気や嘘に飲み込まれていったのでしょう。

「村八分」や「同調圧力」という言葉が、日本特有の文化や悪癖として語られがち。
しかし、なんてことはない。
日本人に限った話ではなく、これは人類すべてが共通して持っている非常に根深い普遍的な弱さ。

ホロコーストの悲劇は、「同調圧力」と「村八分」が最悪の形で暴走した究極の例と言えるでしょう。

そんなことをあらためて感じたアウシュビッツ&ビルケナウの訪問になりました。

