さて、雄大だった「赤ハゲ山」と「赤壁」の見学を終えて、実はもう、あまり行くところがありません(^^)
いまの2か所の展望台を上から見るか、海から眺めるか、あるいは海水浴と「サザエ丼」を楽しむくらいしか、なかなか観光要素がみつかりにくい知夫里島(すいません・・)
しかし、隠岐諸島は古代の神話とともに生まれた神々の島であるとともに、中世においては流刑の島。
その代表格は「後鳥羽上皇」と「後醍醐天皇」でしょう。
承久の乱で敗れた「後鳥羽上皇」は、島前・中ノ島に流れ着き、崩御されるまで島で暮らしました。
※「後鳥羽上皇」ゆかりの「隠岐神社」については、こちらをご覧ください。
いっぽうで、「後醍醐天皇」は、鎌倉幕府討幕の計画が暴露され隠岐に流される。
ところが、名和家などの豪族を頼り、なんと流された1年後に隠岐を脱出。
足利尊氏や新田義貞などを率いて、鎌倉幕府を滅亡させるというダイナミックなもの。
そんな行動派天皇である「後醍醐天皇」が流れ着いたのが、ここ知夫里島。
脱出したのは、私が昨日までいた西ノ島です。
ということで、知夫里島、最後の時間は「後醍醐天皇」の足跡でもたどってみることにします。
後醍醐天皇の足跡をたどってみる「天佐志比古命神社」
さて、海沿いの細い道を町のほうに戻っていきます。
道の途中で見かけた「後醍醐天皇上陸の地」。これはすごい。
その上陸地から、クルマで数分のところに、「天佐志比古命」があります。
御祭神を「天佐志比古命」とする、知夫里島ではもっとも格式が高い神社。
島前では第一の神社とされるほど格式が高いわけですが、私が訪れたのは別の理由。
この神社の裏手に、「後醍醐天皇」が腰かけたとされる石があるんです。
いまから約800年前に展開された配流劇。なんか臨場感を感じます。
村人たちも敬っていた石です。上陸直後の天皇の心境はいくばくかだったのでしょうか。
後醍醐天皇が立ち寄ったとなると、さらに格式高く見えてきます。
太い注連縄も立派。
ご興味のあるかたはどうぞ。
誰もいない島津島遊歩道
さて、残った時間は、海水浴じゃなくて、海水浴場でも散歩して過ごしましょう。
ここは、シーズンには本土からも大勢の海水浴客でにぎわうらしい島津島へ通じる遊歩道。
向こうに見えるのが島津島。
架かってる橋を渡って、島津島にも足跡を残すとしますか。
でも、あまりにも風が強く、そして波が高く、橋が波をかぶっています。
無人島で泳ぐなんて最高だろうな。
荒れているのに、入り江のごく一部は、おそろしいほどきれいな海。
誰もいない海水浴場というのは、なんとなく不気味です。景色がきれいなだけに。
しかも、すごい風。帰りの船が、ほんとうに心配になってきました。
「島根の名水百選」河井湧水
港への帰り道、こんなものを見つけました。
ずっと出続けている湧き水。
こちらも「後醍醐天皇」のゆかりがあったみたいです。
来居港に戻ってきました。
わずか3時間の滞在だったけど記憶に残った知夫里島。
本土への高速船欠航の知らせを「アザーン」のように聞いていた私にとっては、実は恐る恐るの知夫里島観光でした。
幸い島前内航船はまだ運航しているようです。
レンタカーを返して西ノ島に戻りましょう。