今から3時間ほど前の午前10時ごろ。
突然スマホが鳴ったので驚きましたが、西ノ島・別府町からの着信。
「レンタカーのキャンセルが出たので、16時からではなく13時から使えますよ。」といううれしい連絡でした。
そんなお気遣いをいただいた「どうぜんレンタカー」からクルマを借りて、西ノ島のドライブです。
西ノ島のドライブ「焼火神社」へ
さて、クルマを走らせる前に、遅いランチをパンで仕上げます。
島の食堂って、13時過ぎると閉まっちゃうんだよね。
では、出発。
西ノ島のドライブといっても、行く場所は限られています。
「焼火神社」と「由良比女神社」の2つの神社と、あとは展望台からの眺めってとこでしょうか。
よく舗装された西ノ島の道路。
まずは、もっとも行動に時間がとられそうな「焼火神社」へ行くことに。
なぜ時間を取られるかというと、パーキングから徒歩25分と「地球の歩き方」に出ているからです。
片道25分ということは、往復するとそれだけで1時間要します。
とにかく、クルマで行けるところまで行きましょう。
別府から20分ほどで「焼火神社」のふもとに到着です。
隠岐最古 神火の伝説が残る「焼火(たくひ)神社」
焼火神社は、島前カルデラによってできた焼火山の中腹にあります。
すなわち、そこまで登っていくわけですが、距離約550m。高低差約100mです。
地球の歩き方には片道25分とあるけど、どのくらいで着くかな。
といいながら、景色がいいので、ときどき足を止めながら。
向こうに見える島は、実は同じ西ノ島。
こうしてみると、たしかに入り江がカルデラ湖に見えてきます。
階段を登り続けます。
やっと踊り場に着きました。ここまで、私の足で10分、375段の石段でした。
展望台は、ちょっと距離がありすぎる。まっすぐ焼火神社に向かいましょう。
道は平たんになりましたが、狭くなり、ほんとにマムシでも出そうです。
おや、これは・・
こんなの見つけてしまったら、登らざるをえないじゃないですか。
祠があるだけでした。
さて、焼火神社へ再度向かいかけると、りっぱな石垣。
ところで、全然人の気配を感じないんだけど、それはそれでけっこう怖いものです(^^)
ようやく本殿に到着です。
あれは西ノ島。鬼舞展望所のあるところで、あとで行ってみるつもりだけど、その向こうにうっすらと見える陸地はなんだろう?
まさか、本土?? 距離は50kmぐらいだから見えてもおかしくないか。
宮司さんが住んでる家でしょうか。
岩山に突っ込んだ国の重要文化財
まず、太い大木が出迎えてくれてから社殿が登場。ふもとから15分でした。
これは貫禄のあるつくりです。洞窟にアタマ半分つっこんでいます。
ほんとにチベット寺院でも見る思いです。
後鳥羽上皇が隠岐に流される途中に海が荒れ、神火が放たれて遭難から船が救われたという伝説もあるそう。
けっこう由緒ある神社なのに、ここにいるのは私だけ。
ていうか、隠岐の神社をめぐって、これで7社目ですが、すべて境内を独り占めでした。
3連休で船は満員だったのに、なんか不思議。
西ノ島十五番札所とあります。そんなにあるの?
では、焼火神社にさようなら。
焼火神社への道中は、日本海との付き合いでもあります。
江戸時代から、全国的な海上安全の神として信仰されてきたのも焼火神社です。
さて下りましょう。さすがに下りは楽です。
隠岐四大社のひとつ「由良比女神社」
では、続いて「由良比女神社」に向かいましょう。
海上国道である485号線が、尽きたあたりに「由良比女神社」は鎮座しています。
海を背にした、(おそらく)一の鳥居。
そして境内へ。
いやあ、風格ありますなあ。さすがに延喜式神名帳に名を連ねる「由良比女神社」です。
これで、隠岐四大社をすべて制覇したことになります。ちょっとした達成感(^^)
あと3つは「伊勢命神社」「水若酢神社」「宇受賀命神社」です。
平安時代には、隠岐国の一ノ宮と定められた、由緒ある神社。
誰もいなく、物音ひとつしません。
島の文化というのは、外界から隔離され、祭りや信仰とともに育まれるもの。
島に神社がいくつもあるのは、なんとなくわかるような気がします。
祭神の由良比女の命とは、どんな神だったのでしょうか。
隠岐の神社らしく、土俵がありました。いまも使われてるのかな。
おや、観光客ではない島民らしい母子連れがお参りしています。
今回の隠岐・神社めぐり、8社目にして、はじめて参拝者を見かけました。
この社は、もとは知夫里島にあったそうです。知夫里島には明日訪れる予定。
では、由良比女神社にお別れ。
今度は趣向を変えて、神社ではなく、西ノ島の展望台を回りましょう。