島根県の人口は約66万人。日本で2番目に人口が少ない県です。
しかし、島根が誇る出雲大社は令和元年には参拝者数が634万人と、県民の約10倍の観光客が訪れています。
浅草寺の参拝者数が年間約3,000万人(令和元年)であることを考えると、すごくないですか。
私も、記憶にある限りでは過去に3度訪れており、今回が4度目。
おそらく20年ぶりくらいの再訪ということになりますが、なにか新しい発見でもあるでしょうか。
20分しかいられなかった出雲大社
新しい発見でもあるでしょうか、と言いながら、今回はたったの20分の滞在でほぼ素通り(^^)
すべて、昨夜の伊勢湾岸自動車道の事故が原因です。
あれで夜行バスが1時間半遅れ、それがそのまま出雲大社の見学時間と雲州平田の町を歩く時間を奪いました。
でも、夜に新宿からバスに乗れば、翌朝には出雲大社前には着けるんです。
また来ればいいんです。
ところで旅の知恵として、今回学んだことが一つ。
出雲大社のバスターミナルは2か所あるということです。
正門前が文字通りの出雲大社の正門。
しかし、日御碕行きのバスの多くは「一畑バス 出雲大社連絡所」から発着します。
そして、こちらのほうが、大社の社殿に近いんです。
日御碕から帰ってきたバスも、「出雲大社連絡所」が終点。しかし、そこから徒歩1分で社殿です。
ほんとなら、朝食は割子そばにするつもりだったんだよなあ・・
神楽殿の巨大な注連縄に感動
さて、例の「出雲大社連絡所」から大社にのぞむと、すぐに神楽殿の前に立つ形になります。
そして、神楽殿の象徴はこの巨大な注連縄(しめなわ)。
長さ13m、重さ5.2トンだそうです。これだけでも見る価値ありますね。
5.2トンの迫力に、観光客も圧倒されていますw
縁結びが本懐の出雲大社。私は、このはやり病の収束をお祈り。
なんか、神社を訪れるたびに、同じ願いをしてる気がする。
出雲大社の境内を歩いて日本神話を感じてみる
さて、見学時間があと10分くらいしかないです。
日本神話や古事記の世界を感じながら、さらっと歩いてみることにします。
出雲大社は、古事記の三貴士のひとり「スサノウ」と、その娘「スセリビメ」の夫「オオクニヌシ」の物語とされます。
数々の悪行から天界を追放された「スサノウ」が降り立ったのが出雲の地。
ここで「スサノウ」はヤマタノオロチを退治することで、村の娘を救い、その娘「クシナダヒメ」と結婚します。
「オオクニヌシ」は「スサノウ」の子孫。
ところが、同じく「スサノウ」の子孫「八十神」たちに、「オオクニヌシ」は徹底していじめられる(^^)
それがあまりにもエスカレートし、「オオクニヌシ」は死者の国である「黄泉の国」に逃げ込む。
すると、そこで待ちかまえていたのがなんと「スサノウ」で、「オオクニヌシ」は「スサノウ」からも試練を与えられ、これに合格した「オオクニヌシ」は、出雲の地の統治を任されるというもの。
「オオクニヌシ」は、いなばの白うさぎを助けたように、国を治めるにふさわしい清く広い心を持った神だったようです。
このモニュメントは、「オオクニヌシ」と大和の三輪山の「オオモノヌシ」のエピソード。
ところで、「オオクニヌシ」が治めた出雲の地は一つの国としておおいに発展を遂げたようです。
それを妬んだのか、実際に当時の大和政権とのあいだで争いがあったのか、想像するしかありませんが、天界の「アマテラス」が「国を譲れ!」と「オオクニヌシ」に刺客を送りこみます。
いわゆる「国譲り」ですね。
この「オオクニヌシ」の息子と、「アマテラス」が送り込んだ刺客の戦いは、古事記においてもけっこう興味惹かれるシーンです。
最新の技術を使って映画化してくれないかな。
そして、「国譲り」の条件として「オオクニヌシ」が求めたのが、この出雲大社。
天つ神の宮殿と同様に、千木が天に届くほど高いものを要求したそうです。
現在の社殿は高さ24m。平安時代には48mあったといわれます。
2000年には直径1.3mの3本組の柱が見つかりました。
計算すると96mの高さも不可能ではない足場。
古代には、それこそ千木が天に届くほどの社がこの地にあったのかもしれないですね。
神門通りを出雲大社駅前へ
さて、タイムリミットです。一畑電鉄の駅へ向かいましょう。
出雲は日本酒発祥の地でもあるんですね。
こうやって歩いていると、ここが神々の地に見えてくるから不思議。
では、鳥居に向かって最敬礼。
3時間ほど前に全力で走り抜けた正門前。
悠久の神聖な地を、分刻みで行動しようとした私に対する試練だったのかもしれない(^^)
次の目的地は、一畑電鉄に乗って一畑薬師です。