金北山は、標高1,172mで佐渡ヶ島の最高峰。
字面もなんとなくインパクトあります。
子どものころは学校の授業中、地図帳を開いては、どんなところだろうと想像してました。
この世界遺産登録が待たれる佐渡金山。
文字通り、大量の金や銀を産出し、徳川幕府の財政を支え続けた山であります。
1989年に休山しましたが、見どころは今でも残されている坑道です。
ゴールドラッシュではありませんが、金鉱脈を掘り続けた坑道なんて、なかなか目にできるものではありません。
今回の佐渡一人旅では、「北沢浮遊選鉱場跡」とともに、楽しみのひとつでありました。
歩く価値のある「北沢浮遊選鉱場跡」から「佐渡金山」までの道
さて、「北沢浮遊選鉱場跡」をのんびりと見学した私は、「佐渡金山」行きのバスを見過ごしました(^^)
もちろん、最初から歩いていくつもりでしたが、バス停の時刻表を見て、「あと5分早く来れば乗れたんだ・・」と思うと、後悔の念がわき上がるのは、日常生活でも一人旅でも同じです。
ま、腹を据えて歩きますか。
佐渡スカイラインの急こう配を登っていきます。
佐渡金山までは、距離にして2㎞弱。徒歩で30分程度でしょう。
こんな景色を立ち止まって眺められるのも、徒歩の余得。
展望台みたくなってました。
相川の町並み。
屋根の感じが独特です。金山の帰りはバスにして、町の中を歩こうと思ってます。
登っていくうち、佐渡奉行所跡が現れたので、寄ってみました。
あと1.5㎞です。
ちなみに、歩いている人はほぼいません。
みんな、ふつうにバスかレンタカーで行くんだろうな。
けっこう坂が急なので、疲れます。
でも、山から吹く風が涼しくて、汗を乾かしてくれます。
お、金山の片鱗が現れてきました。こんなのも歩かないと見れないでしょう。
地図によると、佐和田方面へのバイパス。
このサイン、このときは何のことだかわからず???
さすがに疲れてきた・・
それでも、やっぱり、徒歩でないと佐渡金山の本質はわからないよね、と強がってみせる。
ようやく半分くらい。
もう少しかな・・
さすがにへばったころ、金山到着を知らせるような廃墟が出没します。
江戸幕府と同時に掘られ続けた佐渡金山。
でも、これらの施設は、江戸時代が終わり、明治維新以後のものでしょう。
観光バスや路線バスで佐渡金山へ来ると、おそらくこのあたりは見学できないはず。
疲れたけど、歩いてきてよかったと思えた瞬間です(^^)
2つある佐渡金山の坑道
日差しは強いのに、風がカラッとしていて不思議と汗をかかずに佐渡金山に到着。
しかし、疲れてます(^^)
ゴールデンウイーク中日の佐渡金山。
順番待ちで大変かな・・と少々危惧してましたが、まったくの取越し苦労。
呼吸を整えてから、チケット売り場へ。
今回、急に思い立って訪れた佐渡ヶ島。
佐渡金山には、2つの坑道があるということなど予習せずに来ました。
店員さんに聞くと、「宗太夫坑」コースと「道遊坑」コースの2つがあって、両方とも見学時間は30~40分程度とのこと。
それなら、共通券でがっつり見学しちゃいましょう。1,400円でした。
なるほど、入り口が2つに分かれてます。
歴史的には、「宗太夫坑」コースのほうが古いらしい。
ちなみに、サビてますがコインロッカーもありました。
このあたりは、世界遺産登録に向けて、再整備されていくのかな。
それと、忘れてはならないのが、帰りのバスの時間。
現在12時少し前。なんとか13時20分のバスには乗りたい。
ていうか、13時20分のバスに乗らないと、相川の町見学の時間が無くなります。
「宗太夫坑」江戸初期に開発された手掘り坑道
入り口にいた係りのおばさんに、「どちらから行ったほうがいいんですか?」と聞くと、「え、どちらでも構わないですよ。」とのこと。
向かって右側、歴史的にも古い「宗太夫坑」から攻めることに。
進むと、いきなり奈落の底に引き込まれるようなトンネルに。
コンクリートが巻かれているとはいえ、迫力あります。
江戸初期から活躍した「宗太夫坑」。日本全国に金が輸送されたようです。
おおっ、びっくりした。人形です。
坑道の中に人形。
シチュエーションは違うけど、ベトナムのクチトンネルに入ったときを思い出しました。
人形はしゃべります。「なじみの女にも会いてえなあ・・・」
坑内は、水滴がしたたり落ちてくるので、カメラを守りながら進みます。
随所随所で、ガイドの声が流されているので、当時の状況がわかりとても親切。
ところで、佐渡金山の坑内は、年間通して気温10度ほどと聞いていたので、ジャケットを背中のバッグに入れてます。
しかし、今のところ、そんなにひんやりしてる感じはしません。
天井が低いところもあります。ていうか、当時はもっと低かったでしょう。
閉所恐怖症になる坑夫もいたことでしょう。江戸時代の縁の下の力持ちですね。
出口が見えました。
坑道を出て振り返った瞬間。
さっき、私が歩いてきた道をまたいで、元の場所に戻ります。
これは、さっきの道沿いにあった宗太夫坑の入り口。
封鎖されてましたが、当時はこちらがメインで使われていたのでしょう。港にも、こっちのほうが近いし。
宗太夫坑の出口は博物館につながってました。
こうやって金を採掘してたのでしょうか。気の遠くなる作業に思えて仕方ない。
アリの巣を思わせる坑道。
でも、この坑道により、佐渡金山が産出した金はトータル78トン。
銀は2,300トンに及ぶそうです。
信じられない数字です。だって、1トンのクルマ2,400台分ですよ(^^)
日本の近代化を支えた「道遊坑」明治官営鉱山コース
さて、お次は、向かって左側。
まさに日本の近代化を支えたといってもいい「道遊坑」明治官営鉱山コースです。
近代化の進んだ、「道遊坑」のほうが、水滴がいっぱい垂れてきますw
そして、天井もより低い。明治時代より江戸時代のほうが、労働環境がよかったということでしょうか。
年間通して涼しい坑内は、酒の貯蔵にも使われてました。
ただいま10度とのことだけど、とてもそんな感じしない。歩いてるから?
佐渡の銘酒「真野鶴」が貯蔵されていたようですが、ひょっとして今でも?
さらに先に進みますが、明治時代の坑道らしくレールが現れました。
そして、なんと機関車が現れます。
それも、電気機関車ならぬ電池機関車です。さすがに明治ではなく昭和の代物です。
この光景を見て、「バックトウザフューチャーⅢ」で、デロリアンが隠されていた廃坑を思い出しました(^^)
なんとなく炭坑を感じさせる風景です。
来るときの道で見かけた「道遊の割戸」とは、このことだったんですね。
しかし、採掘しすぎて山が割れるとは・・
さらに進んで、
出口でした。
出口にあった機械&機関車博物館。イケメンの坑夫。
昭和の工場って感じです。
まだ動くんだろうか?
これ、しっかりと整備すれば、富岡製糸場のようになるんじゃないでしょうか。
世界遺産登録頑張ってください。
そして、これが「道遊の割戸」。
北九州などでは、石灰岩の掘り過ぎで傷ついた山がいっぱいあると聞いてますが、採掘し過ぎで地形が変わるって、ほんとにすごい。
しかも、採掘したのは金や銀です。
鉱山鉄道さながらの「高任公園」
「道遊坑」をでてすぐの広場は「高任公園」と呼ぶそうです。
草に埋もれたレールと転結器が可愛らしい。
廃墟の雰囲気たっぷりです。
「高任公園」から下界を見下ろす。
鉱山鉄道そのものですね。
お、外国人の家族発見。
ふたたびトンネルに入ります。
そしてここが、正真正銘の出口。お疲れさまでした。
資料館&売店で一休み
坑道の終点は、売店&資料館になってました。
金塊の取り出し体験なんてのもやってましたが、さすがに取り出せたとしてもくれないでしょ(^^)
金鉱石も売ってます。
このくらいの値段です。
かつての中国人爆買いなら、あっさりさばけちゃうんだろうな。
これはオモチャ、ではなくクッキーでした。
なかなかユーモアがあります。
ところで、もう昼過ぎ、お腹空いてます。
しかし、レストランというか、腹を満たせる施設がありません。ここだけです。
とりあえず、ソフトクリームで応急処置ですね。
金箔のソフトクリーム。
相川の町から歩いてきて、2つの坑道をこなしたんですから、甘いものが美味しい。
コーヒーで口直し。そして相川行きのバスを待ちます。
なかなか歩きでのあった、世界遺産登録が待たれる佐渡金山でした。