相川の町の北東にある「北沢浮遊選鉱場跡」。
ここから、佐渡スカイラインに沿って「佐渡金山」に向かって登っていくと、右手に歴史博物館のような建物が出現します。
歴史を知らない人間でも、かつての町奉行かな、と思わせる造り。
「佐渡金山」へ至る途中でしたが、歩き続ける(登り続ける)のも疲れるので、気分転換に寄ってみることにしました。
四百年の歴史を持つ「佐渡奉行所」
入場料500円を払って入ります。
建物自体は、安政6年(1859年)に再建されたものを復元した、つい最近の建物。
改装した古民家といったところでしょうか。
しかし、奉行所内の各部屋が緻密に再現されてます。これは面白そうです。
靴を脱いで上がると、ガイドさんが案内してくれます。
ちょうど先客が入ったところで、ガイドさんはそちらへ。
私は一人で、当時の奉行所を想像しながら徘徊します。
お寺でも神社でも、当時のままでも復元でも、畳の感触は素晴らしい。
「手形改役所」。手形を確認する部屋。
こちらは「銀山方役所」。
この小部屋で、具体的にどんなことをしていたのだろうか。
ここ「佐渡奉行所」は1603年、すなわち徳川家康が征夷大将軍となった年に、大久保長安がこの相川に陣屋を置いたのが始まりとされています。
大久保長安は、私のよくプレイする歴史シミュレーションゲーム「太閤立志伝Ⅴ」にも登場するおなじみの武将。
※「太閤立志伝Ⅴ」より
ゲーム上での能力も鉱山と算術に長け、政治を任せる配下として有能だ。
彼は、どの部屋で仕事をしていたのだろうか。
こちらは白洲。
そして、白洲の向かいの部屋が「御裁許所」。
つまり、罪人に判決を言い渡す場所です。
天井の梁も見事です。
出土品の一部でしょうか。
金銀を選鉱する「勝場(せりば)」
通常の奉行所にはなく、この佐渡奉行所にあるのが「勝場(せりば)」。
すなわち、直営工場です。
奉行所を出て、勝場へ向かう途中の景色。
勝場です。見るからに「倉庫」という感じ。
建物に入って、左側は資料館ふうになってました。
発掘された、当時の通貨でしょうか。
そして右側が、当時の作業工程を詳細に復元したという作業場。
電子機器などが一切使われてないので、小学生の頃の理科室に入った気分。
作業工程的には、「金山」から持ち込まれた鉱石は、ここで砕かれ、さらに石うすによって、粉状になるまですりつぶします。
大きな金銀は、その場で採りますが、残りの沈殿物は、ここに流して、砂粒ほどの金銀も見逃さなかったそうです。
最盛期は、それこそ昼夜なく稼働していたことと思われます。
だって、佐渡金山が産出した金は、江戸時代から平成までに78トン、銀は2,330トンに及ぶんです。
両方合わせて、約2,400トン。
江戸時代初期から350年稼働したとして、年間6,800㎏。
つまり1日あたり18㎏です。
金と銀が、毎日18㎏ですよ(^^)
産出される金銀もさることながら、運び込まれる鉱石の量も大変な嵩だったことでしょう。
最盛期の稼働状態をみてみたいものです。
世界遺産登録のあかつきには、この奉行所を旅館に改装してはどうかな。
往時を偲ぶことができた「佐渡奉行所跡」でした。