さて、一人旅は徒歩をからませないと地形が頭に入らないよね、と佐渡金山に向かって歩きはじめます。
相川の町から佐渡金山へのルートはこんな感じ。
徒歩で約40分ほど。
「北沢浮遊選鉱場跡」は、その途中にあります。
相川の町から北沢浮遊選鉱場跡への道
両津から乗ってきたバスからも見えましたが、相川という町の歴史観を味わうのも、徒歩観光の醍醐味。
なんといっても、江戸時代には、佐渡金山から発掘した金をさばいていた佐渡の中心。
なんとなくですが、家並みにも貫禄があります。
相川の町は、金山からの帰りも歩いてみるつもりです。
それにしても、歩いているのは私一人だけ。
まあ、佐渡金山へは、100人中99人はバスかクルマで行くんでしょう。
そして、相川の町から15分ほど歩くと、岩壁に掘られた廃墟のような北沢浮遊選鉱場跡が見えてきました。
東洋一の大きさだった北沢浮遊選鉱場跡
上の写真は、ズームを望遠にして撮ったものですが、いやあ迫力ある。
入り口には、広めの駐車場と博物館がありました。
博物館もちょっとのぞいてみましたが、せまりくる廃墟の迫力に圧倒されるカタチで近づいていきます。
間近でみると、ほんとに異様な光景です。
ゴールデンウイークの中日に訪れて、この観光客の数。
いくら連休でも供給に限界のある島旅を選んだのは正解だったかもしれない。
この遺跡の前に、人がウロウロしてたら興ざめです(^^)
ちなみに、佐渡金山の歴史は江戸時代にはじまりますが、こちらの北沢浮遊選鉱場は、日中戦争の勃発にともなって、整備された選鉱施設。
したがって、歴史は浅く1937年から建設が開始され、まだ100年たっていない遺構。
当時としては最高の技術とされた浮遊選鉱法を採用した設備。
右隅の赤レンガの建物は、火力発電所だったそうです。
それにしても、建造物というのは、100年足らずで風格がでるものですね。
ガイドブックには「天空の城ラピュタ」という表現がされてますが、エンタメ完全音痴な私には、なんのことだかさっぱり(笑)
そんな表現使わなくても、このキリトリに、観光客を入れずに撮れただけで大満足。
繰り返しますが、本日はゴールデンウイーク中日です。
少し近寄ってみます。(離れた場所から撮影している人がいるので、近寄るのがはばかれるw)
「立入禁止」と言われなくたって、怖くて入れません。
人工物というのは、どのくらい年数が経つと貫禄がでるものなんだろう?
人間と同じ50年くらい?
夜はライトアップされるらしい。
でも、こんなとこ、夜に一人で来たら、そっちのほうが恐ろしい。
今日の佐渡は晴れ。照り返しで、目を開けていられないほど。
でもサングラスをかけられない。マスクしてるから。
マスクにサングラスって、この廃墟が背景でなくたってヤバイですよね(^^)
しかし、この威圧感は言葉がいらない。無言で芝生の上を歩きます。
ちなみに、「白飛び」をさけるのがすごく難しい。
逆光と照り返しで、露出が上手く合わない。ただ撮影者が未熟なだけですが、ホントに。
選鉱場の目の前の小川を挟んで広場があります。
観光バスが到着し、ほぼ独占状態だった廃墟に、観光客がまじりました。
当時は、東洋一の大きさだったといいます。
そりゃ、向かうところ敵なしの関東軍だったんだから、まあそうなんでしょう。
それにしても芸術的な廃墟だ。
実は、日本には、それこそ姿を現さない、炭坑のお化け屋敷が無数にある気がしてならない。
これは、水と不純物を分離する装置「シックナー」。
不純物を選り分け、水は選鉱場で再利用されたという。
直径は50メートルで、これも当時の日本で最大規模。
冬に来たら雪が積もっているのだろうか。
白く雪化粧した廃墟も見てみたい、「北沢浮遊選鉱場跡」でした。