毛利家の墓が並ぶ日本三大墓地のひとつ「黄檗宗東光寺」を歩く【萩一人旅】

室町時代、持ち前の頭脳と策略で中国地方の覇者にまで登りつめた毛利元就。

ところが、元就の孫・輝元が、関ケ原の戦いで西軍の総大将であったため、徳川家康により領土を没収。

毛利家は長州に追いやられてしまいました。

数々の名言を残し、見事な戦略で多くの合戦を乗り越えてきた毛利家の足跡を、たった数行で表現してしまうのは、誠に申し訳ない。

しかし、それだけに長州には、毛利家の生きざまと国を守るという意志が込められているのだと思います。

そんな毛利家のお墓が並んでいるのが「東光寺」。

松下村塾からも近く、吉田松陰誕生地を訪れた私は、その足で「東光寺」をたずねてみました。

萩藩三代藩主 毛利吉就が建立「黄檗宗東光寺」

「維新ロード」という道を自転車で走り、たどりついた「東光寺」。

威圧感を覚える立派な総門が迎えてくれます。

竣工は1693年。お酒を飲んで、この門をくぐってはいけないそうです。

戒を厳しく遵守する禅宗の姿勢です。

総門をくぐって境内に入ります。

気のせいか、係りの方たちの対応が、とても親切。

そして進んでいくと立ちはだかるのが三門。

ずいぶん古い造りに見えますが、竣工は1812年。ケヤキの素木造りだそうです。

そして、さらに境内を進みます。進むというか、登っている感じ。

大雄宝殿の回廊を歩いて禅を感じてみる

「東光寺」は黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院。

黄檗宗は臨済宗や曹洞宗と並ぶ、日本三禅宗のひとつです。

黄檗宗の名前は、中国の黄檗山万福寺に由来しています。

こちらが東光寺の本堂。

黄檗宗では本堂を大雄宝殿と呼ぶそうですが、公式HPの写真では、本堂の前に2本の大きな松があるんだけど、ない・・・なんでだろ?

障子のさんが、一般的に日本では建物の内側であるのに対し、この建物では外側になるのも特徴だとか。

大雄宝殿の意味は「お釈迦様のいらっしゃる所」。

黄檗宗には「自己を究明する」という考え方が根底にあります。

仏さまにお願いする前に、まずは自分で考えてみよ、ということですね。

共感できるなあ・・

毛利家らしいし、長州らしくもある。

ところで、これはいったい何だろう??

あれらしいです。

これが木魚の原型ですか。

木魚というと、あのお坊さんがたたく丸いヤツしかイメージできませんでしたが、「原型」があったんですね(^^)

日本三大墓地のひとつ「毛利家廟所」

では、「東光寺」の境内の一番奥にある毛利家のお墓に行ってみましょう。

いきなり現れる多数の石灯籠に圧倒されます。

この石灯籠の数は500基以上。藩士から寄進されたものだそうです。

そして、鳥居の向こうにお墓が見えます。

日本三大墓地のひとつとされる「毛利家廟所」。

あとの二つは、金沢の「前田藩墓地」と、「対馬の宗家万松院」を指すそうですが、「対馬の宗家万松院」は今年(2022年)の3月に訪れました。

前田藩も行かなきゃな(^^)

正面にあるのが、東光寺を開いた3代藩主毛利吉就から5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元まで、なぜか奇数代の藩主とその夫人の墓。

右手および左手には、一族関係者の墓が並びます。

冒頭にも述べましたが、中国8か国を治めていた毛利家を長州に追いやった徳川江戸幕府への怨念は、計り知れないものがあったでしょう。

その強い意志が凝縮され、討幕への原動力となったことは疑いようがありません。

パワースポットではありませんが、厳粛に立ち並ぶ石灯籠と同じく立ち並ぶ大樹から威圧感を感じる、そんな「毛利家廟所」でした。

今回の山口週末旅の全行程はこちらです。