【対馬一人旅 #6】日本三大墓地の一つ「万松院」で宗氏のお墓に囲まれる

歴史と対話するような厳原の町歩き。

いよいよ宗氏一族のお墓が備えられている、「万松院(萬松院)」を訪ねます。

国境の島、対馬の歴史は大陸との関係をもって築かれてきたわけですが、もっとも激動の時代といえば、どの時代を指すべきだろうか。

人によって考え方が異なるだろうし、私自身も一言で律せるほどエラそうなことは言えませんが、外の世界に対し、押して引いての見事な戦術をみせた宗氏の時代を挙げたい。

上の画像は、武家屋敷通りで見かけた宗義智の像である。

ここに、宗氏の残した略歴を記してみる。

  • 宗重尚(そうしげひさ):鎌倉時代の武将で、当時、逆賊であった対馬の阿比留(あびる)を討ち、大宰府より地頭代に任命される。宗氏の時代のはじまり。
  • 宗助国(そうすけくに):宗氏二代。13世紀の元寇襲来の際、国境を防衛するも討ち死にする。
  • 宗盛国(そうもりくに):宗氏四代。室町幕府から対馬の支配を承認される。
  • 宗義智(そうよしとし):宗氏十九代。文禄・慶長の役で、先陣となって釜山城・漢城・平壌城を攻略。その後、講和し朝鮮との国交回復に尽力。

この宗氏の代々のお墓が備えられているのが「万松院」である。

「万松院」創建当時のままの山門

さて「万松院」は、対馬市役所と金石城跡の間の通りを山の方角に歩くと、すぐに見えてきます。

こちらは、金石城跡。

対馬藩主第二代の宗義成が、父である義智の冥福を祈って建立した、安土桃山式の貴重な史跡です。

義智が亡くなったのが1,615年。その同年に建てているので、親子の愛情がうかがえます。朱色の門壁にも哀愁を感じます。

山門からは、北に向かって石段が伸びてます。

あの上にお墓があります。行ってみましょう。

山門から、そのまま石段を登ることはできず、本殿への入り口から遠回りします。

300円の入館料を払って本殿へ。

チケットの代わりにいただいた「御墓所案内」には、在墓藩主略年表と御墓の一図が掲載されています。

132段の石段 百雁木(ひゃくがんぎ)を登る

では、本殿は後回しにして、先にお墓にまいりましょう。

登るは、百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる132段の石段。

お墓の上のほうから風が吹き、竹林がサラサラという音を立てます。

この先に、多数の宗家のお墓が祀られています。

132段の石段が、威圧感を運んでくるようです。

万松院では、例年10月にまつりがあり、その際は石段の両脇の石灯篭に火が灯されます。

灯篭は350基あるようで、拝観者は提灯をもって拝観するそうです。

132段の石段の中腹に、まさに一休みでもすすめるように中御霊屋(なかおたまや)という踊り場があります。

中御霊屋で一休み。

中腹まででもけっこうな運動。

さわやかな風が汗を乾かしてくれますが、サラサラという木の葉の音が不気味。

中御霊屋から、すでにお墓で囲まれています。

苔の生えた石段に、ヘビのように生い茂る樹木。まるで、アジアのどこかの遺跡でもみているよう。

日本3大墓地のひとつ「万松院」の墓石群

さて、「万松院」の最上部へ登ってきました。

最上部を「上御霊屋」と呼ぶようですが、東と西に分かれていて、宗義智などの墓は東側。

西側には、幕末以降の当主の墓がおさめられています。

さっそく目に入った宗義智の墓。陵といってもよさそうな石組み。

宗氏代々において、やはりもっとも波乱万丈であったのは、宗義智であろうと思う。

朝鮮との交易で生計をたてる対馬において、おかみの命とはいえ朝鮮に出兵し、その後の朝鮮との国交回復に人生をささげている。

サラリーマン社会でも、現場と幹部の間に隔たりがあり、その間をとりなす中間管理職は、板挟みの中で最善の努力をする。

スケールが突然小さくなって恐縮だが、義智の立場が何万分の一かは理解できる。

しかし、対馬は大陸までわずか50キロ。九州本土より近いのである。

先祖代々から、元寇襲来などの事変は聞かされていただろうから、隣国との関係悪化の恐怖は推して知るべきだ。

おりしも雨が降り出し、ほかに人もなく、このような幽玄な雰囲気を、久しぶりに味わいます。

こちらは、義智の子 義成。

万松院を建立しただけでなく、朝鮮通信使を5度にわたって招聘している。

子は父の背中を見て生きるというのは本当のようです。

広い境内に、無数の墓石が並ぶ荘厳な光景。

「万松院」は、日本三大墓地のひとつ。

あとの二つは、金沢の前田藩墓地と萩の毛利藩墓地。

主力大名と肩を並べる、誇り高い宗氏の墓地である。

石垣は、創建当時からそのままなのだろうか。

墓地には、とてつもなく背の高い杉が立っています。

これは、対馬でもっとも長寿とされる樹齢1,200年の万松院の大スギ。

この3本の杉は、1,200年もの間、国境の島としての対馬の躍動を、常に見守ってきました。

本日は日曜日。宿もとれなかったのに、まったく人と出くわさなかったのは何故だろう?

霊魂が漂うような、宗氏の墓地をあとにします。

朝鮮国王から贈られた万松院の三具足

最後に、万松院の本堂をたずねます。何度か火災に見舞われ、現在の本堂は1879年に再建されたもの。

それよりも、驚くのがこの「三具足」。

対馬は古代から、朝鮮との交易によって成り立ってきた島。

その証が、この「三具足(みつぐそく)」にあります。

「三具足」とは、仏教において、香炉、花瓶、燭台を指します。

そして、ここにある「三具足」は、なんと、朝鮮国王から対馬に贈られたもの。

いつの時代に贈られたものか定かではないが、対馬藩主が亡くなったときに弔礼品として贈られたとすると、やはり宗氏代のもの。

この「三具足」は、まぎれもなく、お互いを傷つけあいながらも友好関係を見出そうとしていた証。

文化庁は、2015年4月に対馬と壱岐を日本遺産第一号として認定していますが、このような事実を文在寅大統領は知っているのだろうか(もうすぐいなくなるけど)

考えてみれば、慰安婦問題の日韓合意は2015年12月。そして2017年に文在寅が大統領に就任している。

これが逆だったら、対馬は日本遺産第一号とはならなかったのかもしれない。

そんな歴史のいざこざなど関係ないといった風情で、鶴と亀が、なんともいとおしい姿を見せてくれます。

くちばしで、しっかりと燭台を支える姿には凛々しさすらも感じます。

日韓両国は、これからどんな歴史を歩んでいくのか、誰もいない万松院で「三具足」を目にし、哲学的な感傷につつまれました。

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