タンザニアの中の「国」ザンジバル島「1国2制度」の歴史と文化

東アフリカの主要国の一つであるタンザニアは、古くからインド洋交易の中継地として栄えた歴史を持ちます。

アフリカ・アラブ・ペルシャ・インド、そしてヨーロッパの文化が何世紀にもわたって混ざり合い、独自の「スワヒリ文化」が醸成されていった国です。

そのタンザニアには、タンザニアというひとつの国にありながら、独自の自治、制度を持ったエリアがあります。

それがザンジバル島。

最大都市ダルエスサラームから、旧市街のストーンタウンまで距離にして約80km。

フェリーで1時間半ほどのインド洋沖に浮かんでいる島です。

スパイスの島&「1国2制度」のザンジバル

今回の旅で私はルワンダから空路直行便で入国しましたが、ザンジバルは同じタンザニアであるダルエスサラームから渡る際でも、パスポートチェックが必要な島。

そこだけ見ると、大陸中国と香港やマカオのような関係でしょうか。

そんなザンジバルの歴史背景を、街を歩き出す前に整理してみたい。

ザンジバルは「スパイスの島」

こう書くと、世界地図を思い浮かべる私などは、「スパイスはインドからの交易なのでは」と思ってしまう。

実際、スパイスといえばインドのイメージが強く、ザンジバルにも多くのインド系移民が渡ってきて交易を支えていた。

ところが、正確には、インドや東南アジアから持ち込まれたスパイスの苗がこの島に根付き、島全体の経済を支配するほどの巨大産業へと発展していったというのが歴史的事実。

ザンジバル島はスパイスの「中継地」だっただけでなく、世界屈指の「一大生産地」そのものだったわけです。

ザンジバルがスパイスの島となったのは、単に気候が適していたからだけでなく、19世紀のアラブ(オマーン)による支配が大きく関係しています。

1840年には、オマーンのサイード王は、首都をアラビア半島からこのザンジバル島へ移してしまうほど、この島は交易の要所として魅力的でした。

サイード王は、当時ヨーロッパや世界中で高値で取引されていたスパイス「クローブ」に目をつけ、島全域に強制的にプランテーションを作らせます。

これが大成功し、ザンジバルは一時「世界最大のクローブ生産地」となり、文字通り「スパイスの島」として世界に君臨しました。

いっぽうで、このスパイス経済を支えたのは、アフリカ本土から連れてこられた膨大な数の黒人奴隷。

ザンジバルは東アフリカ最大の奴隷市場となり、スパイスと奴隷、そして象牙が飛び交う「富と悲劇が同居する島」となったという、忘れてはならない背景もあります。

タンザニアの中の「国」1国2制度のザンジバル

ザンジバルは、タンザニアという国の中において、独自の大統領、独自の議会、そして独自の憲法を持つ「半自律自治区」。

ザンジバル人が「私たちはタンザニア人ではなく、ザンジバル人だ」という強い誇りを持つ背景には、「血塗られた革命の記憶」と「文化的・宗教的孤立への警戒」があります。

1963年にザンジバルはイギリスから独立しましたが、政治的な実権を握ったのは、人口では少数派だったアラブ系を基盤とする勢力でした。

これに対し、奴隷貿易やプランテーション支配の歴史のなかで社会的格差を抱えてきたアフリカ系住民の不満が噴出し、わずか1ヶ月後に「ザンジバル革命」が勃発。

この革命は非常に激しいもので、多くのアラブ系やインド系住民が追放・虐殺され、アラブ王政は崩壊します。

ザンジバルの人たちは「自分たちの手で自由を勝ち取った」という強烈な自負を持っており、これが、のちに本土と合併する際にも「絶対に自分たちの主権は手放さない」という強い姿勢に繋がりました。

また、ザンジバルと本土(タンガニーカ)では、宗教と文化について、明確な違いがあります。

ザンジバルの住民は、約95%以上がイスラム教徒であるのに対し、本土はキリスト教徒、イスラム教徒、伝統宗教が混在。

また、ザンジバルは、何世紀にもわたるアラブやペルシャとの交流から、生活様式、服装(女性のヒジャブや男性のカンズ)、そしてスワヒリ語の標準語形成にも大きな影響を与えたザンジバルの言葉に独自の美意識を持っていて、文化のベースが異なると考えている。

「もし完全に本土に吸収されてしまえば、自分たちの尊いイスラムやスワヒリの伝統が、圧倒的多数派の本土文化にかき消されてしまうのではないか」という警戒感が今も根強く、ザンジバル側の強いアイデンティティと主権を尊重する形で、1国2制度という形に表れているというわけです。

私自身、インド洋に浮かぶ「ザンジバル島」について、世界地図を眺めたり、コーエーのゲーム「大航海時代」などを通じて存在は知っていましたが、これほど深く長年にわたる文化の積み上げや、本土との確執が残っているということまではおよびませんでした。

今回の旅で私は、ザンジバルの旧市街ストーン・タウンの繁華街の真ん中にホテルをとりました。

2000年にユネスコ世界文化遺産に登録された古都「ストーン・タウン」は、珊瑚の石(コーラル・ストーン)で造られた迷路のような路地が入り組んでいます。

そして、アラブ風の重厚な彫刻が施された木製の扉(ザンジバル・ドア)や、インド風のベランダなどが破壊されずに今も生活の場として息づいている街です。

ホテルの部屋で荷物を解いたら、さっそくストーン・タウンの散策に出かけたいと思います。

ストーン・タウンの真ん中 立地抜群の「スパイス・パレス・ホテル」

スパイスの島、だからこそのネーミングで、ホテルは「スパイス・パレス・ホテル」。

文字通り、ストーン・タウン旧市街のほぼど真ん中。

どこに行くにも徒歩圏内で、まさにストーンタウンを歩き尽くしてくれ、と言わんばかりの立地。

しかし、空港までの往来にタクシーを使う場合、ストーン・タウンの中は路地が狭すぎてクルマを横付けできないので、その点はご注意を。

スパイス・パレス・ホテルは、ストーンタウンのもっとも賑やかな一角にたってました。

ホテル内にはカフェが併設。

パレスホテルというぐらいですから、ロビーは宮殿のよう。

ストーンタウンの街歩きだけでなく、島全体のアクティビティの予約なども受け付けてるみたいです。

フロントで8ドルの観光勢を払い、鍵を渡された私の部屋は2階。

宮殿のようなカーペットに覆われた階段を上がっていくと、プールが現れました。

さすが、ストーンタウンにおける4つ星ホテル。

部屋も綺麗です。

この旅で、初めてエアコンのついた部屋に泊まります。

オシャレな蚊帳も常備されているし、1泊2食付きで9,500円なら文句はありません。

これまた、トイレとシャワールームが隔離されている部屋も、今回の旅で初めて。

要するに、旅の終わりに、少々奮発したわけです^ ^

このホテルでの2泊の滞在が終われば、私はアディスアベバ経由で日本に帰ることになります。

では、カメラバッグひとつの身軽な格好になって、散策準備よし。街に出かけましょう。