明日のバスチケット確保という最大のミッションをクリアしたので、これからはモンバサ観光。
まずは、モンバサの象徴ともいえる「フォート・ジーザス」に顔を出してみましょう。

かつてのフォートジーザス・ロード

実は、日本で仕入れたesimの調子が悪く、Googleマップをまともに使えない状態。
でも、モンバサ島の東へ東へと歩いていけば、オールドタウンやフォートジーザスがあることはわかってるので、むしろ地図を見ないで楽しい散策。

このあたりは「クルーマ・ロード」。
かつては「フォートジーザス・ロード」と呼ばれたほど、商人たちが行き交う繁華街であったらしい。

政府系の建物も点在しています。

そして、そのクルーマ・ロードを東に歩いていくと、

フォートジーザスに突き当たりました。

フォート・ジーザスから眺めるインド洋

1593年にポルトガルによって建設されたフォートジーザス。
よく見ればユネスコの文字、世界遺産にも登録されているみたいです。

そして、当たり前のように二重価格。
東アフリカの方は550シリング(660円)だけど、外国人は17ドル(2700円)。

4倍以上の差はまあいいとして、なんとチケットはeチケットのみ。
esimが機能していないデジタルデトックスな私は大騒ぎ(^ ^)

Wi-Fiを借りたりして、Chromeでカード決済がはじかれたり、とか、いろいろやって、なんとかクリア。
しかし、現金で払えないって、ケニアもなかなかすごいな。

淡々と解説してるけど、大航海時代の歴史が大好きな私にとって、モンバサは憧れの地。

フォートジーザスを訪れることができて、ドキドキしています。

繰り返すけど、この要塞を作ったのはポルトガル。
土着のスワヒリ民族ではありません。

栄華を極めたスワヒリ文化も、1497年にバスコダガマが来航してから歴史が一変しました。
インド洋の交易ルート支配を目論むポルトガルから、1500年代に何度も激しい襲撃を受けることになり、抵抗を続けていたものの、1592年には完全にポルトガルの支配下に落ちてしまいました。

だから、この大砲が狙っているのは、主にオマーン(アラブ勢力)の軍船や、植民地支配に反発する地元のスワヒリ民の船、そして同じくインド洋の利権を狙うイギリスなどの船です。

青い海を切り取るような狭い銃眼と、黒く突き出た大砲のコントラストが美しい。
当時の緊迫感と現在の静けさが同居する光景。

対岸はメインランド、大陸です。

つまり、この要塞からは、モンバサ港に入る船をすべて捉えられるということ。
大砲の射程距離は200mほどだったらしい。

古くからイスラムの商人が行き交い、象牙や黄金、スパイスの交易で平和に栄えていたスワヒリの海。
キリスト教の守護者が割り込んできて、世界の覇権と信仰が衝突する、血生臭い最前線だったとはとても思えない、今は、ただ美しく波打っているインド洋。

すごい船の数。実際、当時はこのくらいの船が海面を埋め尽くしていたんでしょう。

これによると、作ったのはポルトガルでも、オマーンが支配していた時代もあると書いてあります。

この要塞から行き交う船を監視していた人々も、入れ替わっているということですね。

そんな歴史の変遷を展示したミニ・ミュージアムが併設されています。

入ってみました。

わずか数世紀の間に、こんなにも支配者が入れ替わっている。

先住民のスワヒリ文化から、ポルトガル、オマーン、イギリスの支配を経てケニアの独立に至るまでの激動の歩みですが、実際には合計9回の支配者の交代があったようです。
ショーケースには、当時を偲ぶ伝統的な楽器や、王権・権威を象徴する品々が展示されています。
番号1と2は、シワと呼ばれる儀礼用の角笛とのこと。

こちらは、ケニアやスワヒリ沿岸地域に伝わる伝統的な刺繍技術とレザークラフトの職人技で作られたアタッシュケース。
これはカッコいい、持ってみたい。

こちらは、オマーンの支配下時代に、フォート・ジーザスを守っていた「バローチ人兵士」の武器。
ライフルに拳銃、そして弓矢という組み合わせが面白い。

外に出ました。

大航海時代のあとも、ここモンバサは、イギリスがウガンダ鉄道建設の拠点として、1896年から建設を開始している。
ビクトリア湖畔まで敷かれた鉄道は、インド人労働者などが奴隷のように連れてこられ、人喰いライオンに襲われながら開通させたそうである。
とにかく、モンバサは16世紀以降、凄惨で血塗られた歴史に満ちている。
しかし、現在は21世紀。
まだまだ危うい時代だけど、大局的に見れば侵略や奴隷のケースは間違いなく減っている。
インド洋からの風にはためくケニアの国旗に、平和を感じられたフォートジーザスでした。
