週末旅がはじまった、ではなく、金曜の夜がそのまま続いている感覚の仁川空港。
ほぼ徹夜で迎える異国の朝も久しぶり。
それでも身体に疲れはなく、むしろ気持ちは昂ってる。
精神年齢の若さを確認できたことが嬉しい。
それは、おそらく、水際緩和後すでに5回目となる海外渡航だけれども、3年間も禁欲された反動がまだ残ってるというのもあるし、本日これから向かう場所が、北朝鮮との軍事境界線DMZということもある。
いずれにしても睡眠不足は旅の敵なので、空港鉄道に乗り込むとすぐ、短い眠りに着きます。
そして、ツアー集合場所の「弘益大学」入口駅へ。
南北境界線DMZツアーとは
4月22日のソウルの朝は、まだ少し寒い。
ツアーのバスが来るまで、温かいカフェラテを飲んで温まります。
ところで、今回の週末旅の目玉は「南北境界線DMZツアー」に参加すること。
言葉だけで、すぐにピンと来る人もいれば、そうでない方もいらっしゃるでしょう。
なので、まずは簡単に、第二次世界大戦後の朝鮮半島の歴史を箇条書きにします。
- 1945年 ポツダム宣言受諾により、日本は領有していた朝鮮半島を手放す。
- 同年、北緯38度線より北をソ連が、南をアメリカが統治下とする。
- 1948年 南朝鮮に「大韓民国」、北朝鮮に「朝鮮民主主義人民共和国」が建国。
- 1950年 金日成率いる北朝鮮は韓国に侵攻。朝鮮戦争勃発。
- 1953年 北緯38度に軍事境界線がひかれ休戦へ。
起きた現象だけを淡々と書いてしまいましたが、この数行のイベントには数百万人の犠牲者を伴っています。
さらに、ここには複雑な条約も絡んだりするので、一筋縄ではいかないことはご理解ください。
ポイントは「朝鮮半島情勢は、戦争が終わったわけではなく、いまでも休戦状態である」ことと「北緯38度に軍事境界線」が引かれてること。
そして「軍事境界線」には「非武装地帯」が設けられ、これをDMZ(demilitarized zone)と呼んでいます。
非武装地帯は、軍事境界線からそれぞれ2km。
そこには、両国により軍をおかない取り決めになっている。
その外側も、韓国やアメリカの軍がキャンプを行うので、基本的に一般人は入れない。
そのエリアに、国連軍などの許可をもらうことで観光として見学できるのが「南北境界線DMZツアー」というわけです。
韓国を旅する以上、ここへはいつか絶対に行きたかった。
南北境界線DMZツアーの概要
このツアーは、かなり人気があり、多くの旅行会社が日帰りや、ソウル観光などをからめて企画しています。
そんな中、私はオプショナルツアーとして、今までも何回かお世話になった「ベルトラ」のツアーを選びました。
ツアーのプログラムは主に、
- 「臨津閣(イムジンガク)公園」:軍事境界線から7kmの場所にある平和記念公園。
- 「自由の橋」:休戦協定後、捕虜になった人が解放されて渡った橋。
- 「第3トンネル」:北朝鮮工作員が、秘密裏に掘削していたトンネル。
- 「都羅展望台(トラチョンマンデ)」:板店門や開城工場地帯を眺められる。
という、北朝鮮の大地を眺めることができる、8,100円のプランです。
ところが、DMZには、1日に入れる人数に制限がある。
だから、ツアーであっても、何時にどう行動できるのか、現地に行ってみなくてはわからない。
ツアー客の中には、とつぜん午前3時に召集がかかり、未明に着いたものの、入ることができず結局入れたのが午後、なんて例も実際にあったそう。
なので、個人手配で行くのは、観光日数に余裕のある方などで、私のような週末弾丸旅行者は、ツアー参加の方がよいと考えて申し込みました。
私の予約も、当初は日曜日でしたが、軍の行事があるとかで、土曜日に変更されています。
DMZ見学ツアースタート
弘益(ホンデ)大学は、「ホンデでなければ美大にあらず」と称される有名美術大学。
この大学を目指して何浪もしてしまう「ホンデ病」というのもあるらしい。
そんな曰くつきの、弘益大学駅で待つこと15分。
ツアーバスがやってきました。
もうすでに、いくつかピックアップポイントを回ってきた模様で、車内はほぼ満席。
ひとり旅の私は、運良く、2人分のシートを確保できました。
ざっと見渡したところ、欧米人30人、日本人8人という感じ。
そして、欧米人用の英語ガイドさんと、日本人用の日本語ガイドさんが2人添乗。
ガイドさんは2人とも韓国女性でした。
バスは、北朝鮮との国境に向けて、高速道路を快走します。
バスの中では、本日のツアー概要を簡単に説明してくれます。
それから、注意点の説明。
- パスポートは持ってきましたか? コピーはダメですよ。
- のちほど、同意書にサインしてくださいね。
- 先週までは、何時に入れるかわからなかったのが、国連軍と話をして緩和されました。
- 第3トンネルは汚れてもよい服装で。そして体力に自信がない方にはおすすめできません。
- 第3トンネル内と、これから通過する検問所は絶対に撮影しないでくださいね。
と、こんな感じです。
「国連軍と話をして・・・」という意味がわからなかったのですが、DMZ見学も観光の一環ということで、情勢に問題がない時は、入場者数を増枠したそうです。運がいい(^ ^)
臨津閣(イムジンガク)平和公園の光景
バスは弘益を出て40分ほどで、臨津閣に到着です。
ソウルからわずか40kmほどで、北朝鮮との国境付近に来られる不思議。
乗ってきたバス。
これはインフォメーションセンターで、ここから先、DMZに入るためのチケット購入や、その待ち時間を利用してのレストランなどがありました。トイレ休憩もできます。
ああ・・これが、発売枚数が制限されているチケット売り場ですね。
並んでる人いるわ・・・
食べ物屋さん。
このあたりまでは、国境の厳しい雰囲気、あるいは悲哀に満ちた情景は感じられません。
ところが、10分ほどの休憩の後、ガイドさんについて行くと・・
いきなり、京義線のレールが現れました。とたんに、厳粛な気持ちになります。
当時使っていたレール、そのままなのだろうか。
ガイドさんの説明がはじまりました。
これは、韓国の国営放送が建てた、1983年に離散家族を探しだすための記念碑。
マンヒャンの歌碑とあり、タイトルに「失われた30年」とあります。
朝鮮戦争がなんとか休戦したのが1953年。そこから30年ということですね。
とにかく戦争はひどく、夢中で逃げるしかなく、家族はバラバラになってしまった。
国営放送は、そんな離散してしまった家族のために、生い立ちや、逃げる時の状況を書いたスケッチブックをかかげ、そして離れ離れになった家族の写真をテレビで放送。
それによって、放送を見ていた人が、人から人へ話を伝え、家族が再会できた、ということもあったようです。
インターネットやSNSがなかった時代の、国営放送の知恵ですね。
翻訳するとわかると思いますが、とても悲しい文字が並んでいます。
この放送は、とても反響を呼び、出演を申し込む方が後を絶たず、138日間も放映されたとのこと。
日本語のガイドさんがいると、こんなこともきちんと説明してくれるからありがたい。
ガイドさんが説明してくれている間、ずっと歌声が流れてました。
望拝壇(マンべダン)離散家族の祈りの場所
国営放送の記念碑の奥にあるのが、望拝壇(マンべダン)。
北朝鮮に残された家族に対して、祈りを捧げる場所。
ここ臨津閣は、北朝鮮との軍事境界線から7km。
一般人が自由に動けるエリアで、もっとも北朝鮮に近い場所となる。
それで、正月やお盆の際に、離散家族のために墓参りのためにつくられました。
いまは避難民もだいぶ少なくなってしまったが、10年くらい前までは、お参りする人がとてもお多かったとガイドさん。
同じ民族が、戦争で離れ離れになるというのは、どんな心境でしょうか。
私と一緒に行動している日本人8名も、神妙な面持ちです。
さて、さきほどのレールまで戻って、自由の橋の見学に参りましょう。