古代都市ソフィアの中心「スヴェタ・ネデリャ広場」周辺の遺跡めぐり【ブルガリア旅行記 #8】

ソフィアの歴史は古く、そのルーツはなんと7000年以上。

ヨーロッパでも、最古の都市のひとつとされています。

しかし、ソフィアと呼ばれるようになったのは14世紀からで、かつては「セルディカ」と呼ばれていました。

「セルディカ」は、東西南北に伸びるメトロが交差する駅にもなっていて、その地上にあるのが「スヴェタ・ネデリャ広場」。

まさにソフィアの中心といってよいところで、この周辺にモスクや教会、遺跡なども点在しています。

ソフィアセントラル駅から徒歩で南下してきた私は、ちょうど上のグーグルマップの北辺にいます。

では、ソフィアの見どころを、ひとつひとつめぐっていきましょう。

バーニャ・バシ・ジャーミヤ&元公衆温泉浴場

さっき、ユダヤ教の「ソフィアシナゴーグ」を目にしたばかりなので面くらいますが、イスラム教のモスクです。

モスク特有のミナレットが、青空に向かって高々とそびえたってます。

ブルガリアが、かつてオスマン朝であったことの証。

1566年にオスマン朝の最高の建築家であったミマール・スィナン氏によって設計されたとのこと。

かつてオスマン朝~、と簡単に書きましたが、その前は1000年以上もつづいたビザンツ帝国です。

歴史がすごすぎて、身震いしますね。

トイレがあったので借りました。借り賃は0.5レヴァ(37円)。けっこう高いw

ここも、なぜか入れなかった。

なんだろ? なにか行事でもやってたとか?

このモスクの裏手にある、立派な建物。

「元」公衆温泉浴場。「元」と書いたのは、いまは歴史博物館になっているから。

知りませんでしたが、ブルガリアは温泉大国でもあります。

ローマ帝国の慣習のひとつ「テルマエ(大浴場)」ですね。

「ここで入浴や身体洗いをしてはいけません」と英語で書いてある。

でも、この近くに、本物の温泉が湧き出ているという話を聞いていたんだけど、どこだかわかりませんでしたw

公衆浴場前広場にたっていた像。

ちゃんと、トイレもありました。

市民の憩いの場となっている「元」公衆浴場前広場でした。

さっきのモスク。「バーニャ」とはキリル語で「風呂」を表すみたい。

なるほど、つながりました。

モスクの隣にあった大きなスーパー。

どんな建物でもセンス良くつくるものだな、と感心します。

むかいのマックもすごい。マックの看板がなかったら、とてもマクドナルドとは思えない。

セルディカ遺跡

なんと、街のど真ん中に遺跡がある。

この「バーニャ・バシ・ジャーミヤ」モスクのすぐ南にあるのが、セルディカ遺跡。

街のど真ん中に遺跡って、私が訪れた場所だと、ベイルートを思い出します。

遺跡とモスクとマクドナルド。古代、中世、現代ですねw

セカンドストリートとありますね。どれだけ大きな遺跡なのでしょうか。

でも、こんなに露出しちゃってていいのかな。どんどん風化していってしまいそう。

この遺跡は、地下鉄工事の際に発見されたようで、まさにメトロの「セルディカ駅」まで続いてました。

遺跡は、東のほうにも広がっていました。

目の前に見える建物は旧共産党本部。

こちら側の遺跡は、しっかりとフードにおさめられてます。

しかし、ここも入れなかったw これで3連続・・・

今日は平日で警備員がいないから?

残念なので、半透明なフードを通してのぞきこみます。

こちらの遺跡は、2世紀ごろというから、ビザンツ帝国の前のローマ帝国時代。

日本では、2世紀といえば卑弥呼も登場する前。

そんな時代に、城塞都市があったとはさすがにローマ帝国です。

聖ペトカ地下教会

旧共産党本部の建物前からセルディカ駅に向かって戻ります。

さきほどの地下の遺跡の延長上のような建物が「聖ペトカ地下教会」。

地下から発掘されたわけではなく、オスマン朝時代の14世紀に建てられたのが原因。

イスラム国家において、肩身を狭くしてキリスト教教会をたてたので、こんな姿になっているとのこと。

たしかに、ミナレットが高々と輝いていた先ほどの「バーニャ・バシ・ジャーミヤ」モスクとは、えらい違いです。

わざわざ半地下にしないと建築が許可されなかったのでしょうか。

それにしても、この徒歩圏の中に、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の教会が集まっているのはなんとも不思議。

これは、半地下の教会から見上げるソフィアのシンボル像。

そのシンボル像の下には、メトロの「セルディカ駅」。

今朝乗り換えたときは、よくわからなかったけど、実は街の中心だったんだ。

聖ペトカ教会から、周りを見渡すと、ソフィアの中心であるも、建物は新旧入り乱れているのがわかります。

では、ソフィアの中心「スヴェタ・ネデリャ広場」に出るために、「セルディカ駅」の地下道へ。

このあたりも治安はあまりよくないとのことですが、まあ昼間だし大丈夫でしょう。

ちゃんと、スヴェタ・ネデリャ広場って書いてありました。しかし落書きがひどい・・

聖ネデリャ教会

地下道を出ると、まばゆいばかりのスヴェタ・ネデリャ広場が広がっています。

その一角に建つのが「聖ネデリャ教会」。

ブルガリア正教の教会で、オスマン朝の支配から解放された後、近くのキリスト教教会や私学校をあつめて建てられました。

さっきの「聖ペトカ地下教会」が併合されなかった理由はなんだろう?

非常に特徴ある外観ですが、もとは木造建築。ビザンツ帝国時代から数百年の歴史をもつとのこと。

この聖なる場所で、1925年には国王を狙った爆弾テロがあったらしい。

王様は無事だったものの120名以上の方が亡くなった痛ましいテロでした。

いまでは、平和そうな光景が広がるスヴェタ・ネデリャ広場。

広場に掲げられていた看板。

これによると、2015年から2017年にかけて、広場の北側で、2世紀から6世紀のローマ帝国時代とされる貴重な遺跡が発掘されたとあります。

ソフィアは、今も昔もブルガリアの中心。

イスタンブールにも近く交易も盛ん、そして周囲を山で囲まれ、水も温泉も湧き、都市国家をつくりやすかったのでしょう。

そんなヨーロッパでも最古の部類に入るソフィアの中心「スヴェタ・ネデリャ広場」に立って、なにかを叫びたくなります(^^)

聖ゲオルギ教会

さて、極めつけは、こちらの「聖ゲオルギ教会」。

レンガ造りで重厚感漂うだけではありません。

この教会もまた、遺跡につながっています。

ほんとにすごい。一国の首都に、こんなに遺跡が点在しているって、古代ローマなら当たり前なのでしょうか。

イタリアのローマは行ったことないけど。

しかも、周囲をビルが囲んでいるので、さらに荘厳な光景です。

ちなみに、囲んでいる建物は「ソフィアバルカンホテル」。

この遺跡は、古代ローマ時代の浴場跡。あのお二人は、入浴気分に浸っているのでしょうか。

現存するソフィア最古の教会だそうです。

創建は4世紀とのことですが、この建物は実際にいつごろ建ったのでしょうか。

赤茶色の壁がイスタンブールのアヤソフィアを彷彿させます。

そして、とても静かです。

バルカン半島でも最古に属する教会を前に、タイムスリップした気分です(^^)

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