とにかくすごい量のレバノン料理。とても全部は食べきれず、会計を済まして店の外に出ると、運転手がニヤニヤしながら待ってました。
そして「good?」。レバノン料理は、レバノン人の誇りでもあるのかな。
クルマは、ベイルート市街に向けて走ります。
ベイルート旧市街(ダウンタウン)の張りつめた空気
本日、半日を行動をともにしてくれた運転手に、「ダウンタウンはセーフティか?」と聞くと、「セーフティだ。ただ、カメラは気をつけろよ。」
ダウンタウンのデモは落ち着いていて、部分的に封鎖されている箇所はあるが、デモは平和的に行われているという、本邦外務省の情報通りのようです。
私は、レバノンに来て以来、首都ベイルートの旧市街(ダウンタウン)を歩いていません。
クルマがベイルート市内に入ると、旧市街の中心ムハンマド・アミーン・モスクのあたりで、止めてもらい、運転手と握手して別れました。
レバノンのチップの習慣
ベイルートのハムラ地区から、ジェイタ洞窟、ハリッサ、ビブロスと回って、ベイルートに帰ってきて、当初の交渉どおり70,000LP(4,900円)。そこにチップを5,000LP(350円)ほど乗せてあげると、運転手はニッコリ。
レバノンは、チップの習慣が根強く残っているらしく、チップをもらうことを前提に、給与体系が決められていることもあるらしい。
しかし、チップというのは、渡す程度が難しい。相場がわからないので、5,000LPほど渡したんですが、笑顔だったところを見ると、決して外れたレートではなかった模様。
昨日のバールベックツアーに参加した際も、最後にドロップオフするとき、ツアー客が運転手兼ガイドさんに5,000LPくらい払っていたんですよね。
いずれにしろ、トータル5千円そこそこで、半日チャーターできたんですから、私としては大満足です。
警官に囲まれたムハンマド・アミーン・モスク
運転手がおろしてくれた場所は、ベイルート旧市街のほぼ中心、ムハンマド・アミーン・モスクの近くでした。
もちろん、デモは行われてなく、周囲は非常に静かです。
と、簡単に言ってますが、これを写真に撮っていいのかどうか。まわりは警官と警察車両だらけ。
このモスク周辺は、完全に道路が封鎖されています。ただし、それは、デモ活動によってではなく、警察が治安維持のために、不特定多数の人間を入れなくしているようでした。
そんな状況ですから、とても、堂々と歩いて閉鎖域内に入る自信はありません。
検問所にいた警官に、「私は観光客なのだが、このモスクを撮ってもいいだろうか?」と恐る恐る聞くと、「フォト? OK!」と言って柵の一部を外して、入れてくれました。
警官の同意を得たので、とりあえず写真は撮れます。
そして、もうひとつ柵を越えさせてもらって、聖ジョージ教会のほうへ。
ここは、旧市街のど真ん中。ふだんなら、人通りの絶えない場所なんでしょうが、閑散としています。
通りには、やはりデモ活動のあとのようなテントなどが放置されています。
ローマ時代の列柱通りの前で警官から賄賂を要求される!?
そして、聖ジョージ教会の隣には、ローマ時代からの遺跡が残されています。
ベイルート旧市街の楽しみは、「中東のパリ」とも称される街並みではなく、街中に残る遺跡だと思っています。
こんな遺跡が、街中に忽然と現れるのだからすごい。
至るところに教会やモスクが。並んで建っているところもすごい。
柵には、デモの様子が貼り付けてありました。いまは、平静を保ってますが、ピークでは、このあたりは、大変に荒れたんでしょう。
なぜか、案内板にバリケードが巻かれています。
警官の脅し?
と、次の瞬間、警官が寄ってきて、パスポートを見せろ、と職務質問。
私は、被写体に警察関係が入らないように撮っていますが、実は周囲は警官だらけ。
遺跡の写真を撮ってはいけなかったのだろうか・・・と思いながら、パスポートを差し出すと、ペラペラめくって返してきたあとで「ジャパニーズ? 100USダラーズ。」と言って、手を差し出してきました。
「why?」と聞いても、ニヤニヤするだけ。
そのうちに、ほかの警官もやってきて、同じように「100ダラーズ」と言って詰め寄ってきます。
私は蒼くなりましたが、かろうじて「I connot pay.」と言うと、笑いながら手を振って去っていきました。
いやあ、びっくりしたなあ・・・
本気だったのではないんだろうけど、やっぱり警官の大勢いるところは心臓に悪い。
この先は、首相府があり、ますます警官の数は増えます。
ローマ浴場やエトワール広場に通じる道も閉鎖されています。
私は、旧市街の観光をあきらめ、引き返すことにしました。
実際、この通りは、激しくデモ抗議が行われた場所なんだろうな。
道路を封鎖するためのブロック。
観光客もいることはいます。
生々しいデモの傷跡
しかし、ちょっと歩くと、こんな光景も目に入ります。
旧市街から出ようと、ムハンマド・アミーン・モスクの横を通ると、これは抗議活動参加者かな。
足早に立ち去ります。ちなみに、このモスクの隣の場所は、2005年2月にハリーリ首相が暗殺された現場です。
おいおい、そんなとこ写真とって大丈夫か?(私もか・・)
ここは、殉教者広場前。デモの残骸が散乱しています。
「中東のパリ」の寂しい姿
旧市街を出て、ハムラ地区の方に歩きます。
本来なら、美しく賑わっているはずの「中東のパリ」も、ダウンタウンが閉鎖されているので、活気があありません。
長い内戦から復活したベイルート。
土曜日の夕方とは思えないほど、閑散としています。
ここは、ベイルート・スークに通じる道。
そのスークもガラガラです。
ベイルート市民は、いったいどこに行ってしまったのか?
寂しく立つモニュメント。
ガラスの割られたテレフォンボックス。
内戦の傷跡 ホリデイ・イン・ベイルート
旧市街から、西に向かって歩いているうちに、傷跡生々しいビルに遭遇しました。
15年にもわたるベイルートの内戦の激しさを物語る「ホリディ・イン・ベイルート」の当時の姿です。
1975年から1990年まで続いた内戦。別名「ホテル街の戦闘」と呼ばれ、当時対立していたイスラム教徒とキリスト教徒の間の戦場となった。
当時は、高層建築物も少なく、立てこもったキリスト教徒(レバノン解放戦線)は格好の標的になったという。
海外の特派員が、ベイルートの惨状をテレビで報道していたのを、当時小学生だった私も見ていました。それが、この場所だったんですね。
ところで、なぜ、取り壊さないんでしょうか。
現在は、「ホリディ・イン・ベイルート」の周囲は、綺麗なホテル街になっています。
名実ともに、ベイルートの治安が安定することを願いながら、旧市街をはなれました。