トラムが走るソフィアの街&露土戦争の慰霊アレクサンダル・ネフスキー寺院【ブルガリア旅行記 #9】

ヨーロッパの街を歩いていて、眺めていて楽しいのがトラム。

なぜ楽しいのか、理由をうまく説明できませんが、異文化の生活を臨場感もって感じられるからでしょう。

トラムが走り回るソフィアの街

もちろん、日本にだって路面電車が走り回る街はいくつもありますが、車両のカタチ、人々の表情、背景となる建物がまるで違うんです。

トラムにしても、たった1両で走るものあり。

数両連ねて走るものあり。

途中で、思わぬ方角に分岐したり、見ていてほんとに楽しいんです。

美味しそうなパン屋さんです。楽しいソフィアの街歩き。

おや?マックだ。コーヒーブレイクといきますか。

チーズバーガーとコーヒー。6.2レヴァ(458円)。

驚いたのが、このレシートを見せてくれ、というおばさんが現れたこと。

最初は「何者?」と思ったけど、このレシートに記載されているワンタイムパスワードを入力しないと、トイレのドアが開かないらしい。

ツァール・オスヴォボディテル大通りを東へ

スヴェタ・ネデリャ広場から、ツァール・オスヴォボディテル大通りを東へ歩きます。

旧共産党本部や国立美術館など、威厳のある外観の建物が次々と現れます。

時刻も夕方近くなってきて、少々急いでいます。

というのも、ソフィア滞在は本日だけだから。

相変わらずの弾丸日程だけど、これは仕方ない。

なるべく、見どころの多い通りを選んで歩いているつもり。

突然現れた教会が「聖ニコライ・ロシア教会」。夕日を浴びて美しい外観。

玉ねぎ型の屋根が懐かしいな・・ブルガリアは親ロシア派の方も多い。

ロシア正教をブルガリアで見かけても不思議はないです。

そして、「聖ニコライ・ロシア教会」の建つ広場を抜けると、前方には巨大な「アレクサンダル・ネフスキー寺院」が立ちはだかってました。

首都ソフィアの由来「聖ソフィア教会」

「アレクサンダル・ネフスキー寺院」が巨大すぎて、そのまままっすぐ向かってしまいそうですが、その斜め左手に見えてくるのが、「聖ソフィア教会」。

6世紀に建てられたビザンツ様式のキリスト教教会。

美しい赤レンガは、さきほど見学した「聖ゲオルギ教会」を思い出しますが、なんとなく、イスタンブールのアヤソフィアを思い出してしまうのはなぜだろう?

建てられた時期が同じだからか、ミナレットと丸屋根があれば「アヤソフィア」に通じるものがあると、私は思いました。

ブルガリアの首都ソフィアの名前の由来となった由緒ある教会。

オスマン朝時代には、モスクとして使用されたことも「アヤソフィア」に似てますね。

露土戦争の慰霊「アレクサンドル・ネフスキー寺院」

さて、50mの高さをほこる、教会だらけのソフィアにおいても、ひときわ目立つ「アレクサンドル・ネフスキー寺院」です。

アレクサンドルという名称から、アレキサンダー大王の時代を想像してしまいますが、ブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争で戦死したロシア兵を慰霊する目的で1912年に完成。

約8年で完成にこぎつけたというから、相当な突貫工事であったと推測されます。

ソフィアの教会めぐりも、本日は行事が行われていて、どこもお払い箱でしたが、ようやく入れます。

ところが、カメラのマークに10レヴァ?

写真撮影には10レヴァ(740円)ということのようです。

おお・・・すごい。

天井から吊り下げられた巨大で美しいシャンデリア。

写真を撮った瞬間、警備員のような方がすっとんできました。

さっきの10レヴァのチケットを見せるとにこやかに「ウエルカム!」。

びっくりするでしょ、もう。

では、落ち着いて、シャンデリアやモザイク壁画などを眺めます。

天井のドームに描かれたモザイクが見事です。

このシャンデリア。落下したら大変なことになるだろうな・・

ふんだんに使われている大理石は、ギリシア、イタリアだけでなくブラジルなどからも持ち込まれたものらしい。

20万人のロシア兵の慰霊・・とは複雑な事情ですが、時代はめぐっているということでしょうか。

よくよく見ると、ドームの中にまたドームがあるという、変わった建築手法。

露土戦争ですか。考えてみれば、いや考えなくても、ヨーロッパの歴史は戦争の連続でしたね。

ロシアは今も昔も黒海から南下できる不凍港が欲しかったという証。

歩き疲れて、ベンチに腰を下ろします。

5000人も収容できるブルガリア最大の寺院ということですが、タテには大きいけど、床面積的には5000人も入るのかな。

ステンドグラスも美しい。

絶え間なくブルガリアの人々が訪れていた「アレクサンドル・ネフスキー寺院」でした。

寺院の東のロータリーの中心にたっていたモニュメント。

この方が、まさにオスマン帝国の支配からブルガリアの解放を求めた「ヴァシル・レフスキ」氏。

しかし、解放運動中に拘束され絞首刑となっています。

碑に備えられた無数の花が、ブルガリア人の敬意を物語っています。

 

「アレクサンドル・ネフスキー寺院」の南には、解放者記念像。

こちらは、ロシア皇帝アレクサンダル2世。

露土戦争に勝利し、ブルガリアをオスマン帝国から解放に導いた英雄です。

こうしたことからも、歴史的には、ブルガリア人には親ロシア派が多いはず。

しかし、ロシアのウクライナ侵攻により、ブルガリアはNATOの一員でもあることから天然ガスの供給をロシアから止められるなど関係が悪化。

2022年11月には、ついにウクライナへの武器供給をブルガリア議会が承認しました。

複雑に絡み合った東欧各国の諸事情を、無力な私は手を合わせて見守ることしかできません。

今回のブルガリア&ルーマニア4泊7日ひとり旅の全行程・費用などはこちらです。