さて、円形闘技場をあとに、今度は同じ円形でもローマ劇場に向かいます。
円形劇場に、特にこだわりがあるわけではないんですが、古代ローマの劇場といえば円形だし、明日訪れる予定のスースという街の先の「エル・ジェム」という町にも立派な円形劇場が残されているんですが、スケジュールの都合で「エル・ジェム」には行けないので、見れる円形劇場は、片っ端から見ていこうという方針です。
カルタゴの道を歩いて円形闘技場 ⇒ ローマ劇場
ところで、交差点という交差点に、武装した警官がたむろしています。
まだ、テロの脅威がおさまってない証でしょうか。
ビュルサの丘から歩いてきた道を、海岸方面に戻ります。
遠く、地中海が見えました。曇っているので、どんよりした色なのは仕方ない。
そして、途中左折します。
ローマ劇場に到着。円形闘技場から、ゆっくり歩いて20分です。
冬のチュニジア、日中は太陽が出てなくても、けっこう暖かく、早く歩くと汗かきます。
やっぱり、遺跡は徒歩観光に限りますね。しかし、このローマ劇場、入り口がいっぱいあるのに、正門しか開いてなかった。
現在も使われているローマ劇場
ローマ劇場に、正門から入ります。
それにしても、信じられないほど観光客がいない。完全に貸切です。
やっぱり、元日は海外でも祝日。自分を含めて祝い事をする日で、観光する日ではないんですね。
でも、開いてくれているので、私のような変人は、そのぶん、ゆったりと観光できます。
このローマ劇場は、毎年夏にカルタゴ国際フェスティバルとして、アーティスト会場にもなったりするそうです。
これは、そのためのドリンクバーかな。
観光客が1人もいない円形劇場。
なんと、24mmの広角レンズでは入りきりません(笑)
一生懸命、全景を入れようとはするんですが。
上に登っても無理。劇場が大きすぎて、入らないという、情けないハナシ。
18mmの広角レンズ買おうかな・・・
劇場の最上段に。
地中海が見えたからいいか。
でも、この劇場、大きいけど、現在も使われているだけあって、遺跡感(そんなものあるのか?)は低かったですね。
ローマ劇場のほぼ隣にあるのが、ローマ人の住居。
mapsmeを頼りに、最短経路で行こうとしたら、通行止め。正門を通って迂回します。
お、観光客発見。
ローマ人の住居
共通チケットを見せて入ります。
当時は、これが家だったんですね。
この住宅街も、ポエニ戦争で、焼き尽くされたのでしょうか。
第3次ポエニ戦争で、カルタゴを廃墟としたスキピオ家は、炎の上がるカルタゴの町並みを見て、「ローマにも、このように廃墟となる日が来るのだろうか。」と語ったとされています。
石畳の道を登ります。当時は名前がついていたんでしょうね。
上に登っていくと、住宅地の全容がわかります。
地中海も見えました。
ローマ人の住居。想像していたよりも広いです。
ローマ人の中でも、高級住宅街だったとされていますが、そんな気もします。
こうやって、地中海を臨めるんですからね。
されに上に上がると、列柱のある屋敷跡が現れますが、これは「ヴォリエールの別荘」。
現在も、ゆっくりと修復工事がなされているとのこと。
これ、床は当時のままじゃないでしょうね。
この内部に、モザイク模様の壁があったそうなんですが、気がつきませんでした(笑)
というのも、ちょうど晴れてきて、綺麗な地中海をおがめるかなと思ったので。
うん、逆光だけど、住居跡ごしに地中海が臨めて満足です。
これだけ、眺めがよければ、ローマ側からも、燃えさかるカルタゴの様子がよくわかったことでしょう。
ヴォリエールの別荘で必見のモザイクパネルは、撮り忘れましたが、床のモザイクはこんな感じです。
でも、これ、本当に当時のものかな。
2000年以上前のものなんだから、もっと風化してると思うんだけど。
さて、では、次のターゲット「アントニヌスの共同浴場」です。