さて、3連休を利用した澎湖島ひとり旅もいよいよ終盤。
現在、3連休最終日の7月17日(月)の13時。
これからの予定は、馬公空港を16時にフライトの「ユニー航空」で台北・松山へ。
桃園空港に移動して、0:10発のタイガーエアで羽田に4:25着。
そして、そのまま出勤と、いつも通りの弾丸スケジュールです(^ ^)
フライト3時間前だから、空港に移動しちゃってもいいのかもしれないけど、せっかくの澎湖島。
ギリギリまで時間を使って、澎湖を堪能します。
日本統治時代の軍人住居「篤行十村」
とはいうものの、そんなに遠くにはいけないので、ホテルから徒歩10分「篤行十村(ドゥーシン・スーツアン)」を見学することにしました。
ここです。
歩き出してすぐ、Eバイクを返却しちゃったことを悔やみました。暑い・・・
途中、こんなお寺を右手に見て、
順承門という門をくぐります。
1886年、清代からの由緒ある門のようですね。
たしかに貫禄ある。この壁も玄武岩とかで造られたのかな。
岩壁には、よくみると、戦防坑道入口の文字が。
今向かっている「篤行十村」は、日本統治時代の軍人の村です。
そして、汗をだらだら流しながらたどり着いた「篤行十村」。
元の住居の面影はあまりなく、観光客向けに改装された家がほとんどのこと。
それでも、雰囲気感じますね。軍人の住居ですか。
日本統治が終了してから、まだ78年ですからね。
では、その雰囲気の残る家並みに、足を踏み入れてみましょう。
月曜日なのに、観光客がいっぱい。
古ボケたワーゲン。ていうか、ワーゲンのバンって初めて見た。
いろんなお店に改装されているようでした。
軍人の住居らしい、整然とした路地を歩きます。
何の記念館なのだろうか?
本屋さん? 図書館?
この建物なんか、まさに日本人が作った感じですね。
では、あまり時間もないので、退散します。
空港に行く前に、馬公で最後の食事もとりたい。
大衆食堂で食べる刺身
さて、澎湖島での最後の食事は、やはり島らしく海の幸といきましょう。
昼から営業を開始する、地元民相手の大衆食堂。
注文をとりに来たのは少年でした。
人気のある店なのかな。落書きがいっぱい。日本語もある。
突然ですが、和食文化が世界に広がって久しい。
一昔前は、和食、というより生ものを口にする習慣がある国は限られていたが、今では各国でふつうに日本料理店が寿司や刺身を提供しているし、日本料理店でなくともメニューにあることも珍しくない。
特に、中国、台湾においては、近代まで刺身という食事文化がなかった。
その理由は学のない私にはわからないが、私の愛読する沢木幸太郎さんの「深夜特急」でも、香港で沢木氏が現地の学生に刺身をおごろうとすると拒絶反応を示していたというから、中華圏で刺身が一般化したのは 1980年代以降なのかもしれない。
考えてみれば、今までの旅歴で、私が刺身や寿司を異国で口にしたのはすべて日本料理屋だった。
それは、上海、マニラ、シンガポールといったアジア圏にとどまらず、バクーやベイルートといった場所にも日本料理屋は進出していて、日本から遠く離れた土地で寿司をいただいた。
これは、レバノン・ベイルートの日本料理屋で食べた寿司。
異国の地で、知らず知らずのうちに「日本料理屋」を選んでいたのは、刺身という生ものを調理するという繊細な衛生感覚について、無意識のうちに防衛していたのかもしれない(^ ^)
前置きが長くなってしまったけど、現地の地元民の店で刺身を食べるのは、私の初めての体験だ。
運ばれてきた「刺身盛り合わせ」は、見た目からして新鮮そのもの。
台湾の大衆食堂で、こんな料理が日常的に提供されているんですね。
わさびは、日本でいつも味わってるものとは少々味覚が異なるけど、十分にピリッときます。
すごいね。日本料理屋でなくても、ふつうに刺身が出てくる時代なんだ。
私が知らなかっただけなのかもしれないけど。
刺身だけでは物足りなく、チャーハンを追加。
これがまた、ボリュームたっぷり。
チャーハンも、エビとイカの入った海鮮チャーハン。
まさに、澎湖島最後の食事にふさわしい組み合わせになってくれました。
もう、思い残すことはない。
澎湖島でのおもてなし、最後までありがとう(^ ^)
食後のコーヒーをSUBWAYでいただいて、
ホテルでタクシーを呼んでもらいます。
この和田大飯店にもお世話になりました。
そうそう、怪我してる私の足を見て、テーピングをくれたんだよね。
本当にありがとう^ ^