ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓から、カシュガル老城のほうに向かおうと思うのですが、バスもタクシーもなかなか来ません。
歩いても20分くらいと思うんですが、1日中歩き回ってさすがに疲れています。ここは文明の利器を借ります。
そして、タクシーを降りたのが、カシュガル老城の前。
模型でできたようなカシュガル老城
カシュガル老城とは、カシュガルの昔ながらの町並みを残す人民東路の北側に広がるエリア。
町並みを残す、とはいっても、実際は、当時の様子を模して建て直されており、当時はこんな風だったんだね、と想像して歩くしかありません。
たしかに、ディズニー・シーや、どこかの○○村のようなテーマパークを思わせるアーチ。
カシュガル老城の中は、観光客でいっぱいでした。
模型のような町並みといっては失礼ですね。
おそらく、旧市街をそのまま残そうとも、老朽化が激しく、建て直さざるを得なかったんでしょう。
そこに、ウイグル人への強制立ち退きのようなことがなければですが。
お店をやっているのはウイグル人がほとんどです。
ほんとにテーマパークっぽく造ってます。
老城を北のほうに歩いていくと、急に、肉が焼ける、いい匂いがしてきました。
この辺一帯は、食べ物屋さんが、並んでるようです。
これは、でっかいパン屋さん。
スイカにメロン。カシュガルは産物に恵まれてますね。
これは、串焼き屋さん。
おお、ケバブもありました。やっぱり、ここは中東だ。
とにかく、すごい熱気です。今日は労働節だから? 普段の日も、こうなんだろうか?
おいしそうな果物類を、ウイグル人が売っています。
老街の中では、模型のような町並みより、ここが一番面白かったです。
再び旧市街へ
老街を出ると、そこはエイティガール寺院の前でした。
まだ陽は高いですが、すでに19時を回っています。
19時を回っても、広場で遊ぶ子供たち。
今日3度目となるエイティガール寺院の広場。
ベンチに腰掛けて、今日の行動を振り返っていると、男の子がやってきました。綺麗な目をしています。
旧市街をブラブラ歩いてみます。カシュガル滞在も、余すところあと数時間。
なにかの劇場です。
ちょうど、音楽が流れて、踊りがはじまった時でした。グランドシアターって書いてありますね。
日中よりも、人通りが多いです。
察するに、日中は暑すぎるけど、20時近くになれば陽も傾いて、幾分涼しくなる。外出は夕方にしよう、ということなのかもしれません。
たしかに、昼間の暑さではなく、時おり涼しい風が通り過ぎます。
涼しくなったとはいっても、空気は乾いているので、喉は渇きます。お茶を仕入れました。
飲んでみると砂糖入り。緑茶に砂糖って・・・
夜9時 まだまだ遊ぶ子供たち
涼しくなったので、子供たちも遊ぶ遊ぶ。
子供たちの声を聞きながら、迷路のような旧市街をあてもなく散策。
夜遊ぶというのは、生活上の知恵なんでしょうね。
カシュガルの夏は気温40度と聞きます。
もう、夜の9時過ぎてるんだけどね(笑) この子達は、いったい何時ごろ眠りにつくんだろう?
こちら側の旧市街には、青年旅社という安宿があるみたいだけど、そっちに泊まっても面白かったかもね。
とにかく、子供たちの、明るく無邪気な声が絶え間なく続きます。
知らない町を、あてもなく歩くのって、旅人にとって、こんな幸せなことはありません。
楽しい、カシュガル旧市街の散策でした。
カシュガル 最後の晩餐は牛肉麺
さて、時間を気にせず、歩き回っていましたが、そろそろ夕食にして、ホテルに戻りましょう。
カシュガルの旧市街でウイグル人たちの生活表情を観察してるのは、とても面白く、もう1日くらいいてもよかったのですが、私は明日未明の列車で、ホータンに向かって旅立たなくてはなりません。
列車の時間は、早暁3:26。朝というより、夜中の延長のような時間。
すなわち、あと6時間後には駅にいなくてはならないんです。
なので、すごく名残惜しいですが、子供の楽園のようであったカシュガル旧市街にお別れです。
さあ、夕食は何にしますか。
ラグメンでない、ふつうの牛肉麺が食べたくなって、このお店をチョイス。
少年がオーダーをとりにきます。メニューを指差して牛肉麺と餃子を頼みました。
この旅で、2回目の牛肉麺。でも細面ははじめて。
ラー油をたっぷり入れて、味付けます。うん、美味しい。
牛肉麺に慣れると、ふつうのラーメンでは満足できなくなってしまうのが不思議。
餃子は、ちょっと期待はずれでした(笑)
でも、辛くしたラー油入りスープにつけると、なかなかイケました。カシュガルの最後の晩餐は、牛肉麺に餃子でした。
食べ終わって、外に出ても、まだ町は眠る様子はありません。もう22時近いというのに。
旧市街から出ます。
習近平の映像を横目で見ながら、ホテルに戻ります。
朝から、カシュガルの町をとにかく歩きましたね。ウイグル人の生活も見れたし、大満足です。
町を行くウイグル人の表情からは、「共産党の弾圧」「再教育施設」などの影は、見てとれなかったです。
ただし、監視カメラが無数に設置されていたのは事実。
新疆ウイグルを情報監視社会のモデルにしようとする構想は、着実に進行しているのかもしれません。
あと数年したら、カシュガルの町は、どうなっているのか?
一帯一路構想の中継拠点として、交易で発展する? 軍事基地として発展する? ウイグル人の反乱が起こり、外国人がおいそれと旅をできるエリアではなくなってしまう?
上記の3番目を恐れて、共産党は町中に監視カメラを設置してるんでしょうが、どれもこれも可能性はなくはないと思います。
なにか、考えさせられるようなカシュガル散策でしたが、それ以上に、明るい表情だったウイグルの少年少女。
カシュガルが、今後どんな発展をしたとしても、人民西路の北側、解放北路の西側の一角は、ウイグル人だけの居場所として、守りきってもらいたい、そう感じました。