【晩秋の京都一人旅#20】撮影禁止の石塀小路 ~ ねねの住み処「圓徳院」

朝から、「建仁寺」とその塔頭「正伝永源院」「両足院」を回りました。

さすが京都だな、と思うのは、ここは祇園。すなわち、京都の代表的な歓楽街。

にもかかわらず、そんなところにいるとは思わせないような落ち着いた空間だった「正伝永源院」「両足院」の2つの塔頭には感銘を受けました。

この2つの塔頭が、私が訪れたこの晩秋に特別公開中だったのは幸運なことでした。

 

さて、せっかく祇園にいるのだから、あと一つ二つ、紅葉の映える寺院を回りたいと思います。

このエリアには、「高台寺」という豊臣秀吉ゆかりの紅葉の名所があるので、そこへ向かいつつ、その塔頭の「圓徳院(えんとくいん)」をたずねてみようと、祇園の町を歩きだしました。

「両足院」から「圓徳院」へ

「建仁寺」の境内から「安井北門通り」へ出て、東に歩きます。

もう、この時点で雰囲気あります。

この先には、撮影禁止で有名な石塀小路がありますが、私は、そんな気取った撮影禁止な場所より、普段着のストリートの方が好きです。

 

しかし、かっこいいお店も、中の様子がわからないと入りにくいよね。

男女の仲だけでなく、たばこや酒、病気との縁を切ってくれるという「安井金比羅宮」。

東大路通に出ました。ここから石塀小路を通りつつ「圓徳院」に向かいます。

法観寺八坂の塔と着物の女性の組み合わせ。

石塀小路の入り口。

ここから「撮影禁止」エリアとなるのかな・・・

なんか、一眼レフを提げてるだけでも、咎められそうな雰囲気・・

「圓徳院」は「円徳院」と書いてもいいんですね。

 

「撮影禁止」の石塀小路を歩きます。

 

まあ今は、「なんで撮影禁止なの?」といった感じの静けさですが、ひどいときは撮影会や外国人観光客などもまじって、ひどい騒音なのでしょう。

 

住民の方からしたら、たまったものではないですね。

コロナ渦の今、私の前後に、歩いている人はいません。

こんな石塀小路なんて、何年ぶり、いや何十年ぶりの現象なのでしょうか。

 

さて、ここが「石塀小路」から「ねねの道」への抜け道。

この門くらい撮ったっていいよね(笑)

 

小路というより、お店の中です。

 

ねねの道に出ました。

7月にもきた「ねねの道」。ここはもう撮影禁止ではありません。

なんか、緊張が解けていくのを覚えます。

豊臣秀吉の正妻・北政所ねねが晩年を過ごした「圓徳院」

では、祇園のかくれた紅葉の名所「圓徳院」に参りましょう。

「圓徳院」は臨済宗建仁寺派のお寺。

高台寺の塔頭ではありますが、建仁寺派なんですね。

チケットを買うとき「このあと高台寺にも行かれますか?」と声をかけられ「YES」と答えると、割引券をいただきました。

親切ですね(^_^)

豊臣秀吉の正妻・北政所(ねね)の終焉の地として知られている「圓徳院」。

77歳で亡くなるまでの19年間を過ごした場所です。

方丈の座敷にあがり、いきなり現れるのが「南庭」。

かなり散ってしまってはいますが、見事な紅葉が出迎えてくれました。

「南庭」だから、よく日が当たります。縁側に腰かけてひなたぼっこを楽しみます。

方丈の内部。

見事な襖。「雪月花」だそうです。

さっき通った小路は「ねねの小径」と呼ぶんですね。

 

「北庭」に通じる渡り廊下。

「ねねの小径」を見下ろします。

いつも思うけど、雨の日に、こういった回廊を歩いてみたい。風情あるだろうな。

これなんかは、実際にねねが使用していた家具でしょうか。

最初は「ねずみ」かと思ったら、キツネでした。

江戸時代、「御所周辺に出没した妖怪」だそうです??

今でも住めそうな「歌仙の間」。

「北書院」から眺める「北庭」の紅葉

方丈からずっと歩いてきて、誰とも会わなくて、「拝観者は誰もいないのかな・・」なんて思っていたのですが、いました。

巨岩岩石を用いた桃山時代の石組みが原型をとどめる枯山水の「北庭」。

11月30日ですが、紅葉はまだ拝めましたね。ありがたいことです。

ところが、誰もどいてくれない(笑) まいいか。

 

北政所ねねが亡くなったのは1624年。

晩年の19年間をここで過ごしたということは、1605年から。

その間には、大坂夏の陣もあり、豊臣氏が滅ぼされるまでの19年間と言ってもいいかもしれない。

その以前にも、本能寺の変あり、清須会議あり、太閤さまの朝鮮出兵などもあり、波乱万丈の人生だったんだな、とふと思いました。

秀吉の正妻ねねゆかりの「圓徳院」でした。

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