タイムマシンがあったら、なにをしたいか。
そんなよくある他愛もない問いかけをされたら、私には、その願望の一つに「急行『高千穂』号に乗りたい」というのがある。
急行「高千穂号」というのは、戦後まもないころから1970年代まで、東京と西鹿児島間を、四半世紀にわたって走り続けた長距離急行列車。
長距離急行といえば聞こえはいいが、クルーズトレインでもなんでもなく、なんの変哲もない座席が連なった急行列車である。
アンドロメダ行きの「銀河鉄道999号」のような車内とでも言ったらイメージが湧くだろうか。
「スリーナイン号」は、もっとマシですか。
※本記事の写真はすべて私が幼少期に撮ったものですが、「高千穂」ではありません。
座席は、いわゆるボックスシート。リクライニングどころか、背もたれも木張り。
昭和の日本、安く長距離を旅するとしたら、こんな感じの急行列車での移動は定番だったらしい。
私が国内の旅に明け暮れた昭和の終わりから平成にかけて、もうほとんど姿を消していたが、「青春18きっぷ」をにぎって旅に出ると、たまに出くわしたのが懐かしい。
(よく写真が残っていたものだ・・)
昔から、なんの飾りっけもない列車のかたい座席に座って、ぼんやりと窓の外を眺めているのが好きだった。
何時間も、十何時間も・・
そこに展開するのは、その土地のなにげない日常風景。
私と、見事なほどなんにも関係ない世界。
でも、そこでも社会が営まれ、人は私と同じように時を刻みながら生きているのだと、哲学的な境地にはまるのがたまらなく好きだった。
私が物心ついたころには、世の中は特急時代で、鈍行列車や急行で何時間も揺られながら旅するなんて、そのこと自体困難な時代。
でも、だからこそ、かろうじて生きながらえていた長距離を走る急行列車に乗って、半世紀も前の旅人の気分に浸るのは、えもいわれぬ旅愁を感じる瞬間だった。
上野から仙台まで、急行「まつしま」で5時間。そこから、鈍行列車で9時間かけて青森まで行き、青函連絡船に乗ったこともある。
函館に着いたら、そこから鈍行で札幌をめざす。
ずっと座りっぱなしだけど、疲れなどみじんも感じない。
人間は楽しいことをしていて、疲れを感じることあるのだろうか。
ところで、私の幼少期には、東京から西へ向かう急行列車はほぼすべて姿を消していたが、1970年代なかばまで、東京から西鹿児島まで「桜島」と「高千穂」という急行列車が走っていたらしい。
なぜ、私がこの列車に乗りたかったと思うのは、この列車が、当時日本で最長距離を走る列車で、かつ運転時間も最長だったからにほかならない。
細かい話になるが、「桜島」と「高千穂」は、行き先こそ同じ「西鹿児島」行きだが、九州に入ってから「桜島」は鹿児島本線、「高千穂」は日豊本線を走るため、当然遠回りの「高千穂」が日本最長の列車ということになっていた。
当時、新幹線は岡山まで。
しかし、近代ならいざ知らず、飛行機での移動も一般的になりつつあった時代に、東京から鹿児島まで、なんと28時間以上もかけて走る列車が存在したなんて信じられない。
しかも、使われている車両は、前述のような、よく言えば古色蒼然としたボックス席、悪く言えば、ニス塗りもはげかけた古ぼけたシート。
ひっぱる機関車は、流線型のフォームが美しいEF58型。
下の写真は急行「八甲田」のものだが、この機関車が先に述べた座席車両をつらねて、西鹿児島まで毎日運転されていたのである。
急行「高千穂」に乗って、本州から九州にかけて日常風景を眺め、今度は「桜島」に乗って帰ってくる。
冷房設備などもちろんないが、窓は開く。
往復3,000km以上の道中を、54時間以上かけて、窓外の日常にじかに触れる旅。
地図をたどり、移動している実感をかみしめながら・・
考えただけで、ゾクゾクしてくるのは私だけであろうか。
私は、本当に、日常的な乗り物に長時間乗っているのが大好きな人間だ。
かつては、シベリア鉄道9,288kmを7日間乗り通したこともある。
最近では、新疆ウイグル自治区トルファンからカシュガルまで、シルクロードの大地を眺めながら17時間の列車の旅をした。
中国大陸には、こういう列車が、それこそゴロゴロ走っている。
うらやましい限りである。
しかし、この狭い日本に、1,500km以上のロングラン。
そして24時間以上かけて走る生活列車が毎日走っていたなんて、おおいに驚いていいだろう。
私より20年くらい年上の人は、こういう列車での旅を楽しんでいたのか、あるいは余儀なくされていたのか。
時代はすすんで、アジア圏内なら、週末に弾丸旅行を十分楽しんでこれるご時勢となった。
サラリーマン風情の私などが、休暇を利用するだけで世界中を飛びまわれるのは、移動が便利になったことの証。
人生が時間とのたたかいである以上、もっともっと、究極に便利になってほしい。
時代がどう変わろうと、旅人は旅の味わい方を使い分け、さらに楽しむのである。
参考までに、「高千穂」の1974年当時の時刻表を掲載する。
主な駅のみで、また誤記等あるかもしれないのはご容赦いただきたい。
東京 | 10:00 |
横浜 | 10:29 |
沼津 | 11:56 |
静岡 | 12:46 |
名古屋 | 15:14 |
京都 | 17:28 |
大阪 | 18:04 |
姫路 | 19:43 |
岡山 | 21:00 |
福山 | 22:04 |
広島 | 23:59 |
小郡 | 2:42 |
門司 | 4:18 |
大分 | 6:56 |
延岡 | 9:33 |
宮崎 | 11:11 |
都城 | 12:26 |
西鹿児島 | 14:20 |
東京から名古屋まで5時間以上、大阪まで8時間もかかった時代なのかと、感慨深い。
余談ではあるが、「高千穂」で西鹿児島まで乗り通すと、まだ終点に着いていないのに、宮崎県あたりで、翌日の「高千穂」が東京駅を出発する。
なんか、まさにタイムスリップしてる妙な楽しい気分だ。
時刻表を眺めていると、別の楽しみも浮かんでくる。
列車は、もちろん窓が開く。
窓が開くとくれば、そこは「駅弁」である。
東京駅で駅弁をかかえて乗りこんだのち、28時間の旅の道中、駅弁を5~6個消費する妄想にとらわれる。
停車時間も主要駅なら5分程度は止まるので、お酒も買ってこれる。
当時、運賃のほかに300円の急行券だけで乗れた「高千穂」だったが、駅ごとにホームを物売りが行き交えば、楽しさとともにけっこうな散財になったのかもしれない。
時は流れ、いまは飛行機や新幹線の時代。
寝台特急でさえ、日本からはほぼ姿を消した。
昔のほうがよかったなどと言うつもりはないが、昼夜を通じて寡黙に走り続ける長距離列車からは、独特の旅愁を感じとれたことだろう。
日本にいるかぎり、それはやはりタイムマシンでもないと、実現できなさそうな夢である。