二〇三高地から眺める旅順港【旧満州旅行記 #4】

さて、なんとか旅順にたどり着くことはできましたが、どのように歩くか、具体的に決めずに来てしまいました。

一つ言えるのは、見どころは広範囲に散らばっているので、徒歩では無理。公共の市内バスでも効率が悪そうです。

そんな私の顔色を見透かしてか、女性のタクシー運転手が寄ってきました。

タクシーをチャーター  まず二〇三高地へ

まずは、二〇三高地に行くつもりだった私は、とりあえず、タクシーに乗り込んで交渉を開始です。

すると、運転手は、私のような観光客を手慣れていて、ここと、ここと、ここと・・・合計7ヵ所案内するけど、700元でどうか?と言ってきます。

たしかに、二〇三高地をはじめとして、旅順口の見どころは1つ1つがかなり離れている。

半日しかいられないし、タクシーで全部回ってもらうのも手です。

700のところを指差して、600元では、と言うと、最初は渋ったもののOKしてくれました。約1万円弱。

たぶんそれでも割高なんだろうな。でも、時間のない弾丸旅行者。時間を金で買わせてもらいます。

DPP_6866

タクシーの中に用意してあった地図。ちなみに運転手は30代くらいの女性です。

DPP_6629

まずは二〇三高地へ。

DPP_6630

DPP_6631

「旅順新港」へ通じる鉄道です。

DPP_6634

二〇三高地は、旅順口と旅順新港のほぼ中間にあります。
距離は約10キロ。歩いていける距離ではありません。

DPP_6636

DPP_6637

DPP_6639

日露戦争最大の激戦地 二〇三高地

二〇三高地の入り口に到着。なんかガランとしています。全然人がいません。

DPP_6640

チケットは紙ではなく、プラスチック製でした。

DPP_6857

てっぺんまで登っていきます。ちなみに、右側にいるのがタクシーの運転手さん。

DPP_6642

DPP_6643

二〇三高地。

言わずと知れた、日露戦争の激戦地。日清戦争ではなく、日露戦争であることが、やりきれない。

自分たちの土地を、他国の連中が争って奪っていく。

当時の国際社会のスタンダードだったとはいえ、中国国民の目にはどう映ってたんでしょうね。

 

だいぶスケールの小さい話ですが、子供のころ、広場で野球をやっていたら、上級生が来て「ここは俺たちのものだ」と、当たり前のように陣地を自分のものとし、しかも、上級生同士で、奪い合っている。

このとき、私は上級生を殺したいほど恨みましたが、そんな気分だったのかもしれない。

DPP_6644

DPP_6645

戦死者を弔う記念碑。

 

ロシアが欲しかった不凍港。でも、吹き抜ける風が冷たい(笑)
凍らなくても十分寒いです。

ここから、旅順港を砲撃したんですね。

アーリンサンと呼んだそうです。日露戦争後に乃木将軍は、この記念碑を建立して戦死者を弔いました。

運転手に「日本人はよく来るのか?」と聞くと、全然来ない、とのこと。

DPP_6654

素朴な疑問。
よく、中国政府が保存してくれているものです。

DPP_6656

寒風ふきずさむ二〇三高地にお別れです。

さて、次は、どこに向かうのかな。メモに書いた通りではなく、回りやすいように行ってくれるみたいです。

DPP_6660

DPP_6661

水師営会見所

水師営会見所のようです。なんか味のある建物です。雰囲気あるなあ・・

DPP_6663

入場料は40元。
ここは、112年前の元日。乃木希典とロシア側のステッセル将軍が、戦争終結の会見をした場所。

DPP_6863

入場料の40元は、解説者つきでした。

係員が、日本語で解説してくれます。

DPP_6667

DPP_6665

DPP_6668

とても正視できそうもない光景。
係員も、「戦争はいけないことです。残酷です。」と繰り返します。

DPP_6670

係員は、保存する予算が年々減っていると言ってました。

たしかに、こういう場所を訪れるのは日本人ぐらいしかおらず、その日本人の訪問がほとんどないのでは、なんのために保存しておくのかわからないということなんでしょう。

DPP_6672

DPP_6673

水師営会見所をあとに、タクシーは走り出します。

DPP_6674

今度は、どこに連れて行ってくれるのかな。

この運転手は、私のことをすっかり戦争マニアと思い込んでいるようですが。

一応、自分の名誉のために言っておきますが、私は、戦争推奨派では断じてありません(笑)

DPP_6675

東鶏冠山北堡塁に向かっているようです。

DPP_6676

東鶏冠山北堡塁 ロシア側の防御要塞跡

ここも、二〇三高地と並んだ激戦地だったそうです。

DPP_6678

また、プラスチックですね。

DPP_6858

この場所は、トーチカが有名ですが、トーチカに行く前に、展示室を見学。

DPP_6681

中国語が読めれば、なかなか楽しそうではあります。
でも、年代をふってくれているので、なんとなくわかります。

DPP_6682

DPP_6684

旅順の争奪戦ですか。

DPP_6686

凄まじい戦争だったようです。まだ100年ちょっとしかたっていません。

DPP_6687

満州事変ですね。

DPP_6688

このあたりから、日本の外交は狂ってきましたね。

単純な語学だけでなく、もっと、各国の歴史や宗教を学んで、それこそ、他国の懐に入っていかないと、日本の外交は、ますます孤立するでしょう。

DPP_6689

DPP_6693

ロシア側のトーチカだそうです。

DPP_6694

DPP_6696

しかし、生々しい・・・

DPP_6697

ものすごい激戦地だったそうです。

DPP_6698

戦死者は日本側で9,000人。

DPP_6699

DPP_6700

当時、配備された大砲は約30門。

DPP_6701

DPP_6702

肉弾戦となり、日本側もロシア側も、ほぼ全滅だったとか・・・
何万人という方がこの場所で亡くなっています。厳粛な気持ちになります。

DPP_6703

DPP_6704

運転手の案内も要領いいですが、もう一度聞いても、日本人はほとんど来ないとのこと。

DPP_6705

さて、次の史跡に案内してもらいます。

タイトルとURLをコピーしました