二〇三高地から眺める旅順港【旧満州旅行記 #4】

さて、なんとか旅順にたどり着くことはできましたが、どのように歩くか、具体的に決めずに来てしまいました。

一つ言えるのは、見どころは広範囲に散らばっているので、徒歩では無理。公共の市内バスでも効率が悪そうです。

そんな私の顔色を見透かしてか、女性のタクシー運転手が寄ってきました。

タクシーをチャーター  まず二〇三高地へ

まずは、二〇三高地に行くつもりだった私は、とりあえず、タクシーに乗り込んで交渉を開始です。

すると、運転手は、私のような観光客を手慣れていて、ここと、ここと、ここと・・・合計7ヵ所案内するけど、700元でどうか?と言ってきます。

たしかに、二〇三高地をはじめとして、旅順口の見どころは1つ1つがかなり離れている。

半日しかいられないし、タクシーで全部回ってもらうのも手です。

700のところを指差して、600元では、と言うと、最初は渋ったもののOKしてくれました。約1万円弱。

たぶんそれでも割高なんだろうな。でも、時間のない弾丸旅行者。時間を金で買わせてもらいます。

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タクシーの中に用意してあった地図。ちなみに運転手は30代くらいの女性です。

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まずは二〇三高地へ。

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「旅順新港」へ通じる鉄道です。

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二〇三高地は、旅順口と旅順新港のほぼ中間にあります。
距離は約10キロ。歩いていける距離ではありません。

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日露戦争最大の激戦地 二〇三高地

二〇三高地の入り口に到着。なんかガランとしています。全然人がいません。

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チケットは紙ではなく、プラスチック製でした。

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てっぺんまで登っていきます。ちなみに、右側にいるのがタクシーの運転手さん。

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二〇三高地。

言わずと知れた、日露戦争の激戦地。日清戦争ではなく、日露戦争であることが、やりきれない。

自分たちの土地を、他国の連中が争って奪っていく。

当時の国際社会のスタンダードだったとはいえ、中国国民の目にはどう映ってたんでしょうね。

 

だいぶスケールの小さい話ですが、子供のころ、広場で野球をやっていたら、上級生が来て「ここは俺たちのものだ」と、当たり前のように陣地を自分のものとし、しかも、上級生同士で、奪い合っている。

このとき、私は上級生を殺したいほど恨みましたが、そんな気分だったのかもしれない。

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戦死者を弔う記念碑。

 

ロシアが欲しかった不凍港。でも、吹き抜ける風が冷たい(笑)
凍らなくても十分寒いです。

ここから、旅順港を砲撃したんですね。

アーリンサンと呼んだそうです。日露戦争後に乃木将軍は、この記念碑を建立して戦死者を弔いました。

運転手に「日本人はよく来るのか?」と聞くと、全然来ない、とのこと。

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素朴な疑問。
よく、中国政府が保存してくれているものです。

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寒風ふきずさむ二〇三高地にお別れです。

さて、次は、どこに向かうのかな。メモに書いた通りではなく、回りやすいように行ってくれるみたいです。

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水師営会見所

水師営会見所のようです。なんか味のある建物です。雰囲気あるなあ・・

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入場料は40元。
ここは、112年前の元日。乃木希典とロシア側のステッセル将軍が、戦争終結の会見をした場所。

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入場料の40元は、解説者つきでした。

係員が、日本語で解説してくれます。

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とても正視できそうもない光景。
係員も、「戦争はいけないことです。残酷です。」と繰り返します。

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係員は、保存する予算が年々減っていると言ってました。

たしかに、こういう場所を訪れるのは日本人ぐらいしかおらず、その日本人の訪問がほとんどないのでは、なんのために保存しておくのかわからないということなんでしょう。

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水師営会見所をあとに、タクシーは走り出します。

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今度は、どこに連れて行ってくれるのかな。

この運転手は、私のことをすっかり戦争マニアと思い込んでいるようですが。

一応、自分の名誉のために言っておきますが、私は、戦争推奨派では断じてありません(笑)

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東鶏冠山北堡塁に向かっているようです。

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東鶏冠山北堡塁 ロシア側の防御要塞跡

ここも、二〇三高地と並んだ激戦地だったそうです。

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また、プラスチックですね。

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この場所は、トーチカが有名ですが、トーチカに行く前に、展示室を見学。

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中国語が読めれば、なかなか楽しそうではあります。
でも、年代をふってくれているので、なんとなくわかります。

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旅順の争奪戦ですか。

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凄まじい戦争だったようです。まだ100年ちょっとしかたっていません。

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満州事変ですね。

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このあたりから、日本の外交は狂ってきましたね。

単純な語学だけでなく、もっと、各国の歴史や宗教を学んで、それこそ、他国の懐に入っていかないと、日本の外交は、ますます孤立するでしょう。

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ロシア側のトーチカだそうです。

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しかし、生々しい・・・

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ものすごい激戦地だったそうです。

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戦死者は日本側で9,000人。

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当時、配備された大砲は約30門。

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肉弾戦となり、日本側もロシア側も、ほぼ全滅だったとか・・・
何万人という方がこの場所で亡くなっています。厳粛な気持ちになります。

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運転手の案内も要領いいですが、もう一度聞いても、日本人はほとんど来ないとのこと。

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さて、次の史跡に案内してもらいます。