さて、壮絶な戦いの場、雨花台に到着しました。
雨花台から見える風景
この辺から、中に入るみたいです。

気持ちのいい散歩。

広場の入り口に出ました。

まずは南側に目をやります。
あの向こうに見える建物は、雨花台烈士記念館。
「地球の歩き方」によると、この地は、歴史上、何度も壮絶な戦いの場になったとのこと。

そして振り向けば、烈士記念碑の姿が。
缅怀とは、革命烈士たちを偲ぶ、といった意味の言葉のようです。
とりあえず、登ってみます。わけもなく、緊張します(笑)

「缅怀」とかたどっているのは、鮮やかなラベンダー。(かな?)

太平天国と清の間でも、この地で大変な戦いがあったらしい。
「太平天国の乱」。
世界史の授業でしか習ったことはありませんが、欧米列強に食い荒らされる清国に、キリスト教徒である洪秀全が立ち上がっていった争い。
1851年の出来事。ペリーが来日する2年前ですね。
アヘン戦争の南京条約からは9年たっています。

何と書いてあるのか、ちょっと、私には恐ろしくて読めません。
南京と、日本の間で起きた過去の事件は、うかつに触れるべきではないでしょう。
ちなみに、まわりに日本人は1人もいません(いなかったと思う)。

辛亥革命のときも、この地では流血戦が行われたとのこと。
そもそも、雨花台の名前の由来は、南朝梁の時代(約1400年前)に、ある僧が説法していたところ、その説法に感動した神様が、花を雨のように降らした、という伝説によります。
戦いとは、およそ無関係なエピソードなんですけどね。

辛亥革命から、時は、まだたったの106年。

中華人民共和国の国家が刻まれてました。

まったく、争いとは無縁の平和な光景。

時計台が見えました。
雨花台風景名勝区の南端です。
けっこう、観光バスが乗り入れてくるんですね。
そのバスガイドが、どんな風に解説しているのか、聞きたいものです。

これが、烈士記念館。
烈士の遺品や、当時の写真などが掲載されているとのことですが、割愛します。

さて、公園を右回りで、北の正門へ。


雨花楼。
もともとは、雨花台の名前の由来となった僧が説法していた場所だったそうです。

烈士群像が目に入りました。

高さ約10mの烈士群像。
この場所は、革命烈士たちの、処刑の場だったとのこと。

数々の戦いの主戦場であった雨花台を後にします。

雨花台から中華門へ
さて、次は、中華門を目出すとします。
600mなら歩いて行けそうですね。

中華門に向う途中、壁に中国の数々の偉人が。

ああ、これは、元に最後まで戦ったとされる文天祥。

中華門の南門が見えてきました。

長千橋という橋を渡ります。


自動車が通り抜けられるように、トンネルが掘られてますね。

チケットを買って、中に入ります。

人気の少ない南側から入ったので、まずは北の正門のほうに行ってみます。

とはいっても、さすがに歩き疲れたので、休憩。

地下鉄の中華門駅を降りてから、雨花台、中華門と歩きっぱなしでした。
砂糖の入っていないお茶がわからないので、はじめから甘いことがわかってるペプシをチョイス。

南京 中華門の城壁
そして、城壁の上に上がります。

博物館がありました。ちょっと、のぞいて見ます。

この城壁に関わった偉人が、名を連ねています。

出ました。
覚悟はしていましたが、1937年の事件。
これ、ほんとに壊したのかな。この中華門を挟んでの攻防だったということですが・・


城壁の上に上がれば、そこには、争いなどみじんも感じさせない平和な光景。

中国に現存する、最大の城門だそうです。

しかし、壁の高さが低い。うっかり、よりかかったら落ちるよこれ。

こんなところを歩いている日本人は、私だけ。
中国人も、私のこと日本人とわかってるかな?
今、この場所で、「私は、日本人だぞ~!」と、叫んだら、何が起こるのだろうか?
(冗談です・・)


風も日差しも穏やか。南京の春は、この世の春ですね。

さて、これをずっと東に行ってからタクシーに乗れば、中山陵まではすぐでしょう。
でも、ここから3キロぐらいあるみたいなので、ここからタクシーで中山陵へ向うとします。
時間も、なんだかんだで13時過ぎ。列車の時間は18時ですから、少し急ぎましょう。

城壁を下ります。


中華門の正門まで来ました。

雨花台、中華門と、駆け足で歩きました。
歩き終わった後で、こういう所こそ、ガイドを雇って、解説を聞くべきだったかな、と少し後悔しました。
目の前の光景と、歴史上の悲劇が、うまく繋がらないし、政府が言っていること(教育していること)と、一般市民の考えなんかも聞きたいし。
これからは、積極的にガイドを頼んでもいいかな、そんな気持ちになる、雨花台、中華門めぐりでした。

さて、タクシーを拾って、中山陵を目指しましょう。