生々しい東鶏冠山北堡塁を見学して、厳粛な気持ちになりました。
運転手の話だと、ほとんど日本人は来ないということですが、日本人が来なくなったら、誰がこの場所を弔うのでしょうか?
私は、戦争を知らない世代。だからエラそうなことを言える立場ではありませんが、戦争の愚かさを語り継いでいくためにも、こういう場所は、修学旅行などで、訪問すべきと思います。
二龍山堡塁
次は、二龍山堡塁です。
旅順の三永久堡塁のひとつです。
ちなみに、風が吹き、とても寒いです。
兵隊さんや、市民たちも、この寒さはこたえたでしょう。
さきほどの東鶏冠山北堡塁と異なるのは、トーチカを組み上げるのではなく、地下埋没式の外壕であるとのこと。
しかし、砲撃から身を守るために、こんなとこに体を隠すなんて、どんな気分だったのかな・・
しかも、最後は地下から爆撃を受け、全滅・・
生きているという意味を、見つけるのが大変だったことでしょう・・
しかし、現在は、軽井沢あたりの高原を思わせるようなのどかさです。
夏は爽やかなのではないでしょうか。
白玉山塔から眺める旅順の町
100年ほど前、とてつもない激戦が繰り広げられたとは、とうてい思えない。
そんな、のどかな風景が広がる白玉山塔に到着しました。
ここが旅順口。感無量です。
白玉山塔への入場は40元。
それにしても、旅順などと、よく命名したものです。
水陸旅客の順路にあたる、極東の要だったからこそ、悲惨な争奪戦が展開されてしまったわけですが。
近年は、発展も著しいように見えます。
アパートなども、続々と建てられてますね。
開戦の前に、日英同盟まで取り付けて、戦った日本軍。
息子さんまで犠牲にした戦った乃木将軍。
そもそも、ここ遼東半島は、日清戦争で、日本が正々堂々と、確保した土地。それを、三国干渉で泣く泣く手放した土地。
戦争は、もちろんいけないことですが、日露戦争に負けていたら、日本も、キリスト教社会の植民地に、と思うとゾッとします。
運転手は、昼食はどうするのだ? と聞いてきますが、時間がもったいないので、ひたすら回ることにしました。
乃木希典と東郷平八郎が、日本兵慰霊のために建てた塔です。
快晴で、戦争の影など、微塵にも感じ取ることのできない白玉山を後にします。
旧旅順の最高法院
旧旅順の最高法院です。
ここで、いろんな事案を裁いたそうです。
由緒ありげな内部です。
裁くだけでなく、刑も執行していたらしい。
うわー・・・ って感じですね。
ねはんって、涅槃のことかと思ったら、当直って意味のようです。
東清鉄道の終着駅 旅順駅
続いて、旅順駅。ロシアが建設した、東清鉄道の終着駅。
中に入ることはできませんでした。
旅順博物館
だんだん、駆け足になってきましたが、旅順博物館。
中は撮影禁止。というより、運転手さん、「ここは日本人立ち入り禁止よ」と言って、自分の息子かなんかの身分証を見せて、私を入場させていましたが、大丈夫??
旅順の旧ヤマトホテル
旅順の旧ヤマトホテルだそうです。
軍港旅順の静かな波
そして最後、軍港旅順、眺めるだけでなく、入っちゃいました。
しかし、大丈夫かい? 「~歩き方」によると、外国人立ち入り禁止になってるけど。
運転手さんが、チケット売り場の人と知り合いみたいだったし、まいいか・・・
見おろすだけでなく、旅順の潮の香りを存分に吸い込みます。
風はおさまり、太陽が柔らかく暖かい旅順港です。
静かな波。
ちなみに、旅順は琥珀で有名とのこと。
これは、水師営会見所のお土産屋で、記念に買ってきました。
右側が琥珀です。
ここで、感慨に浸るのは、日本人ぐらいでしょう。
旅順港は綺麗でした。
軍港旅順の砲台と弾庫
時間が少しあったので、砲台を見学。
弾頭が当時のまま、保存されてました。
すごい威圧感。もう、お腹いっぱいです(笑)
駆け足だったけど、充実の旅順めぐりでした。
タクシー運転手にお礼を言って、バスターミナルに戻ります。