【世界遺産】時を越えて息づくパナマビエホ&鐘楼から眺める新市街の摩天楼【パナマ旅行記 #6】

世界史の授業で必ず出てくる歴史年表と言われて、何が頭に思い浮かぶだろうか。

私の場合、生来地理が大好きだったので、1492年のコロンブス新大陸発見や、1498年バスコダガマの喜望峰発見など。

旅を愛する人間として、これほど心揺さぶられるイベントはないと思う(^ ^)

そして、いま向かっているのが、コロンブスがサンサルバドル島を発見した27年後。

1519年に築かれたパナマビエホである。

この1519年を歴史年表に当てはめると、地球球体説を証明するために、マゼラン艦隊がセビリアを出航した年。

なんともスケールの大きいRPGをプレイしている感覚で、いつにも増して幸せな気分でパナマを歩いています。

新市街の渋滞を抜けてパナマビエホへ

本日は2024年8月7日。

効率的に行動できたパナマ運河のガトゥン閘門やサンロレンソ要塞のツアーから帰ってホテルで小休憩。

そして、14時。

Uberを呼んで、パナマの遺跡パナマビエホへ向かっています。

Uberの車窓から見える景色も物珍しいものばかり。

だから、渋滞で遅々として進まなくても、かえって景色が楽しめる。

ところで、Uberの運転手は女性でした。

いままでのUber利用履歴で女性の登場ははじめて。

この女性がとても気さくで親切。

新市街の名所の近くを通れば、翻訳アプリであれこれ説明してくれる。

この奇抜な建物の下を通る時は写真が撮りやすいようにスローダウンも。

ちなみにこのねじれた建物はF&Fタワーというオフィスビル。

高さは、あべのハルカス(300m)にはおよばないものの242mだそうです。

静寂に包まれた中世の遺跡パナマビエホ

さて、パナマビエホに到着。

マップによると細長いので、行って帰ってくると往復3キロくらいの行程になりそう。

だから上の写真のようなカートがあるんですね。

入場料は17ドルでした。

カートに運転手がいなかったのと、遺跡ロードを歩いてみたかったので、徒歩で敷地内に踏み込みます。

歩くほどに姿を表す遺跡群に向こうに見えるビル群。

つい数分前まで、クラクションと排気音がやかましい新市街の大渋滞にはまっていたのに、遺跡の中は驚くほど静か。

聞こえてくるのは風の音だけ。

接岸しているはずの太平洋も、このあたりは干潟になっていて波の音も聞こえない。

フランシスコ修道会が1520年代にここにあって、その時代の想像図とともに紹介されていました。

パナマビエホは、スペイン人ペドロ・アリアス・デ・アビラによって、1519年に築かれました。

これは、ヨーロッパ人によって造られた太平洋岸における最初の定住地でもあります。

その目的は、南米大陸から持ち帰った財宝を、ヨーロッパへ運ぶ交易の拠点とするため。

しかし、そんな砦にも修道院を建てるという宗教の力の重さを感じる。

修道院だから、現地住民を改宗させるためなのだろうか。

私のようなノンレリジョンにとっては、特にそう感じます。

原型の残るラ・コンセプシオン女修道院

そんな修道院においても、こちらは女修道院。

植民地時代においても唯一の女修道院とのこと。

女修道院だから、イギリスが襲撃するにしても扱いが丁寧だったのだろうか。

そう思わせるほど、当時の建物の大きさや間取りの様子がうかがえるほど遺跡が残されてました。

500年という年月は長いようで、実はあっという間なのかもしれない。

祖先がみんな40歳で子孫をつくっていたら、私の13代くらい前の祖父母が生きていた時代。

それが長いんだろうけどね。

女修道院のとなりにあるのはイエズス会の修道院。

これができたのは1578年。

フランシスコザビエルが日本に来たのは1549年だったな、と頭の中で地図と年表を組み合わせるのも旅の楽しさ。

ちなみに、ザビエルが新大陸に来たという記録はありません。

カテドラルからのパナマシティ展望

遠まきには「狼煙」のようにも見えたこの建物。

高さ30mほどもあるカテドラル跡の鐘楼です。

考えてみれば、サンロレンソ要塞とは違って、当時は太平洋岸から攻め込まれるリスクは少なかったのでしょう。

当初、木造で造られたカテドラルは何度か焼失し、石で造られたこのカテドラルは17世紀のもの。

手前の広場はマドリードにもあるのと同じマヨール広場と呼ばれています。

さて、こんなものが目に入れば、登ってみたくなるのは当然。

内部には、しっかりとした金属製のらせん階段が設営されてました。

安全を配慮するあたりは、さすが世界遺産。

しかし、115段はマンション6階分。汗が吹き出てきます。

登りきって、新市街方面の展望。

南側には太平洋。

この大聖堂は1626年に完成したとされています。

そして、こうして太平洋を眺めれば、日本人で初めて太平洋を渡って新大陸にやってきた仙台藩支倉常長が頭に浮かぶ。

常長がアカプルコに到着したのは1614年。

すごく雄大な時間と距離の関係を思う。

それにしても、パナマシティという街自体が、熱帯雨林のど真ん中に作られたということが手にとるようにわかる。

500年しかたっていないのだから、もう少し建物の原型があってもいいように思う。

こうしたのは、1671年のイギリス人海賊ヘンリー・モーガンの襲撃にほかならない。

本来であれば臨めるはずのサントドミンゴ修道院なども間取りがわかるのみ。

原住民を略奪していたスペイン人が、今度は略奪される側になる。

イギリス海賊団の襲撃の後は、この地は忘れられたままとなった。

原住民の遺跡も展示される博物館

ひと通り見学して、カフェで休憩。

のどが渇いたのでオレンジジュースを。

今日は水曜日なので、あまり観光客もいないようです。

このカフェに併設されていたのがミュージアム。

先コロンブス時代の遺跡なども多数展示されていました。

これは、財宝が発掘された場所の地図でしょうか。

原住民の生活の様子も。

パナマビエホとしての解説もありました。

これが当時の模型ですね。

マヨール広場にカテドラルが見てとれます。

古代から植民地時代まで、時空を超えた遺跡に触れることができて大満足だったパナマビエホ。

帰りはカートで送ってもらいました。