ザンジバルの光と影 スレイブマーケット【東アフリカ奴隷貿易市場跡】で見た光景

久しぶりなリゾートチックな気分を味わい、ベッドでシエスタ。

ムード的には、このまま旅がフェードアウトしていく感じだったけど、30分の昼寝から覚めた私は、再び三度、ストーンタウンに飛び出しました。

さっき「あくせくしてたら長生きできないよな」なんて考えたけど、文字通りの朝令暮改。

明日は帰国日だったことを思い出しての行動です。

スレイブマーケットで見た光景

向かった先は、ストーンタウンの旧市街を抜けた先にある「スレイブマーケット」。

スレイブをマーケットしてはいけないのは現代の常識。

しかし、近代史においては、それが日常だった。

そんな負の遺産がミュージアムになっているのが「東アフリカ奴隷市場展」です。

外国人観光客は27,000シリング(1,620円)の入場料。

ホステルということは、宿も兼ねてるのかな。

これが、当時の模型でしょう。

言葉にするのもはばかられる「奴隷貿易」。

とりわけ18世紀には、列強国による大西洋奴隷貿易が大規模に展開されました。

こういう歴史を目の当たりにすると、「列強」という言葉さえ使いたくなくなる。

地球上の各地に爪痕を残す奴隷貿易ですが、ザンジバルでは東アフリカにおける奴隷貿易の中心地として19世紀に最盛期を迎えたとされます。

それは、この地にクローブなどの香辛料の大農園が開発されたからでした。

その富を一手に囲った当時のオマーンは、アフリカ大陸の内部から、膨大な数の奴隷をザンジバルに集め、労働力として酷使しました。

さらに、捕らえられた人々は、ザンジバルをハブとし、そこからアラビア半島、ペルシャ湾沿岸、インド、そしてインド洋のフランス領の島々へと「輸出」されていったと記されています。

地図を見ると、ストーンタウンとザンジバル島の中心部にかけて細長い入江があるのがわかります。

ザンジバルの奴隷貿易は、当然海路が使われるので、市場はインド洋沿岸に設けられました。

しかし、次第に内陸に移り、最終的に今私がいる場所に移ったと記されています。

これには、奴隷貿易とイギリスが関わってきます。

ザンジバルの奴隷貿易は1873年に廃止されたことになってますが、その10年前の1863年に、アメリカのリンカーン大統領が「奴隷解放宣言」を発布しています。

つまり、欧米圏においても人道主義が叫ばれはじめた頃で、ザンジバルでは、イギリスの目につかないように、インド洋沿岸から内陸に奴隷市場を移していった、そんな歴史があるようです。

地下に現存する奴隷の収容室。

一歩足を踏み入れた瞬間、冷たい湿気と、言葉にできない圧迫感に襲われる。

わずか数畳ほどのスペースに50人以上の人間がすし詰めにされ、天井も満足にないコンクリートの部屋。

中央に掘られた一本の溝は、満潮時の海水だけが頼りの唯一の排泄場所だったという。

人間が人間にここまで残酷になれるという事実が、剥き出しのコンクリートの壁から、時を超えて叫びのように伝わってくるようでした。

ミュージアムの外に出ると、美しいカテドラルがそびえ立ってました。

1873年6月5日、イギリスからの強力な政治的圧力を受けたザンジバルの国王は、奴隷貿易を公式に禁止する条約に調印。

これにより、それまで数々の悲劇を生んできた東アフリカ最大の「公開奴隷市場」が永久に閉鎖されました。

その後、イギリス国教会の開拓宣教団が、「悲劇の舞台を、今度は神への祈りと平和の象徴へと生まれ変わらせる」という目的で建てられたのがこのカテドラルです。

 

カテドラルのふもとには、奴隷の記念碑が佇んでました。

首に巻きつけられた鉄の鎖は、レプリカではない、当時使用されていた本物の鎖。

記憶はそのままに、鎖は錆びついて朽ち落ちてもらいたい、そんな気持ちになったスレイブマーケット跡でした。

ザンジバルのスークを歩いてみた

さすがに心が疲れてしまった。

スレイブマーケットで凍りついてしまった気持ちを温めるために、その奥にあったスークに足を運んでみました。

ダラジャニスークと呼ばれる市場は、ストーンタウンの日常を象徴するマーケット。

たぶん、ここに来れば、たいていの雑貨はそろってしまうのでしょう。

イスラム圏っぽい石鹸は買って持って帰りたくなる。

たぶん、マーケットというのは、モノを売る場所であるとともに、「ゆとり」も売っているのだと思う。

人類は、そうやって、古代から心を豊かにするために、「ゆとり」を提供しあいながら歴史を育んできた。

だから、某国に某大統領のような指導者が登場し、その岩盤支持層が30%も超える存在だというのは、あきらかに資本主義の失敗の象徴だと思う。

いきなり、話が政治経済の話になったけど、要するに競争しすぎてはロクなことはないということ。

さきほどのスレイブマーケットも、「力こそ正義」といった、いき過ぎた資本主義の象徴。

そう考えると、日本という社会は、一人当たりGDPや労働生産性など、経済指標では諸外国に置いてきぼりになっているけど、人類の本能的倫理観では、ほどよくバランスが取れた民族のような気がする。

スレイブマーケット跡とにぎわうスークを見学して、2026年に傍若無人にふるまう某国がオーバーラップし、そんな哲学的な考えが生まれてしまいました。

ホテルに帰ってきました。

ロビーに併設しているカフェで、コーヒーをご馳走になります。

この旅で、はじめてブラックコーヒーを飲んだけど、これも、キリマンジャロなのかな。

フルーティーな酸っぱさが香るコーヒーにハマりそうです。

部屋に戻る前に、プールサイドで休憩。

今回の旅に帯同してきた植村直己氏の「青春を山に賭けて」を開きます。

私の尊敬する植村直己氏は、ちょうど60年前にケニア・タンザニアに渡り、ケニア山やキリマンジャロに登頂している。

本作に限らず、氏の著作はすべて私のバイブル。

開いたページには、現地民から「なぜ、キリマンジャロに登るのだ?」と問われて答えに窮し、「好きだから遊びに登るのだ」と返答しても信じてもらえない描写があった。

私がやってる旅も同じ。

する必要なんかないけど、好きだからやってる。

おそらく、これが「ゆとり」であり、「ゆとり」とうまく付き合える境遇にある私は本当に幸せだな、と感じるストーンタウンの午後でした。