目を覚ますと、列車は川に沿って走っていました。
バイカル湖にそそぐ川でしょうか。
今日は、世界一深い湖バイカル湖が見える日です。
しかし、なんか目がおかしい?
痛くて開けられない‼️
連日の睡眠不足に、日中はずっと目を開いて景色を見てる。ちょっと酷使しちゃったかなぁ。
サングラスでも売ってたら買いたいんだけど・・
ロシア号時刻表 4日目の行程
モスクワまでの距離 | 駅 | 到着 | 出発 | 時差 |
---|---|---|---|---|
6,262km | ダラスン | 0:00 | 0:01 | +6 |
6,196km | チタⅡ | 1:17 | 1:42 | +6 |
5,932km | チローク | 5:54 | 6:09 | +6 |
5,782km | ペトロフスキー・ザヴォード | 8:25 | 8:27 | +6 |
5,639km | ウラン・ウデ | 9:31 | 9:54 | +5 |
5,309km | スリュジャンカ | 14:33 | 14:43 | +5 |
5,152km | イルクーツク パサジールスキー | 16:47 | 17:10 | +5 |
5,145km | イルクーツク | 17:25 | 17:35 | +5 |
5,113km | アンガルスク | 18:09 | 18:11 | +5 |
5,066km | ウソレ・シビルスコエ | 18:35 | 18:37 | +5 |
5,022km | チェレムホヴォ | 19:31 | 19:33 | +5 |
4,902km | ジマー | 21:14 | 21:34 | +5 |
4,763km | トゥルン | 23:28 | 23:30 | +5 |
少しづつ、停車駅の間隔が広がっています。
ちょっと意外。東シベリアのほうが、過疎地だと思ってたのに。
これも、バイカル湖に注ぐ川?
水の流れが逆なのがヘンだけど。
ウランウデ駅の風景 同室者とお別れ
9:31 ウランウデ駅に到着しました。
モンゴルとの国境をなす駅なので、さすがに構内は広いです。
中国方面からと思われる列車も停まっています。
ところで、ウランウデから、モスクワとの時差が5時間のエリアに入るので、時計を1時間遅らせます。
2日前の夕方にも1時間戻しているので、シベリアに入ってから2時間戻したことになります。
ここで面白いことに気づきました。
記憶を遡って「ルーシ号」で日本を出国したときに、ウラジオストク時間に合わせるために、私は時計を2時間進めました。
すると、今私の時計は日本時間そのものを指していることになります。
シベリアの奥地、もちろん日本よりずっと西にいるのに、現在時刻は日本と変わらないというのは奇妙な気分です。
エディとはここでお別れ。お元気で(ロシア語では、フセボーハローシェバ)
4号車にいて、たびたび会話をかわした彼女ともお別れの儀式。
でも彼女は、終点モスクワまでの旅だそうです。
駅の売店で、パンを買ってきて朝食です。
焼きたてで、かなり美味しいパン。
しかし、売店にサングラスは売ってませんでした。
そして、エディがいなくなって、4人部屋をひとりで独占状態。
昨夜も、エディと飲み明かしていたので、少し睡眠不足気味。
目も痛いし・・・
時刻表と地図を見比べると、列車がバイカル湖畔を走る時間帯は、12時ごろから3時間ぐらいと推測できます。
現在、午前10時。
景色を見ないのは惜しいけど、バイカル湖が窓外に現れるであろう12時頃まで、ちょっとまどろみます。
列車は、川に沿ってリズムよく走っています。
ウイスキーをのどに流し込んで目をつぶると、連日の睡眠不足で、あっさりと眠りに落ちました。
車窓に広がるバイカル湖
ガクンという停車の衝撃で目を覚ましました。時計を見ればちょうど12時。
だいぶ深い眠りに落ちていたようですが、グッドタイミングでの目覚め。
睡眠をとったことで、目の痛みもなくなりました(^^)v
さて列車は、駅でないところに停まっています。
扉を開けて、通路に出ると、青い水をたたえた水面が目に飛び込んできました。
ちょうどそこにいたロシア人のおじさんに「バイカル?」と聞くと、「ダア!(そうだ)」。
シベリアの真珠と称されるバイカル湖は、約3,000万年前に地殻変動が起こり、大地が割れてできた三日月形の世界第8位の広さの湖。
深さが1,620mで世界一。そして透明度も世界一を誇ります。
世界中の淡水の23%が、この湖にあるというのも驚きです。
バイカル湖の名前は、子供のころから知っていたし、実際にこの目で見ることができて感無量です。
バイカル湖畔のルートに入って、ロシア号が停車と発進を繰り返しています。
信号待ちなのでしょうか、ロシア号がなかなか出発しないことも。
でも、そんなときでも絶好の場所で停まってくれています。
バイカルの湖面を手に取るように鑑賞できる好ロケーション。
にわかに静寂が訪れました。
開け放った窓からは、風の音しかしません。
時が静止したような、バイカル湖畔の午後です。
まるで、リゾートマンションの一室から、外を眺めているかのようです。
湖面は透き通るように蒼く、水平線がかすみます。
シベリアに抑留された日本人が、日本海と勘違いしたのもうなずけるスケール。
バイカル湖畔の駅スリュジャンカでは、オームリというバイカル湖で獲れるおいしい魚が売られている、という情報を仕入れてきました。
ところが、列車が遅れたため、スリュジャンカでは、止まってすぐの発車。残念・・・
ところで、シベリア鉄道の建設工事は、この区間がもっとも難所であったそうです。
モスクワからウラジオストクまで、全線開通に最後まで残ったのが、やはりこの区間。
この間、夏の間は、船で資材を輸送。
湖面が凍結する冬は、なんと氷結した湖面にレールを敷いて、物資を西から東へ運んでいたそうです。
日露戦争が終結した1905年には、まだこの区間は開通していませんでした。
当時の日露戦争の参謀たちは、そのことも計算に入れて戦争を仕掛けたのでしょうか。
3時間ほど、バイカル湖の眺めを堪能させてもらった列車は、夕方17時ごろイルクーツクに到着。
イルクーツク駅の風景
イルクーツク駅のホームを歩いてみます。
ホームに電光掲示板がある駅は、初めてのような気がします。
さらに、駅で何かをアナウンスしているのも、初めて聞きました。
シベリアの観光都市イルクーツク。
多くの乗客が入れ替わります。
列車が遅れているので、すぐに発車です。
イルクーツクは、本来なら何泊か泊まって楽しむべき観光地。
でも、サラリーマン風情の休暇事情では、それは許されません(^^)
ロシア号の食堂車
日本人に興味があるらしく、私の部屋に出入りしては会話を交わすロシア女性。
このロシア女性に誘われて、この旅で、はじめて食堂車を訪れてみました。
モスクワまで行くという、彼女の名前はバレリー。
ロシア語のメニューを訳してもらいます。
注文したのはシュニッツルという料理。
サイゼリアのハンバーグステーキみたいな感じかな。
ライスは少しパサパサしてますが、十分においしいです。
メニューを通訳してくれたお礼に、イクラをプレゼント。
日露の友好関係向上につながりますように。
ちなみに、なぜか、この女性、ウラジオストクを発車した直後に大量に乗ってきた、あの兵隊たちのこと知ってました。
なので、メールアドレスを教えてもらい、帰国後写真を送れました。
食堂車から戻って、自分の部屋でひとりぼんやりと景色を眺めます。
列車はさきほどイルクーツクを出発し、すでに旅の後半。
今日は、ずっと、バイカル湖を立ちっぱなしで見ていたので、さすがに疲れた。
ウイスキーをあおっていたら、眠りに落ちてしまったようです。
人の気配を感じ、目を覚ますと、大きな荷物を抱えたロシア人が部屋に入ってきたところでした。
時計を見ると21時半。たぶんジマーという駅でしょう。
うっすらと目をあけ、様子をうかがっていると、若い2人組と老人が1人の計3人が新たな同室者らしい。
同室者は、先客の私に気遣って、灯りもつけずに荷物を運び入れたり、上段ベッドに上がって着替えたりしている。
ロシア号は長旅の道中、こうやって、乗客を入れ替えながら走り続けます。