朝。快適な目覚め。時刻は7時半。
窓のカーテンを開け、空がパープルからブルーに移り変わるところを眺めます。
今日の目的は、ウラジオストクを20:17に出発するシベリア鉄道「ロシア号」に乗ること。
そして、それまでこの街を観光すること。
ということは、何をおいてもパスポートを取り返し、そして、どこかに荷物を預けなくてはなりません。
まさか、30キロもあるスーツケースをゴロゴロ転がしながら、街歩きなんてできません。
ビザの滞在登録無事に完了
朝食をとりにレストランに行くと、勝手にモーニングセットが出てきてコーヒーも飲めました。
そして、その足でフロントに出向くと、待望のパスポートを取り戻すことができました。
確かに、ビザにスタンプが押されている。とりあえず安心です。
ウラジオストク駅の手荷物預かり所
いったん部屋に帰って、大事なパスポートを体に巻き付けて、ホテルを出ます。
駅に行って、手荷物預かり所を探しに行くためです。
ところで、シベリア鉄道の各駅には、手荷物預かり所があると、旅行会社から教えられました。
手荷物預かり所のことを、ロシア語で「カーメラ フラネーニャ」といいます。
これを探すために、「ⅹ」ではじまる複雑なロシア単語をメモしてきました。
昨日登ってきた道を、下っていきます。
今度は手ぶらだから楽だし、ビザ登録も終えているので、昨日とは気分が全然違います(笑)。
そして、ウラジオストクの駅前まで舞い戻ってきました。
駅には、勝手に入れ、ホームに行くこともできます。
一番近いホームの中ほどに、それらしき小屋を見つけました。
あっさり見つかったのは良かったけど、中にいるおばさんに「何時まで預けられますか?」と英語で聞いても、全く通じません。
閉店時刻を聞いておかないと、後々途方に暮れることになるのは、火を見るより明らか。
私は、いったんホテルに戻って、チェックアウトするとともに、フロント女性に「19時まで預けられますか?」とロシア語で書いてもらいました。
それをもって、今度は荷物を引きずりながら小屋に行くと、おばさんが「ダアダア(はいはい)」と笑って、30キロはある私のスーツケースを預かってくれました。
これで、本当に安心です。
ウラジオストクの街歩き
時刻は11時頃。6~7時間は、この街を散策できます。
ビザの登録が済み、荷物も預けて、精神的にも肉体的にも開放された気分で異国の街を眺められます。
旅はいいなあ、と思う瞬間・・・
月曜日なので、OLさんなんかも街を歩いていて、屋台で何やら食べています。
私も一本もらいました。20P(80円)です。なんの肉かはわかりません
駅前のアリョーツカヤ通りを、ぶらぶら歩きます。結構日本車が多いです。
トラムが走っています。乗り方がわからないのと、どこ行きかわからないので、乗れません。
丘からの金閣湾の眺め
5キロほど歩いて、小高い丘に登りました。金閣湾の眺めです。
よくわかりませんが、軍港だった面影を感じます。
ウラジオストクとは、「東方を征服せよ」との意味であるとのこと。
大日本帝国時代、日本はこの地に「浦盬」という漢字を当てていました。
なんと軍事色漂う字体でしょうか。
革命広場の賑わい
丘を降りて、革命戦士広場を散策します。
たくさんの屋台が店を出し、市民の憩いの場のようでした。
日本を出る前は、食べ物も飲み物も手に入れるのが大変!みたいな情報がありましたが、そんなことは全然ありません。
スーツケースの中には、カップ麺や乾パンなどがたくさん詰まっているのですが・・
ほんとに、売店はいっぱいあります。
私の海外渡航暦は、アジアのみ。
なので、広場を覆いつくす、いわゆる欧米人の姿に、圧倒されています。
極東のウラジオストクでもスラブ系というのでしょうか。
女性はみんなおそろしく綺麗です。
公園の中は平和そのもの。
100年前に、日本と戦争があったなんて、信じられません。
広場は、港につながっています。
ほんの数時間の瞥見ですが、ウラジオストクの街を楽しめました。
ものは豊かだし、人々の表情も幸せそのもの。
ソ連が崩壊してから十数年。これが、今のロシアなんでしょうか。
ゆっくり駅の方に戻るとします。
これは、駅付近の陸橋からの眺め。
それにしても多い、日本車の大群。
18時頃になって駅前に戻ると、通勤ラッシュが始まってました。
帰途を急ぐバスに乗る人たちの行列です。
これは、ウラジオストクの駅前。
1階がスーパーになっていて、ワインやらチーズやら、仕入れることができました。
いよいよ、出発ですね。気分が高まってきました。