世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」。
その一部となる吉野山の散策もいよいよ最終コース。
「中千本」の中腹に鎮座する、後醍醐天皇の勅願寺「如意輪寺」です。
後醍醐天皇の勅願寺「如意輪寺」
「吉水神社」のほうからではなく、「上千本」からの遊歩道を歩いてきた私は、「如意輪寺」の正門の反対側からアプローチしています。
すなわち、これは「裏山門」。
「吉水神社」が南朝の皇居ならば、「如意輪寺」は後醍醐天皇の勅願寺。
私は、そんなすごいところを歩いているのかと、なかなか実感がわきませんが、ここは紛れもなく「南北朝時代」の南朝であった場所。
裏山門から歩いてくると、真っ先に目に入る「不動堂」。
そして本堂です。
創建は901年とされていますが、この本堂の再建は1650年。
それでも柱に年季が感じられます。
後醍醐天皇の腰掛石。
霊魂の宿る「後醍醐天皇陵」
「如意輪寺」の裏山には「後醍醐天皇陵」があります。
宮内庁の看板が重みを感じさせます。
さて、石段を上がって拝みに行きましょう。
おお、見るからに妖気が漂ってますね。
4年間吉野で過ごし、亡くなられた後醍醐天皇。
ずっと、京に戻りたい思いを抱いていたそうです。
陵も北を向いています。すなわち京都の方角です。
如意輪寺・庭園からの「中千本」
庭園を歩いてみましょう。
門をくぐって、いきなり現れるのは御霊殿。
こちらは「権現堂」。
この先に宝物殿があり、後醍醐天皇ゆかりの品をはじめ、南朝ゆかりの仏像仏画や肖像画など数十点が展示公開されています。
しかし、残念ながら、撮影は禁止。
「中千本」の山桜を見渡せます。
後醍醐天皇の警護に努めた楠正行(くすのきまさつら)。
その父子像です。
後醍醐天皇がどうしても強調されますが、楠正行も南北朝の内乱の中、若くして身を散らした勇敢な武士であります。
四条畷の決戦では、わずか1000人の兵を従えて北朝側の大軍に迎えうち、正行は弟・正時と刺し違えて亡くなっています。23歳でした。
しだれ桜に包まれた多宝塔。
中千本に静かにたたずむ「如意輪寺」でした。