晩秋の紅葉狩り、京都一人旅。
本日のテーマは長岡京・西山。
「光明寺」からはじまって「十輪寺」「善峯寺」「大原野神社」「勝持寺」と回れたので、長岡京をすっかり堪能することができました。
しかし、早朝に「光明寺」から歩き続けたこともあって、旅の初日にして疲労がたまっています。
そろそろ、京都駅前に戻り、ホテルの部屋で休憩してもいいころあいですが、どこか京都駅付近に名刹はないかな、とさがしたところ「壬生寺」が目にとまり、寄ってみることにしました。
西山「勝持寺」から中京「壬生寺」へ
南春日町バス停は、「大原野神社」などを回るときの拠点。
バス停は小さくとも、参拝客はそれなりにいます。
まず、阪急バスで、JR向日町駅へ。
向日町駅なんて、初めて降りる東海道本線の駅。
初めて降りる(乗る)駅の駅前をぶらつくのは楽しい。
これも、旅です。
まず京都に出ます。
京都駅からは山陰本線で。
2つ目の駅が「丹波口」。ここで降ります。
壬生寺へ向かって歩きます。
もうすでに、新選組の香りが。
壬生寺の南門に到着です。
律宗・壬生寺とは
壬生寺は、鎌倉時代の真言宗の僧であった快賢(かいけん)僧都により、母の供養のために、991年(正暦2年)に創建された寺院。
本尊が延命地蔵菩薩像であり、水掛け地蔵や夜啼き地蔵など多くのお地蔵様を祀っていることから、「お地蔵さんの寺」としても信仰を集めている。
京都の裏鬼門に位置することから、厄除・開運の寺としても信仰され、2月の厄除け節分会は900年の歴史を誇る行事である。
また、正式名称を「壬生大念佛狂言」とする壬生狂言の舞台「大念佛堂」(重要文化財)があり、毎年節分と4月、10月に、壬生寺で無言劇が演じられる。
壬生寺と新選組について
壬生寺には、境内に壬生塚と呼ばれる、新選組に関連した遺跡がある。
新選組は、1863年(文久3年)に、壬生の地で結成され、幕末には壬生村に新選組の屯所が置かれことから、境内は兵法調練場として使用された。
壬生塚には、新選組局長・近藤勇の像をはじめ、数々の新選組隊士の墓などが残されている。
毎年、池田屋騒動のあった7月16日には、隊士の霊を慰めるため「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われている。
壬生寺へのアクセス
京都駅から京都バスなどで「壬生寺道」に出るのが最も簡単。「四条大宮」からでも歩けます。
京都駅から徒歩も十分可能で、30分くらい。
私は、長岡京を回っての帰りだったので、JR京都線からそのまま嵯峨野線に乗り継ぎ、「丹波口」駅で降りて、「壬生寺」まで歩きました。
壬生寺の境内を歩く
そんな、新選組ゆかりの地「壬生寺」に到着。
南門をくぐると、まず「千体仏塔」が目に入ります。
そして、本堂です。晩秋の低い太陽の光が、なんとなく幽玄さをかもし出します。
多数のお地蔵さん。
水掛地蔵。
夜啼き地蔵。
いったん東門から外に出て、外から眺める「壬生寺」。
京都のお寺って、ほんとに堂々とした構えです。
向かい合う者に畏怖させる凄みがありますね。
学業成就のご利益もあるそうです。
新選組隊士墓所「壬生塚」
さて、では「壬生塚」に入ってみましょう。
私は、とりとめて「新選組」の信者ではないが、目的意識を持った先人を尊敬する人間。
門をくぐると、まず目に入るのがこの池。竜の名は竜神像。
一番隊組長・沖田総司は、境内で子供達を集めて遊んだりしていたそうだが、この池で魚を釣ったりして遊んだのだろうか。
壬生官務家の墓。
さて、奥へ参りましょう。
新選組隊士慰霊塔。
新選組顕彰碑。
局長・近藤勇の胸像。
私が、こうやってたたずんでいる間に、女性が2人ほどお参りしていきました。
すごい人気です。近藤勇。
芹沢鴨と平山五郎の墓。
こちらは、近藤勇の遺髪塔と河合三郎の墓。
なんか、ものすごく張りつめた空気が漂う場所です。
勝手にそう思ってるだけだと思うけど。
1867年(慶応3年)、旧幕府軍に従って戦った戊辰戦争。
いまから、たった153年前の話です。
しかしながら、ここに祀られている隊士は、ほとんどが内部抗争による粛清が多いというのも驚き。
橋を渡って、壬生塚を後にします。
このあと、壬生寺歴史資料室をのぞきました。
内部の写真撮影は禁止なので、お伝えはできませんが、延命地蔵菩薩像や、新選組古文書などが展示されていました。
さて、日が翳り、かすかに寒さを感じるようになりました。
ホテルに戻って、チェックインするとしますか。
入るときは南門から入りましたが、出るときは北門から。
では由緒ある壬生寺にさようなら。