【幕末の舞台 旅籠・寺田屋】坂本龍馬愛用の部屋で維新の空気を感じてみる

さて、今回、伏見の街を歩くにあたり、絶対に立ち寄りたい場所がありました。

「旅籠 寺田屋」。

尊王攘夷派の薩摩藩士が定宿にしていた関係で、幕末には「寺田屋騒動」「寺田屋事件」と2回も大騒動に巻き込まれています。

船宿としての「寺田屋」は、水運の要衝に位置することもあって、慶長2年(1597年)の創設以来大変繁盛していたそうです。

「旅籠 寺田屋」は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失し、現在の建物は復元。

それでも、幕末ファンや坂本龍馬ファンの方々には人気があり、龍馬が愛用としていた部屋など訪れる人がたえないと聞きます。

泊まることもできる現在の「旅籠・寺田屋」

濠川沿いの遊歩道を歩き、すっかりほろ酔いを覚ました私は、「旅籠・寺田屋」のまえに立ちました。

濠川の目と鼻の先にかまえる「旅籠・寺田屋」。

しかし、目の前は公衆用道路であり、かなり交通量もあります。

だから、写真撮影は注意を要します。ほんとに。

まあでも、再建とはいっても雰囲気ありますね。

遺跡にしろ、史跡にしろ、当時のまま完全に保存されているものなんて少ないんです。

史跡めぐりの楽しさは、当時の様子に思いをはせるところにあります。

旅館の前には、重々しい石碑がたっていて、なんとなく張り詰めた空気が漂ってます。

さて、中に入ってみましょう。参観料は400円ですが、実は泊まることもできるようです。

素泊まりで6,500円とのことですが、ずいぶん良心的な価格ですね(^^)

復元された居間をたどり寺田屋騒動を感じてみる

旅館の中は、展示物のオンパレード。歴史好きな人にはたまらない演出です。

土佐四天王の一人、吉村虎太郎などの肖像画も飾られています。

おお、なんか、泊まってみるのも楽しそう、と思わせる部屋。

畳の敷き方なんかも、当時を再現したのかな。

薩摩藩同士の内輪もめ「寺田屋騒動」の際は、この寺田屋で7人が亡くなっている。

その際は、おびただしい血のりが襖や畳に飛び散り、薩摩藩からの見舞金で、すべて貼り替えたとのこと。

もちろん復元だけれども、そんなことを想像しながら歩くのが、史跡めぐりの楽しさ。

一番南側の角部屋。

眺めも良く、当時としても、一番よい部屋であったと推察されます。

この動乱の時代に、寺田屋を切り盛りしたのは「お登勢」。

繁盛の頂点だった「寺田屋」を任された「お登勢」は、それこそ寝る暇もなく働きました。

寺田屋騒動の際は、自分の娘をかまどに隠して、お登勢は帳場を守り続けたらしい。

その心の強さに坂本龍馬も気を許したのか、龍馬の妻「お龍」をお登勢のもとに預けてました。

当時、日本中を奔走していた龍馬からしたら、心強い味方だったことでしょう。

龍馬愛用の部屋&お龍の風呂

その坂本龍馬が愛用していたという部屋。

意図してのことか、通りに面した場所ではなく、中庭をのぞけます。

龍馬の数々の遺品。

これなのかな、龍馬が襲われたとき、両腕を負傷し、投げ捨てたという銃は・・

鳥羽伏見の戦いで焼失したはずなのに、どうしたことだろう??

とにかく、展示物を見ているだけで、幕末から維新にかけて、様々な想像がうまれる楽しい場所。

一階に降りましょう。

寺田屋事件の際、窓の外に新選組の気配を感じた「お龍」が、素っ裸のまま龍馬に急を告げに行ったという有名なお風呂。

お土産屋さん。

何か買いたくなりますね。

扇子を買いました(^^)

この扇子で涼しい風を送れば、いつでも冷静でいられそうです。

楽しかった、寺田屋の見学でした。

時間をかけて楽しみたい「龍馬通り」

では、京都に戻りましょう。

寺田屋を出た私は、「竜馬通り」を通って、近鉄桃山御陵駅へ向かいました。

八百屋さんがありました。

スイーツも。

なかなか楽しい商店街です。

ちょっと待て! 龍馬はあんなに太くないだろ・・

ん? 犬を連れてる・・・西郷隆盛かい(^^)

とにかく坂本龍馬だらけの「竜馬通り」。

料亭もあります。

ほんとに、伏見の街は、一泊くらいして、じっくり歩くべきだったかもしれないです。

逆に言えば、再訪する楽しみが増えたということで。

ちょっと・・もう・・お酒はいいや(^^)

お登勢とゆかりのあるお店かな。

八百屋さんから喫茶店、料亭までなんでもある「竜馬通り」。

観光地でもあり、日常生活の場でもあるんですね。

もっとじっくり歩きたかった「竜馬通り」にお別れ。

そして、伏見の街にもお別れ。

実際歩いてみると、京都の街はほんとに奥が深い。何度でも来たくなる。

楽しさの余韻を楽しみながら、近鉄の駅に歩きます。

今回の京都週末旅の全行程はこちらです。