美味しい「コムタン」で大いに満足。
ニンニクも大いに食べたので、マスクをする身としては少々つらいですが(^^)、韓国では屋外ならマスクは義務化されていないはず。
ところが、すべて、といっていいほど、屋内はおろか外の通りでもマスクオンリー。
マスクなしの人は一切見かけません。
まあ、寒いからかな。昼になって気温が上がったといってもマイナス6度。
マスクが嫌いな私も、ほおが凍えるので、韓国到着後、ずっとマスク着用しています。
北村(プクチョン)韓屋村を歩いてみる
三清洞のすぐ東が北村路(プクチョンロ)です。
こういうクルマも入ってこられないような、細い路地を散策するのはたまらなく面白い。
ところが、歩き進んでいくと行き止まりだった(^^)
通りに出て、南下します。南側には、これから訪れる予定の昌徳宮(チャンドックン)があります。
それにしても、この家屋、雰囲気満点じゃないですか。
坂道に石垣って、建築物を引き立たせるね。
このあたりは、基本的に民家で構成されているので、面白そうな路地だからと、ズケズケ入っていくと私道だったりするので注意が必要です。
お、ようやく、北村(プクチョン)の観光地っぽい場所に出ました。
私有地が多い場所でも、観光客がいるところなら、なんとなく安心。
韓服(ハンボク)が舞う北村(プクチョン)
ハンボクの貸衣装屋さんから、ハンボクをまとった女性が舞うように出てきます。
ちなみに、韓服には「チマチョゴリ」という呼び方もあるようですが、そちらは北朝鮮風の名称。
韓国ではハンボク、あるいはハンボッが一般的のようです。
このハンボクの歴史は古く、それこそ紀元前の時代から受け継がれているようですが、今のようなデザインになったのは、高句麗・新羅・百済の三国時代に近いといわれます。
私は8年前に、白村江の戦いの舞台「プヨ」を訪れたことがありますが、新羅に襲われた百済の宮女たちは崖から一斉に身を投げました。
そのときまとっていた韓服が、色鮮やかなハンボクだったそうです。
ところで北村韓屋村とは、朝鮮王朝時代に王族や高級官僚が住んでいたエリア。
そういう予備知識がなくとも、おごそかな雰囲気は伝わってきます。
どんな国でも、どんな時代でも、そういう豪族たちは「高い」ところを求めるもの。
なので、北村(プクチョン)は坂道ばかり。
なんて書いてあるのかわからないw
ハングル語は、まったく理解できません(^^)
復元かもしれないけど、ラーメンの丼の模様に出くわすと、大陸を歩いている実感がわきます。
傾斜面と石垣がよく似合う通り。
いたるところにハンボクをまとった女性たち。
しかし、寒いのか、その上にコートやジャンバーを重ね着。
そりゃ仕方ない。日中でもマイナス6度ですから。
しかし、撮影するときは脱ぐようです。
日本語バージョンもありました。
そりゃ、住民がいれば、騒がれたらたまらないですね。
先日歩いた京都の石塀小路みたいな感じでしょうか。
しかし、撮影ができるだけいいですね。観光客も、静かに楽しんでました。
北村韓屋村から見下ろすソウルの街
北村韓屋村からは、路地の隙間からのぞめるソウルの街も素敵です。
私は、いま南を向いています。北側には北岳山(プガクサン)があります。
ソウルは起伏にとんだ街です。
日本語表記もあるので親切です。
南山ソウルタワー。
登ってみたいとは思いますが、夜景がきれいみたいなので、平日夜の楽しみとしてとっておきます。
土曜の夜じゃ、灯りが少ないでしょう。
このエリアの散策で感心するのは、「監視員」がいること。
「観光客に静かにするようたしなめる」のが主目的と思われますが、気軽に撮影サービスに応じてくれています。
それにしても、眺めのいい小路です。空気が澄んでいて気持ちがいい。
日本に似ているようで似ていない。そんな文化の微妙な違いは語れません。
しかし、4次元空間から、いきなりここに放り込まれたら、「あれ、ここどこだろ?」と軽い違和感を感じそうな雰囲気が絶妙です。
くわえて、日本語表記のないハングルがエキゾチックさを引き立てます。
異国の街歩きはゾクゾクしますね(^^)