韓服(ハンボク)が舞う北村(プクチョン)韓屋村を歩いてみる【12月のソウル旅行記 #8】

美味しい「コムタン」で大いに満足。

ニンニクも大いに食べたので、マスクをする身としては少々つらいですが(^^)、韓国では屋外ならマスクは義務化されていないはず。

ところが、すべて、といっていいほど、屋内はおろか外の通りでもマスクオンリー。

マスクなしの人は一切見かけません。

まあ、寒いからかな。昼になって気温が上がったといってもマイナス6度。

マスクが嫌いな私も、ほおが凍えるので、韓国到着後、ずっとマスク着用しています。

北村(プクチョン)韓屋村を歩いてみる

三清洞のすぐ東が北村路(プクチョンロ)です。

こういうクルマも入ってこられないような、細い路地を散策するのはたまらなく面白い。

ところが、歩き進んでいくと行き止まりだった(^^)

通りに出て、南下します。南側には、これから訪れる予定の昌徳宮(チャンドックン)があります。

それにしても、この家屋、雰囲気満点じゃないですか。

坂道に石垣って、建築物を引き立たせるね。

このあたりは、基本的に民家で構成されているので、面白そうな路地だからと、ズケズケ入っていくと私道だったりするので注意が必要です。

お、ようやく、北村(プクチョン)の観光地っぽい場所に出ました。

私有地が多い場所でも、観光客がいるところなら、なんとなく安心。

韓服(ハンボク)が舞う北村(プクチョン)

ハンボクの貸衣装屋さんから、ハンボクをまとった女性が舞うように出てきます。

ちなみに、韓服には「チマチョゴリ」という呼び方もあるようですが、そちらは北朝鮮風の名称。

韓国ではハンボク、あるいはハンボッが一般的のようです。

このハンボクの歴史は古く、それこそ紀元前の時代から受け継がれているようですが、今のようなデザインになったのは、高句麗・新羅・百済の三国時代に近いといわれます。

私は8年前に、白村江の戦いの舞台「プヨ」を訪れたことがありますが、新羅に襲われた百済の宮女たちは崖から一斉に身を投げました。

そのときまとっていた韓服が、色鮮やかなハンボクだったそうです。

 

ところで北村韓屋村とは、朝鮮王朝時代に王族や高級官僚が住んでいたエリア。

そういう予備知識がなくとも、おごそかな雰囲気は伝わってきます。

どんな国でも、どんな時代でも、そういう豪族たちは「高い」ところを求めるもの。

なので、北村(プクチョン)は坂道ばかり。

なんて書いてあるのかわからないw

ハングル語は、まったく理解できません(^^)

復元かもしれないけど、ラーメンの丼の模様に出くわすと、大陸を歩いている実感がわきます。

傾斜面と石垣がよく似合う通り。

いたるところにハンボクをまとった女性たち。

しかし、寒いのか、その上にコートやジャンバーを重ね着。

そりゃ仕方ない。日中でもマイナス6度ですから。

しかし、撮影するときは脱ぐようです。

日本語バージョンもありました。

そりゃ、住民がいれば、騒がれたらたまらないですね。

先日歩いた京都の石塀小路みたいな感じでしょうか。

しかし、撮影ができるだけいいですね。観光客も、静かに楽しんでました。

北村韓屋村から見下ろすソウルの街

北村韓屋村からは、路地の隙間からのぞめるソウルの街も素敵です。

私は、いま南を向いています。北側には北岳山(プガクサン)があります。

ソウルは起伏にとんだ街です。

日本語表記もあるので親切です。

南山ソウルタワー。

登ってみたいとは思いますが、夜景がきれいみたいなので、平日夜の楽しみとしてとっておきます。

土曜の夜じゃ、灯りが少ないでしょう。

このエリアの散策で感心するのは、「監視員」がいること。

「観光客に静かにするようたしなめる」のが主目的と思われますが、気軽に撮影サービスに応じてくれています。

それにしても、眺めのいい小路です。空気が澄んでいて気持ちがいい。

日本に似ているようで似ていない。そんな文化の微妙な違いは語れません。

しかし、4次元空間から、いきなりここに放り込まれたら、「あれ、ここどこだろ?」と軽い違和感を感じそうな雰囲気が絶妙です。

くわえて、日本語表記のないハングルがエキゾチックさを引き立てます。

異国の街歩きはゾクゾクしますね(^^)

今回のソウル週末弾丸一人旅の全行程・費用などはこちらです。