朝鮮王朝500年の歴史の始まり「景福宮(キョンボックン)」を歩く【12月のソウル旅行記 #6】

朝鮮王朝の時代を育んできたソウルには、4つの大きな故宮があります。

そのうち、光化門広場を北上し、巨大な光化門が立ちはだかった北に広がるエリアが「景福宮(キョンボックン)」です。

ちょうど、門の前の工事をしていて、正面から直には見れませんでしたが、威圧感漂う門には風格を感じます。

この、ソウル4大故宮のひとつ「景福宮」は、とにかく広い。

12万坪、41万平方メートル、東京ドーム8個分以上の広さだそうで、光化門から歩いて北側の神武門まで約1㎞ほどもあります。

なので、韓国の歴史を感じながら散歩するのは絶好の場所。

さいわい雪もやみ、日差しも出てきました。

気温は氷点下ですが、身体を温めるためにも、広大な「景福宮」を端から端まで歩いてみましょう。

李氏朝鮮・李成桂によって建設された「景福宮」

工事中なので、どこから入るのかなと、ウロウロしていると、横から入ることができました。

iphone14proを超広角にして、なんとか撮った光化門。

ライトアップなんか見たら、すごく綺麗にみえそう。

おお、カッコいい・・

右手側にチケット売り場がありました。

ソウルには、「ディスカバーソウルパス」という、景福宮を含む各王宮や、南山タワーやロッテワールドなどまで無料となるとんでもないパスがあるそうなんですが、入手方法がわからなかったので、今回は割愛。

それでも3,000ウオン(約310円)でした。

 

目の前に立ちはだかるのは「興礼門」。

振り返って、もう一度、光化門を眺めます。ほんとカッコいいな。

光化門の前では、衛兵交代のパフォーマンスが、1日3回行われます。

私は、台北で見たことがありますが、カッコいいですよ。

 

そして、この「興礼門」が、景福宮の入り口にあたります。

ガイドさんのまわりに集まる団体客。

韓国語での説明でした。韓国の観光客ですね。

日本語の説明ツアーもあるそうで、歴史に興味がある方なら、絶対にそのほうがいいんですが、出発時間が1日数回しかないので、あきらめました。

永済橋という橋を渡ります。

すると、どこからともなく韓国の民族衣装ハンボクをまとった女性たちが現れます。

ハンボクをレンタルすると、景福宮の入場料が無料になるそうですが、ウワサかな。

彼女たちの向こうに立ちはだかっていたのが、現存する韓国最大の木造建築物とされる「勤政殿」です。

「政に勤しみ天下を治める」という意味で、韓国の行政、というより公式行事が行われていた場所です。

歩いていくと、次々に現れる重厚な門。

李氏朝鮮の時代の李成桂(りせいけい)によって建てられ、1395年から約200年間、王宮として使用された景福宮。

景福宮の福の字は、これは文字通り「大きな福を得て繫栄する」ことを願ってつけられたものです。

ところが景福宮は、1592年豊臣秀吉による文禄の役で焼失してしまいました。

その後は、世界遺産にも登録されている離宮である「昌徳宮(チャンドックン)」が使われ、270年間も整備されませんでした。

いくつもの門をくぐっているうちに、迷子になります。

大勢の観光客がいるはずなんですが、敷地が広いため、たまに誰もいなくなります。

寒さに震えながらも、描かれた門の名前から由来を推測します。

漢字というのは、やはりいい文化だと思います。

この「交泰殿」は、王妃の寝殿だったそうで、推測はまったく外れました(^^)

それにしても、雪原の中の散策になるとは思いませんでした。

風がないから助かってますが、氷点下の世界は寒い。

カメラの設定を変えるために、手袋をはずすと、そのたびに関節が痛くなります。

首都圏在住の私は、氷点下を経験することがあまりない軟弱者です。

おや、あの五重塔のような建物は・・

朝鮮民族美術館だそうです。

庭園が広がる「景福宮」の北辺

だいぶ北へ歩いてきましたが、北側には庭園が広がっています。

ところで、あまりにも寒く、身体が冷えてお手洗いに行きたくなりました(^^)

トイレも立派なつくり。

すごい、中に入ってみると、清潔だし、そして暖房が効いて温かい。

外より内部が温かいトイレなんて(^^)

しかも、紙が流せますw さすが観光地。

池が凍ってますよ。

池の中央にあるのは「香遠亭」。

つい最近まで、修復のためフェンスで覆われていたそうです。

運よく、素顔が見れてラッキーでした。

景福宮も最北端まで来ると、少し字体がかわっている「乾清宮(コンチョングン)」に出会います。

字体が変わってるのは、再建後の景福宮に、執務の休憩をとるためにつくった離宮だから。

それよりも悲しいのは、朝鮮王朝最後の王妃「明成皇后」が日本人によって暗殺された場所でもあります。

乙未事変(いつびじへん)、1895年10月8日。

下関条約のあとの三国干渉後、約半年後のことです。

 

こちらは「乾清宮」と同じ敷地にある「長安堂」。

庭園を挟んだ北側の「乾清宮」と「長安堂」は、素人目にも雰囲気の違いがわかりますね。

さて、そろそろ終点、景福宮の北の果てまで来ました。

出口につながるルート。「ワンウエイだよ~」と警備員に声を掛けられます。

そして、これが景福宮の北側の門「神武門」。

寒かったですが、李氏朝鮮時代の雰囲気の残る「景福宮」をゆっくり歩けて満足でした(^^)

でもやっぱり、日本語ガイドが欲しかったかな(笑)

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