南北境界線DMZツアー開始 臨津閣平和公園&悲しい歌が流れる望拝壇【韓国旅行記2023 #1】

週末旅がはじまった、ではなく、金曜の夜がそのまま続いている感覚の仁川空港。

ほぼ徹夜で迎える異国の朝も久しぶり。

それでも身体に疲れはなく、むしろ気持ちは昂ってる。

精神年齢の若さを確認できたことが嬉しい。

それは、おそらく、水際緩和後すでに5回目となる海外渡航だけれども、3年間も禁欲された反動がまだ残ってるというのもあるし、本日これから向かう場所が、北朝鮮との軍事境界線DMZということもある

いずれにしても睡眠不足は旅の敵なので、空港鉄道に乗り込むとすぐ、短い眠りに着きます。

そして、ツアー集合場所の「弘益大学」入口駅へ。

南北境界線DMZツアーとは

4月22日のソウルの朝は、まだ少し寒い。

ツアーのバスが来るまで、温かいカフェラテを飲んで温まります。

ところで、今回の週末旅の目玉は「南北境界線DMZツアー」に参加すること

言葉だけで、すぐにピンと来る人もいれば、そうでない方もいらっしゃるでしょう。

なので、まずは簡単に、第二次世界大戦後の朝鮮半島の歴史を箇条書きにします。

  • 1945年 ポツダム宣言受諾により、日本は領有していた朝鮮半島を手放す。
  • 同年、北緯38度線より北をソ連が、南をアメリカが統治下とする。
  • 1948年 南朝鮮に「大韓民国」、北朝鮮に「朝鮮民主主義人民共和国」が建国。
  • 1950年 金日成率いる北朝鮮は韓国に侵攻。朝鮮戦争勃発。
  • 1953年 北緯38度に軍事境界線がひかれ休戦へ。

起きた現象だけを淡々と書いてしまいましたが、この数行のイベントには数百万人の犠牲者を伴っています。

さらに、ここには複雑な条約も絡んだりするので、一筋縄ではいかないことはご理解ください。

 

ポイントは「朝鮮半島情勢は、戦争が終わったわけではなく、いまでも休戦状態である」ことと「北緯38度に軍事境界線」が引かれてること。

そして「軍事境界線」には「非武装地帯」が設けられ、これをDMZ(demilitarized zone)と呼んでいます

非武装地帯は、軍事境界線からそれぞれ2km。

そこには、両国により軍をおかない取り決めになっている。

その外側も、韓国やアメリカの軍がキャンプを行うので、基本的に一般人は入れない。

そのエリアに、国連軍などの許可をもらうことで観光として見学できるのが「南北境界線DMZツアー」というわけです

韓国を旅する以上、ここへはいつか絶対に行きたかった。

南北境界線DMZツアーの概要

このツアーは、かなり人気があり、多くの旅行会社が日帰りや、ソウル観光などをからめて企画しています。

そんな中、私はオプショナルツアーとして、今までも何回かお世話になった「ベルトラ」のツアーを選びました。

ツアーのプログラムは主に、

  • 「臨津閣(イムジンガク)公園」:軍事境界線から7kmの場所にある平和記念公園。
  • 「自由の橋」:休戦協定後、捕虜になった人が解放されて渡った橋。
  • 「第3トンネル」:北朝鮮工作員が、秘密裏に掘削していたトンネル。
  • 「都羅展望台(トラチョンマンデ)」:板店門や開城工場地帯を眺められる。

という、北朝鮮の大地を眺めることができる、8,100円のプランです。

ところが、DMZには、1日に入れる人数に制限がある。

だから、ツアーであっても、何時にどう行動できるのか、現地に行ってみなくてはわからない。

ツアー客の中には、とつぜん午前3時に召集がかかり、未明に着いたものの、入ることができず結局入れたのが午後、なんて例も実際にあったそう。

なので、個人手配で行くのは、観光日数に余裕のある方などで、私のような週末弾丸旅行者は、ツアー参加の方がよいと考えて申し込みました。

私の予約も、当初は日曜日でしたが、軍の行事があるとかで、土曜日に変更されています。

DMZ見学ツアースタート

弘益(ホンデ)大学は、「ホンデでなければ美大にあらず」と称される有名美術大学。

この大学を目指して何浪もしてしまう「ホンデ病」というのもあるらしい。

そんな曰くつきの、弘益大学駅で待つこと15分。

ツアーバスがやってきました。

もうすでに、いくつかピックアップポイントを回ってきた模様で、車内はほぼ満席。

ひとり旅の私は、運良く、2人分のシートを確保できました。

ざっと見渡したところ、欧米人30人、日本人8人という感じ。

そして、欧米人用の英語ガイドさんと、日本人用の日本語ガイドさんが2人添乗。

ガイドさんは2人とも韓国女性でした。

バスは、北朝鮮との国境に向けて、高速道路を快走します。

バスの中では、本日のツアー概要を簡単に説明してくれます。

それから、注意点の説明。

  • パスポートは持ってきましたか?  コピーはダメですよ。
  • のちほど、同意書にサインしてくださいね。
  • 先週までは、何時に入れるかわからなかったのが、国連軍と話をして緩和されました。
  • 第3トンネルは汚れてもよい服装で。そして体力に自信がない方にはおすすめできません。
  • 第3トンネル内と、これから通過する検問所は絶対に撮影しないでくださいね。

と、こんな感じです。

「国連軍と話をして・・・」という意味がわからなかったのですが、DMZ見学も観光の一環ということで、情勢に問題がない時は、入場者数を増枠したそうです。運がいい(^ ^)

 

臨津閣(イムジンガク)平和公園の光景

バスは弘益を出て40分ほどで、臨津閣に到着です。

ソウルからわずか40kmほどで、北朝鮮との国境付近に来られる不思議。

乗ってきたバス。

これはインフォメーションセンターで、ここから先、DMZに入るためのチケット購入や、その待ち時間を利用してのレストランなどがありました。トイレ休憩もできます。

ああ・・これが、発売枚数が制限されているチケット売り場ですね。

並んでる人いるわ・・・

食べ物屋さん。

このあたりまでは、国境の厳しい雰囲気、あるいは悲哀に満ちた情景は感じられません。

ところが、10分ほどの休憩の後、ガイドさんについて行くと・・

いきなり、京義線のレールが現れました。とたんに、厳粛な気持ちになります。

当時使っていたレール、そのままなのだろうか。

ガイドさんの説明がはじまりました。

これは、韓国の国営放送が建てた、1983年に離散家族を探しだすための記念碑。

マンヒャンの歌碑とあり、タイトルに「失われた30年」とあります。

朝鮮戦争がなんとか休戦したのが1953年。そこから30年ということですね。

とにかく戦争はひどく、夢中で逃げるしかなく、家族はバラバラになってしまった。

国営放送は、そんな離散してしまった家族のために、生い立ちや、逃げる時の状況を書いたスケッチブックをかかげ、そして離れ離れになった家族の写真をテレビで放送。

それによって、放送を見ていた人が、人から人へ話を伝え、家族が再会できた、ということもあったようです。

インターネットやSNSがなかった時代の、国営放送の知恵ですね。

翻訳するとわかると思いますが、とても悲しい文字が並んでいます。

この放送は、とても反響を呼び、出演を申し込む方が後を絶たず、138日間も放映されたとのこと。

日本語のガイドさんがいると、こんなこともきちんと説明してくれるからありがたい。

ガイドさんが説明してくれている間、ずっと歌声が流れてました。

望拝壇(マンべダン)離散家族の祈りの場所

国営放送の記念碑の奥にあるのが、望拝壇(マンべダン)。

北朝鮮に残された家族に対して、祈りを捧げる場所。

ここ臨津閣は、北朝鮮との軍事境界線から7km。

一般人が自由に動けるエリアで、もっとも北朝鮮に近い場所となる。

それで、正月やお盆の際に、離散家族のために墓参りのためにつくられました。

いまは避難民もだいぶ少なくなってしまったが、10年くらい前までは、お参りする人がとてもお多かったとガイドさん。

同じ民族が、戦争で離れ離れになるというのは、どんな心境でしょうか。

私と一緒に行動している日本人8名も、神妙な面持ちです。

さて、さきほどのレールまで戻って、自由の橋の見学に参りましょう。

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