ここバラナシで、四六時中、絶え間なく、炎と煙が上がっている場所があるそうです。
それが、火葬場のあるマニカルニカー・ガート(Manikarnika Ghat)。
おとといの夜、例の「詐欺師」に、「なぜ、24時間営業?してるのか?」と聞くと、「人間は、いつでも死ぬから。」という答えが返ってきた。
とにかく、インド各地から運び込まれた遺体が、ここで焼かれ、遺灰となって、ガンガーに流されるらしい。
四六時中の絶え間ない炎は、アゼルバイジャンでもこの目に留め、感銘を受けましたが、ヒンズー教最大の聖地の火葬場。
日々、どんな、光景が展開されているのか。
自分の目で見て、自分の頭で理解してみたい。
(もちろん、遺族の方などに、ご迷惑を掛けないように)
ガンガー 幻想的な朝の日常風景
昨夜は、22時には寝て睡眠も十分。今朝も、夜明け前の起床です。
早朝から、沐浴するインド人。
ほんと、風邪ひかないでね。2月のバラナシの朝は、けっこう寒いです。
昨日も見たお祈り。
ダシャーシュワメード・ガートを通り過ぎ、マニカルニカー・ガートを目指します。
なんだ? エサでもあげてるのかな?
それにしても、早朝のガンガーは、ボート渋滞に陥っています。よく、ぶつからないもんだ。
イルカのレストラン?
火葬場へ急ごうと思うんだけど、時々足を止めて、見入ってしまいます。
それほど、幻想的な光景。
生意気を言うようですが、人間の小ささを感じる。
景観が、あまりにも雄大すぎ。
こちらは、家族かな。
こちらも、地元の人?
キノコ型の屋根の下で談笑する人々。
あの竹は、ほうき?
すると、清掃員の方たちかな。
太陽が出はじめました。
マニカルニカー・ガートの方から、ゾロゾロと来た中国人観光客。
中国人の団体は、何組か見かけましたが、日本人の団体というのは、そういえば見ない。
地元の人にとっては、ガンガーは日常そのものなんでしょうけど、みることで心が和むんでしょうか。
ガンガーのゆったりした流れを見ていると、その気持ちもわかるような気がします。
はじめは、ホテルからマニカルニカー・ガートまで直行しようと思ってましたが、それは無理でした。
こんな幻想的な風景。立ち止まざるをえません。
妖気漂うマニカルニカー・ガート
そして、ようやくたどり着いたマニカルニカー・ガート。
火葬用の薪が、大量に用意されています。
ヒンズー教徒は、火葬の写真を撮られると、死者は解脱できないと信じています。
なので、火葬場での写真撮影は厳禁。
当たり前です。
ヒンズー教徒の最大の聖地。
その聖地を汚す行い、あるいは信者の心を逆なでする行為は、絶対にするべきではありません。
そうは言っても、写真好きの私。
撮っても許される範囲とかがあるのかと思い、昨夜、ホテルのスタッフに相談しました。
すると、「遠くからならいいんだよ。」とのこと。
そして、「遠くから」というのは、具体的にどのくらいかを、グーグルの画像検索で出てきた画像群を見せて聞くと、要するに、炎がチロチロと見える程度ならOK。
そこまで予備知識を得た上で、さらに、清掃員のオジサンに、写真撮っていいか?と許可をもらった上で、撮りました。
建造されて何年たっているのか知りませんが、ずっと火葬のようすを見続けてきた建物群。
少ない私の経験ですが、今まで、こんなに妖気漂う建物を見たことがありません。
ボートに乗って、河上から撮影している観光客もいるようですが、あんなに近くで撮っていいのかな?
火葬場の奥の方に行ってみました。
緑色のチョッキは、このガートの清掃員なのかな。
遺族の人たちに観光客が混じっているのが不思議な気分。
ボートから降りてきたツアー客。
死者の煙が漂うガンジス川。
カタカナでの表記もありました。
ちなみに、こうやってウロウロしていると、自称「案内人」が、ガイドすると言い寄ってきます。
なかには、「1,000ルピー出したら、火葬の写真撮れるよ。」と言ってくる輩もいます。
なにをバカなことを・・・
それこそ、聖地を汚す行いじゃないのかな。
マニカルニカー・ガートの表記。
この建物も、ずっと煙を浴び続けているんでしょう。
傾いた寺院が象徴的な、スィンディヤー・ガート。
また、マニカルニカー・ガートの方に戻ります。
当然、お線香やさんも多い。
沢木耕太郎さんの、「~不意に、まったく不意にガンジス河に出た。」の路地は、この小道かな。
こんな狭い場所でも、寺院がもうけられてます。
しばらく、進んでいきましたが、ほんとうに迷子になりそうなので、ガートの方に戻ります。
ベンチに座って、しばらく見物。
人間って、最後は死んじゃうんだよね・・・
そんな、当たり前のことが、あらためて脳に浮かびます。
私は、あと、何十年生きられるのかな・・・ とか
すごい世界でした。マニカルニカー・ガート。